長居陸上競技場(ながいりくじょうきょうぎじょう)は、大阪府大阪市東住吉区長居公園内にある陸上競技場。2014年からネーミングライツの導入により、ヤンマースタジアム長居(ヤンマースタジアムながい)という名称が使用されている[4][5]#施設命名権を参照)。使用目的は多岐にわたり、球技場やイベント会場としても活用される。

概要 長居陸上競技場Nagai Stadium ヤンマースタジアム長居, 施設情報 ...
長居陸上競技場
Nagai Stadium
ヤンマースタジアム長居
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施設情報
所在地 日本の旗 大阪府大阪市東住吉区長居公園1-1
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開場 1964年
修繕 1992年9月[1]
拡張 1996年5月[1]
所有者 大阪市
運用者 わくわくパークプロジェクトチーム
グラウンド 天然芝
ピッチサイズ 105m × 68m(天然芝フィールドは107m × 71m[2]
大型映像装置 オーロラビジョン
建設費 401億円(改築時)[1]
設計者 大阪市都市整備局営繕部[1]
昭和設計[1][3](全面改築時)
建設者 竹中工務店[1]
フジタ[1]
鴻池組[1](全面改築時)
使用チーム、大会
セレッソ大阪
木南道孝記念陸上競技大会
2002 FIFAワールドカップ
2007年世界陸上競技選手権大会など
収容人員
47,853人[2]
アクセス
#アクセスを参照
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施設は大阪市が所有し、公園内の各施設共々指定管理者として、わくわくパーククリエイト(ヤンマーホールディングス100%出資の子会社)を代表企業とし、セイレイ興産、ヤンマーホールディングス、(一財)大阪スポーツみどり財団、タイムズ24、(公財)大阪ユースホステル協会の計6団体で構成される「わくわくパークプロジェクトチーム」が運営管理を行っている[6][7]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)のセレッソ大阪が2021年シーズン途中までホームスタジアムとして使用していた。

概要

八幡屋公園港区)内にあった大阪市立運動場の移転新築[8] という形で、1964年に大阪中央競輪場の跡地近くにオープンした[9]。同年には東京オリンピック・サッカーの5位から8位の順位決定戦、通称「大阪トーナメント」の1回戦・日本ユーゴスラビア代表と同決勝戦・ユーゴスラビア対ルーマニアが行われた[10] のを皮切りに全国高等学校サッカー選手権大会のメイン会場として使用されるなど、靱蹴球場共々大阪におけるサッカーのメインスタジアムとしても活用された。

1992年9月より5年後の第52回国民体育大会(なみはや国体)向け全面改修工事に着手(この間、陸上競技等は翌年完成した長居第2陸上競技場などを使用した)。1996年5月に改修工事が竣工。予定通り翌年のなみはや国体のメイン会場として使用された。その後2002 FIFAワールドカップ2007年世界陸上競技選手権大会などの国際的ビッグイベントが開催されている。

2031年奈良県で開催される予定の国民スポーツ大会で、県内での陸上競技会場の調整がつかない場合、当競技場を使用する提案が検討されている[11]

施設概要

400m×9レーンのトラックと107m×71mの天然芝フィールドを有する日本陸上競技連盟第1種公認・国際陸上競技連盟 (IAAF) クラス2公認の陸上競技場兼球技場[2] で、「世界に開かれた国際都市大阪」をイメージした以下のデザインコンセプトにより設計された[3]

  • 未来への飛翔 - 21世紀へ向けて飛びたつ鳥の翼をイメージした、弧を描いた大屋根
  • メモリアルシンボル - 力強い直線を描くスタンドの列柱と屋根の優しい曲線との対比
  • ドラマチックスペース - 光を透過する膜材と立体トラスで覆われた躍動感溢れる観戦空間

スタンドは全周一層式で、メインスタンド側とバックスタンド側には照明設備と一体化したアーチ状の屋根で覆われている。2面の大型ビジョン(南側は改築後の1996年設置。北側は元々改築後は電光掲示だったが、2015年10月のJ2・福岡戦を最後に改修となり[12] 大型ビジョンに転嫁された)がある。

メインスタンド1階には管理事務所とトレーニングセンター、ロッカールームなどが設けられており、3階にはユースホステル大阪市立長居ユースホステル)を併設する。

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メインスタンドより撮影。なお、画像の向かって左側が北サイドスタンド、右側が南サイドスタンド、右側のスタンド下にはマラソンゲート、中央部分がバックスタンドである。

開催された主なイベント・大会

陸上競技

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大阪国際女子マラソン開催時の長居陸上競技場

サッカー

国内大会

国際大会

セレッソ大阪による使用

Jリーグ・セレッソ大阪(C大阪)が長らく当スタジアムをホームスタジアムとしていた。

ただし1994年-1996年、2002年、2007年シーズンは長居第2陸上競技場(現:ヤンマーF)と、2010年シーズンからは長居球技場と併用している。2011年以降は基本的に長居球技場(当時・キンチョウスタジアム/金鳥スタ)での開催が主(ただし2014年シーズンはヤンマースタジアムを主に使用)、J1復帰後の2017年以降はヤンマーSと金鳥スタの2か所ほぼ半数ずつを開催していた。

2019年から2020年にかけて長居球技場の大規模改修が行われ、スタジアムの供用開始となった2021年6月9日の天皇杯 JFA 第101回全日本サッカー選手権大会2回戦・ガイナーレ鳥取戦以降は、C大阪のホームゲームを長居球技場(ヨドコウ桜スタジアム)に全面移行することになっている[19][20][21]。改修工事期間中の2019年と2020年のセレッソ主催のホームゲームはすべてヤンマーSを使用している。

