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志木市東部に位置する[5]。北から東にかけて荒川を挟んでさいたま市桜区下大久保、南で朝霞市上内間木、南西で下宗岡、西で中宗岡・上宗岡、北西で富士見市南畑新田と接する。元は上宗岡、中宗岡、下宗岡もすべて大字宗岡だったが、住居表示実施により、荒川の堤外地である河川敷部分のみが宗岡として残り、1979年(昭和54年)3月住居表示が実施されているが[5]地番はない。荒川を境にさいたま市桜区と接する。面積は1,901,817平方メートル。
一部荒川左岸の土地も含んでいる。これは川が左岸に蛇行していた名残である。堤外地には田圃などが広がっている。羽根倉橋以北はゴルフ場、南部はサッカー場、グラウンドなどに利用されている場所もある。
朝霞浄水場への取水口がある[6]秋ヶ瀬取水堰があり、釣り客も見られる。ゴマフアザラシのあらちゃんが出現し、一時期見物客が殺到したこともあった。また、同取水堰が荒川の中流と下流[7]、及び淡水域と汽水域[8](感潮域)の境界となっている。
「宗岡」は荒川と新河岸川に挟まれた平地を指す地名である[9]。そのため、古来から水害の多い土地となっており、江戸時代に宗岡村を守るための堤防が周囲に巡らされた。また、地内には高さ約2 mほどの盛り土の上に土蔵を建てた「水塚」と呼ばれる施設がいくつも作られ、その中に食糧なども保管されており、水害時にはそこに住民が避難するようになっていた。しかし、第二次世界大戦後は、堤防が嵩上げされると共に、新河岸川放水路(川越市、ふじみ野市、富士見市)、びん沼調節池(川越市、富士見市、さいたま市西区)、南畑排水機場[注釈 1](富士見市)等が整備されて水害が減少し、また、住宅開発の進展と共に「水塚」も姿を消したことから、新住民はその歴史を知らない場合も多いとされる[9]。
宗岡地区の市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[14]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
上宗岡2丁目11~21番
上宗岡3丁目・4丁目・5丁目11~21番 中宗岡2丁目7~17番・31・32番 (※7番34~49号と8番20~26号を除く) |
志木市立宗岡第二小学校 | 志木市立宗岡中学校 |
上宗岡1丁目・2丁目1~10番・5丁目1~10番
中宗岡1丁目1~7番・10~13番・17~19番 中宗岡5丁目1~18番 |
志木市立宗岡第四小学校 | |
中宗岡1丁目8番・9番・14~16番
中宗岡2丁目1~6番・7番(34~49号) 中宗岡2丁目8番(20~26号)・18~30番・940番 中宗岡3丁目・4丁目・5丁目(19~28番) |
志木市立宗岡小学校 | 志木市立宗岡第二中学校 |
下宗岡1~4丁目・大字宗岡字赤野下飛地 | 志木市立宗岡第三小学校 |
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