壱岐市立鯨伏中学校(いきしりついさふしちゅうがっこう, Iki City Isafushi Junior High School)は、2011年(平成23年)3月末まで長崎県壱岐市にあった公立中学校。略称は「鯨中」(いさちゅう)。
概要 壱岐市立鯨伏中学校, 過去の名称 ...
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旧勝本町の壱岐市立勝本中学校に統合された。
- 歴史
- 1947年(昭和22年)学制改革の際に「鯨伏村立鯨伏中学校」として開校した。
- 校章
- 1951年(昭和36年)に制定。鯨伏中学校 校区の3地区(立石・布気・本宮)を逆三角形(▽)で表し、校名「鯨伏(イサフシ)」の頭文字の「イ」と「サ」の文字を3つずつ組み合わせた絵の中央に「中」の文字を置いている。
- 校歌
- 1970年(昭和45年)に制定。作詞・作曲ともに山口藻人[1]による。4番まであり、3番の最後に「鯨中」が登場する。なお、壱岐市役所のホームページで校歌の曲(歌詞あり、歌詞なし)をダウンロードできる[2]。
- 1969年(昭和44年)以前は鯨伏小学校と同じ校歌であった。
- 校区
- 住所表記で、勝本町の後に「立石西触」、「立石南触」、「立石仲触」、「立石東触」、「百合畑触」、「布気触」、「上場触」、「湯本」、「本宮東触」、「本宮仲触」、「本宮西触」、「本宮南触」が続く地区。小学校区は壱岐市立鯨伏小学校。
- 制服
- 男子は学生服(学ラン)、女子はセーラー服。
- 1947年(昭和22年)
- 4月1日 - 学制改革により、鯨伏村本宮南触241番地に「鯨伏村立鯨伏中学校」が創立。
- 4月10日 - 開校。
- 新校舎完成までの間、仮校舎で授業を行う。1・2年生は鯨伏村立鯨伏小学校(布気触)[3]、3年生は旧鯨伏高等実業青年学校校舎(本宮南触)。
- 初代校長に品川芳春が就任。職員数9名(校長を含む)、生徒数198名でのスタート。
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)
- 1953年(昭和28年)12月10日 - 校内放送設備を完備。
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 町村合併により、「勝本町立鯨伏中学校」と改称。
- 1956年(昭和31年)[5]- 校章・校旗を制定。
- 1962年(昭和37年)- 生徒数が最大263名となる。
- 1963年(昭和38年)
- 4月 - へき地集会所(講堂)が完成。
- 7月 - ミルク給食を開始。
- 1966年(昭和41年)4月 - 完全給食A型を開始。
- 1967年(昭和42年)
- 特殊学級(現・特別支援教室)を開設。
- 図書室・資料室を設置。
- 女子ソフトボール部が長崎県中学校総合体育大会で優勝。
- 1969年(昭和44年)- 女子ソフトボール部が長崎県中学校総合体育大会で優勝。(2度目)
- 1970年(昭和45年)- 生徒守則を制定。校歌(鯨中健児の歌)を制定。バスケットボールコートを新設。
- 1974年(昭和49年)4月 - 布気触(現在地)に新校舎が完成し、移転。
- 1976年(昭和51年)- 体育館が完成。美術窯を設置。
- 1978年(昭和53年)- 永富チヨ寄贈による永富文庫が設置。
- 1983年(昭和58年)- 男子バレーボール部、長崎県中学校総合体育大会で優勝。(九州大会で6位)
- 2004年(平成16年)3月1日 - 壱岐島4町の合併により、「壱岐市立鯨伏中学校」(最終名)に改称。
- 2008年(平成20年)9月 - 壱岐市教育委員会が中学校規模適正化(統廃合)計画を発表。
- 2011年(平成23年)3月31日 - 壱岐市立勝本中学校に統合され、閉校(生徒数30名(中3を含む))。64年の歴史に幕を下ろす。
- 2017年(平成29年)4月を目標に、耐震工事等を施したうえで、介護福祉士を養成する専門学校「こころ医療福祉専門学校壱岐校」(設置者:学校法人岩永学園、修業年限2年、定員1学年40名)が開校した[6][7]。
- 旧鯨伏中学校の体育館は老朽化により、2021年(令和3年)に解体された。
- 広報いき 壱岐市役所 2010年(平成22年)7月号
- 「勝本町郷土史 鯨伏編」(1966年(昭和31年)7月, 勝本教育委員会)
- 「勝本町史 上巻」(1985年(昭和62年)2月, 勝本町)
- 「教育百年のあゆみ」(1974年(昭和49年)11月, 勝本町教育委員会)
- 「壱岐市立鯨伏中学校閉校記念誌」(2011年(平成23年)5月31日発行, 壱岐市立鯨伏中学校閉校記念事業実行委員会)