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フェミニズムから生まれた複数の学問領域をまたいだ学問 ウィキペディアから
女性学(
領域としては社会学、人類学、法学、経済学、地理学、倫理学、文学、歴史学、哲学など従来の人文・社会科学の各領域に個別にまたは分野横断的に関わる学問であり、女性史研究、音楽・アート・映画・メディア等に関するフェミニズム批評、さらにはケアの倫理、エコフェミニズムなど新たな概念が提唱されている。
なお、日本の高群逸枝、フランスのボーヴォワールのような個人による研究成果は女性学が学問領域として確立する以前から発表されている。
女性参政権運動を中心に女性の権利・地位向上、男女同権を目指した第一波フェミニズムに対して、文化・社会に深く根を張る意識や習慣による性差別と闘い、主に性別役割分業の廃絶、性と生殖における自己決定権などを主張したのが第二派フェミニズムである[1]。
一方、1960年代には権威主義的な既成秩序に抗議し、大学改革を求める学生運動(大学紛争)が起こり、この結果、大学教育において教育課程や教育方法が改善され、新たな学問・研究講座が開講されることになった。こうした背景のもと、女性たちは、従来の学問・研究が男性の経験、問題・関心に基づいて構築されたものであること、すなわち、女性の経験等を度外視した男性中心主義的なものであることに気付き、既存の学問領域において女性の経験等に基づく研究を行い、同時にまた、これまで周辺に追いやられ、忘れ去られた女性の歴史、芸術、文学などを発掘・回復する必要があると考えた[2]。したがって、この点では、男性が作り上げてきた伝統的な学問分野において「女性」というテーマを取り上げて研究するだけでは不十分であり ―― この場合、「男性中心の考え方が脅かされることはない」――、男性中心の物の見方そのものを覆し、すべてを女性中心の視点で捉え直し、新たな学問体系する必要があった[3]。
一方、ボーヴォワールは1949年出版の『第二の性』において生物学、文学、精神分析学、人類学、哲学等の研究に基づき、女性の抑圧、他者性を体系的に論じた。これを受け継ぎ、または批判的に読み解き、性差別の構造のさらなる解明を目指すこともまた重要な課題となった[1]。
加えて、1960年代後半から1970年代前半にかけての女性解放運動を白人中産階級の異性愛・既婚女性のみを対象とする運動であると批判した他の人種、階級、性的指向、その他の文化的・社会的立場の女性たちを中心に、対象の拡大や方法論の再検討、これらの要素を取り込んだ理論化が行われている[2]。
女性、女性性、ジェンダー、性差別、その他のマイノリティの問題等を体系的に考察することは、現代社会の分析と理解に不可欠であり、したがって、研究のみならず教育の場でもある大学の教育に女性学を取り入れること(研究者・教員による講座開講から学部・大学院の設置)は、諸制度および社会全体の改革を準備するものであり、政治・社会・文化活動と連携し得るものである[4]。
1934年、アメリカの歴史学者・女性参政権運動家のメアリー・リッター・ビアードが『女性に影響を与える政治経済の変化』と題する著書[5]を発表した。これは56ページに及ぶ女性学講座の詳細なシラバスであり、彼女はこれを大学教育に取り入れるよう働きかけた。結局は採用されずに終わったが、これにより、ビアードは女性学の概念の最初の提唱者とされている[3][6]。
なお、女性学講座の特殊な例として、画家で哲学・社会学専門のフェミニスト著作家マルグリット・スーレ=ダルケが社会科学自由学院で1900年から1905年まで教えていたフェミノロジー(女性学または女性科学)を挙げることができる[7]。
1969年出版の『膣オーガズムの神話』でアン・コートは女性のセクシュアリティに関するフロイトの諸概念を批判し、1970年にはケイト・ミレットの『性の政治学』、ジャーメイン・グリアの『去勢された女』、シュラミス・ファイアストーンの『性の弁証法』、ロビン・モーガンの『シスターフッドは力である』などのニュー・フェミニズム運動の古典が出版された[7]。こうした運動と並行して、1960年代後半に初めて女性学講座が開講された。
アメリカでは、1966年にニューオーリンズ・フリースクールでキャシー・ケイドとペギー・ドビンズが女性社会学の講座を開講。シカゴ大学ではナオミ・ワイスタインが女性学、バーナード・カレッジではアネット・バクスターが女性史を担当した[4][8]。
イギリスでは1968年に従来の教育制度・医療制度を批判するC・L・R・ジェームズ、ストークリー・カーマイケル、R・D・レイン、スチュアート・ホール、ジュリエット・ミッチェルらの主導で設立されたアンチ・ユニバーシティ・オブ・ロンドン[9]において精神分析家ジュリエット・ミッチェルが「社会における女性の役割」という講座を担当した[10]。