なおJリーグクラブライセンス制度(2014年度[22])では、トイレの規定「1000人当たりで洋便器5台、男性用小便器8台以上を持つ」[注 1] ことをB等級として求めているが、それが不足しており、JリーグよりJ1ライセンス取得と同時に制裁・指導(書類による改善案の提出)を受けている。

その他の球技

施設命名権

大阪市は新たな財源確保とスポーツ振興、市民サービスの向上及び地域経済の活性化を目的として、長居陸上競技場を含む長居公園・八幡屋公園・靱公園の5施設[注 3] について、2013年(平成25年)11月から翌年1月までの間にネーミングライツパートナー(施設命名権者)を募集[23]。このうち長居公園の2施設については、ディーゼルエンジン・産業機械の製造販売を手がけ、セレッソ大阪の母体企業でもあるヤンマーが2施設合計年間1億円(税別)でのネーミングライツ料を提案し優先交渉権を獲得[24]。その後の大阪市との交渉の結果、2014年3月1日から5年間の契約で、長居陸上競技場については「ヤンマースタジアム長居」、長居第2陸上競技場については「ヤンマーフィールド長居」の施設愛称をそれぞれ付与することが決まった[4][5][25]。命名権そのものは2014年3月1日のJ1開幕節・サンフレッチェ広島戦から使用されたが、「ヤンマースタジアム長居」としてのこけら落としは同年4月12日の第7節・ガンバ大阪戦(大阪ダービー)とされた[4][25]

なお、命名権採用後は上記の名称を使うが、FIFA(国際サッカー連盟)主催サッカー国際試合等、主催団体の規定により命名権名称ではなく「長居陸上競技場」の呼称を用いている大会もある。この場合、長居公園全域が主催団体による制限区域となる為、長居陸上競技場だけでなく長居第2陸上競技場においても正式名称に戻される。

コンサート等での使用

赤色の日程は開催予定を表す。本競技場では、2007年の『Mr.Children "HOME" TOUR 2007 -in the field-』までコンサートが開催されることはなかった。

ギャラリー

公園内その他の施設

大阪中央競輪場

概要 大阪市営中央競輪場(通称:大阪中央競輪場), 基本情報 ...
大阪市営中央競輪場
(通称:大阪中央競輪場)
基本情報
所在地 大阪市東住吉区東長居町385番地[29]
開設 1950年3月23日[29]
閉場 1962年3月21日(最終開催日)[30]
所有者 大阪市
施行者 大阪市、布施市、吹田市
走路 500m
記念競輪
名称 全A級争覇競輪、全日本チャンピオン決定戦[29]
開催月 3月[29]

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上述の通り、当地の前身は大阪市営中央競輪場(通称:大阪中央競輪場)である。

現在の長居公園の地に、1948年大阪府および大阪市などの府下市町村が「大阪府都市競馬組合」を結成し、大阪競馬場(通称:長居競馬場)を開設したが、大阪市は同年12月に開始された大阪府主催の大阪府営競輪場(通称:大阪住之江競輪場)での競輪開催が予想以上の好成績を収めた[31] ことで、その影響を受け、1950年3月20日、1周500m、収容人員55000人(内、特別席600人、観客席25000人)の競輪場を、同競馬場の隣に竣工した[29]。また、後楽園競輪場とともに、12車立てのレース(通常は9車立て)も実施した。

主催者は、大阪市、布施市(現在の東大阪市の一部)、吹田市であった[32]

ちなみに、大阪市は現在の長居公園に1951年11月、大阪競馬場を利用して、市営の長居オートレース場も開設したが、爆音にかかる周辺環境問題や経営不振を理由に、わずか5ヶ月で廃止した(詳細は当該項目を参照)。

回を重ねるごとに好成績を収め、1開催での収益金は5,000万円以上に上るなど売り上げは関西随一を誇るようになった。立地の良さもあり、車券売り上げ額と入場者は西日本一となり、現存していれば後楽園(休場)に匹敵するものとも言われた[33]。そうして大阪で開催される特別競輪は当競輪場で集中して開催されるようになり、全国争覇競輪(現:日本選手権競輪)を3回、オールスター争覇競輪(現:オールスター競輪)を2回開催した[32]

1955年1月10日に、当時の農林大臣河野一郎が提案した「競馬開催を土日祝日開催に限る」という提案を受けて、当時の通産大臣・石橋湛山が「競輪・オートレースについても同調する」と表明したのを契機に、近畿地区の競輪場でも、土日に限って開催可能かを協議していたところ、2月22日に当時の大阪府知事赤間文三が、同年4月1日以降の大阪府営競馬・競輪の廃止を突如表明した。これは、平日開催によって年間1億2千万円の黒字を挙げていた競輪と、若干の赤字を出していた競馬が、土日開催に限られることで売上が半減する可能性があるとの試算に基づいたものとされ[34]、大阪市や周辺都市は軒並み反対したものの、結局同年に豊中競輪場が廃止された。さらに、1959年に赤字続きだった大阪競馬場が廃止され、当競輪場も廃止して跡地を公園として整備したいという市側の意向[35] を受け、1962年3月16日から6日間開催された開設記念『大阪府内競輪500回記念全国選抜オールA級争覇競輪』(主催は布施市)を最後に廃止された[30]。なお、この最後の開催だけで、売上高4億7,000万円、入場者10万1,400名、一日売上高1億1,500万円を記録した[32]

12年間の競輪収益金は、大阪市22億4,300万円、布施市6億2,000万円、吹田市3億8,000万円であった[36]

アクセス

脚注

参考文献

外部リンク

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