大阪高知特急フェリー(おおさかこうちとっきゅうフェリー)は、かつて存在した海運会社。大阪南港と高知港を結ぶフェリー航路を運航していた。本社は高知県高知市にあった。
大阪 - 高知直航の時期が大半だったが、最終的には運航開始時とほぼ同じ航路となっていた。
1971年4月
- 関西汽船から継承した旅客船航路
1971年9月、フェリー化に伴い発着場所変更
2001年12月、高知シーライン休航に伴い、土佐清水延航
- 2004年4月に延航休止
2004年8月から休止まで
- (所要時間:9時間25分~40分、毎日→週4日運航)
- 平和丸[4] (旅客船)
- 1948年2月竣工、1971年4月1日就航。三菱造船広島造船所建造、関西汽船から航路ごと買船
- 925.85総トン、全長65.25m、型幅9.80m、喫水3.35m、ディーゼル1基、機関出力2,000ps、航海速力14.00ノット、旅客定員518名
- 係船後、1974年解体[5]
- 明石丸[4] (旅客船)
- 1948年竣工、1971年4月1日就航。三菱造船横浜造船所建造、関西汽船から航路ごと買船
- 1,115.43総トン、全長60.97m、型幅10.00m、喫水3.26m、ディーゼル1基、機関出力1,200ps、航海速力12ノット、旅客定員398名
- 係船後、1973年から明石海岸でレストランとして使用されたが、1980年に解体された[6]。
- とさ[7]
- 1971年9月就航。3369.6総トン、全長104.6m、幅20.0m、航海速力18.3ノット(最大20ノット)。
- 旅客定員620名。車両積載数:トラック59台・乗用車41台。
- 1973年、関西汽船に移籍し、はやとも丸に改称。
- フェリーかつら[8]
- 1971年9月竣工。幸陽船渠建造。
- 4,693.95総トン、全長120.80m、型幅20.40m、型深さ6.80m、ディーゼル2基、機関出力8,000ps、航海速力17.28ノット。
- 旅客定員818名、トラック53台、乗用車54台。
- 1981年4月「ニューかつら」就航にともない引退。1982年2月関西汽船に用船され、「くるしま丸」就航まで松山 - 小倉フェリーに就航。1984年永雄商事に売船、1990年フィリピンに売却[7]。
- フェリーなにわ[8]
- 1971年12月竣工、就航[7]。幸陽船渠建造。「フェリーかつら」と同型。
- 4,714.52総トン、全長120.80m、幅20.40m、型深さ6.80m、ディーゼル2基、機関出力8,000ps、航海速力17.28ノット、最大速力19.5ノット。
- 旅客定員818名。車両積載数:8tトラック60台、乗用車80台。
- 1990年、「ニューとさ」就航にともない引退し、シンガポールに売却[7]。
- ニューかつら
- 1981年4月就航。6,772総トン、全長140.0m、幅22.7m、最大速力23.5ノット。
- 旅客定員1,000名。車両積載数:8tトラック99台、乗用車48台。
- 2006年、フィリピンに売却[7]。
- ニューとさ
- 1990年3月就航。6,939総トン、全長141.5m、幅23.0m、最大速力24.0ノット。
- 旅客定員1,000名。車両積載数:8tトラック103台、乗用車35台。
- 「ニューかつら」と同型船。2000年8月、「フェリーこうち」就航にともない引退し、ギリシャに売却[7]。
- フェリーこうち[7]
- 2000年8月就航。4,138総トン、全長118.1m、幅21.0m、航海速力19.4ノット(最大22.18ノット)。
- 旅客定員350名。車両積載数:8tトラック73台、乗用車10台。
- 航路休止時まで運航された。2006年4月、ギリシャに売却。
高知県交通および土佐電気鉄道の路線バスがフェリー発着に合わせて、航路休止まで高知港から高知県交通は中村駅および梼原ならびに高知駅・高知営業所を結ぶ路線、土佐電気鉄道は安芸とを結ぶ路線が運行されていた。
高知県交通ではバス運賃が割引となる連絡乗車(船)券も存在していた。
脚注
世界の艦船第175集 1972年3月号 P.138 (海人社)
曜日固定。大阪発月水金日、高知発火木土日、日曜日の大阪発は昼航。JR時刻表 2005年3月号 (交通新聞社)
関西汽船の船半世紀 PP.108-109 (関西汽船海上共済会 1994)
世界の艦船 第278集 1980年2月号 PP.115-117 (海人社)
世界の艦船 第285集 1980年8月号 P.40 (海人社)
日本船舶明細書 1983 (日本海運集会所 1982)
参考文献
- 日本のカーフェリー -その揺籃から今日まで-(世界の艦船 別冊) - 海人社(2009年3月発行)