研究者個人が開講・担当した講座とは別に、女性学プログラムが初めて公式に開設されたのは1970年のサンディエゴ州立大学においてである。早くから女性の「自己認識の学問」としての女性学の講座開講を求める運動が進められていたアメリカでは、以後1981年までに約3000の大学で3万以上の講座が開講され、1990年代まで600以上の大学で女性学プログラムが開設された[1]。女性学の研究成果は、『サインズ』(1975年創刊)、『フェミニスト・スタディーズ』(1972年創刊)、『ウィメンズ・スタディーズ・インターナショナル・フォーラム』(1978年創刊) などの専門誌に発表され[4]、ヴィラゴ(ロンドン, 1973年創設) やザ・ウィメンズ・プレス (ロンドン, 1978年創設) など女性学専門の出版社も設立された[1]。また、1970年に創設されたフェミニスト・プレスは、主に作家ティリー・オルセンの推薦に基づいて、シャーロット・パーキンス・ギルマン、ゾラ・ニール・ハーストン、レベッカ・ハーディング・デイヴィスなどの女性作家の発掘および作品の再版に取り組み、女性学プログラムの発展に貢献した[11][12]。
米国のウーマンリブ運動とほぼ同時期に女性解放運動 (MLF) が起こったフランスでも1970年代に入ると大学における女性学センターの開設が相次ぎ、1972年に(現エクス=マルセイユ大学内)プロヴァンス大学女性学センター (CEFUP) が開設され、1974年に(1968年五月革命の精神を受け継ぎ、新しい学問領域に開かれた大学として設立されたヴァンセンヌ大学の後身)パリ第8大学にエレーヌ・シクスーが女性学センターを開設した[13]。また、1975年にはパリ第7大学にフランスにおける女性史研究の第一人者ミシェル・ペローを中心とした女性学グループ (GEF) が結成され、1976年にリヨン女性学センターが設置された[14]。
日本において「女性学」という訳語を最初に用いたのは、井上輝子の1974年の報告書「アメリカ諸大学の女性学講座」においてである[15]。井上はまた、同年、和光大学で日本における最初の女性学講座「女性社会学特講」を開講し、女性社会学研究会を設立した(1981年閉会)。1980年には『女性学とその周辺』を発表している(勁草書房)[16]。アメリカ文学・アメリカ文化研究の分野から女性学の導入に貢献したのは水田宗子である。彼女は南カリフォルニア大学で教鞭を執る傍ら、地域の複数の大学による女性学プログラム構築プロジェクトに参加し、この経験に基づいて日本女性学会の発足(1979年)に参加し、日本におけるフェミニズム批評を牽引した[15]。1970年代末には日本女性学会のほか、国際女性学会(現国際ジェンダー学会)、女性学研究会、日本女性学研究会などが相次いで設立された。『女性学年報』などのジャーナルや女性学・フェミニズムのコレクションも刊行され、大学においても2000年までに609の大学・短大で2456の女性学関連講座が開講された(国立女性教育会館調査)[1]。
一方、ジェンダー研究等を含む女性学の学位を取得できる大学院は欧米には多数存在するが、日本ではお茶の水女子大学、城西国際大学などに限られており(1996年(平成8年)4月、城西国際大学が日本で最初の女性学専攻の大学院を開設)、「高等教育での社会的ニーズがあるにもかかわらず、ジェンダー研究と教育の担い手は圧倒的に不足しており、本格的な人材養成が必要となっている」[17]。これは、女性学を一つの学問領域として位置づけるか、あるいは他の学問領域における一つの研究方法という位置づけに留まるのかという問題に関わっている[1][15]。
日本では特に、ジェンダー研究として発展している(外部リンク参照)。
なお、女性学の歴史はフェミニズムの歴史と並行しているため、
以下は代表的な研究者・著述家のごく一部である。女性学の具体的な研究対象・研究内容を示すために女性学関連の著書を挙げる。なお、各研究者に他に主著がある場合でも女性学関連の著書のみ挙げている。詳細は各項目を参照のこと。
女性学に対して男性性を研究対象とする社会学に男性学がある。スティーヴン・M・ホワイトヘッドやフランク・J・バレットの定義によると、男性学はフェミニズム理論の知識をもとにその一部として形成されてきた分野である[18]。ただ、女性性と男性性という二分法によって個人の多様性や同一性別内での不平等が見逃されてきた側面があるとの指摘もなされている[19]。
男性学の研究者には、『〈男らしさ〉のゆくえ ― 男性文化の文化社会学』(1993年)、『男性学入門』(1996年)、『女性学・男性学 ― ジェンダー論入門』(共著)を著した伊藤公雄がいる。
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