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日本のお笑い芸人 ウィキペディアから
土肥 ポン太(どひ ポンた、1971年6月6日 - )は、日本のお笑い芸人、実業家である。本名、土肥 耕平(どひ こうへい)。
吉本総合芸能学院(NSC)大阪校12期生。NSCの同期にはCOWCOW、小籔千豊、2丁拳銃などが、またNSC出身以外のほぼ同期には浜本広晃(テンダラー)、DonDokoDon、ロンドンブーツ1号2号などがいる[1]。
1993年、NSC同期の古高義広と「スキヤキ」を結成。1995年 NSC12期生6組によるユニットフルーツ大統領を結成。吉本印天然素材に続くアイドル的なユニットとしてデビューし、書籍やCDを出版。しかし所属劇場がなく、地方周りを続けざるを得ない日々が続く。1999年、フルーツ大統領活動休止。
1999年、baseよしもとが開場。テレビ番組の初レギュラーも決まった矢先、相方の古高が「公務員になる」と言いだす。
2001年、スキヤキ解散。一時は自身も芸人を辞めようかと悩んだが、ケンドーコバヤシに説得されたこともありピン芸人、土肥耕平として活動開始[2]。2001年、初ソロライブ。土肥ポン太に改名。木村明浩(バッファロー吾郎)が「中継先の、ポンちゃ〜ん」と呼びやすいからという理由で名つけた。baseよしもとのメンバーとして、神戸ワールド記念ホールにて6000人ライブ。
2002年、baseよしもとのメンバーとしてお笑い史上最大となる3万人ライブに出演。2003年 うめだ花月開場に伴い、baseよしもとを卒業。
2004年、かねてからアルバイトしていた八百屋から独立し、八百屋経営を開始する。2004年12月21日、Zepp Osakaで開催された「バトルオワライヤル」で優勝。2005年、『吉本超合金』(テレビ大阪)以来、テレビ出演での活躍も見られるようになる。
2006年、木村明浩に「今年はやりますよ」と宣言し、10年前のネタをやるスタンスを改め出した。しかし、上半期を過ぎた所で、ネタ帳を広げる姿が見られなくなり、司会者に「土肥さん、今日何のネタやるんですか?」と聞かれて、「いつものに決まってるやろ〜」と言う姿が目撃されている。
2007年、R-1ぐらんぷり2007で決勝に初進出し、結果は4位。2007年6月、自身のブログを設立。
2008年、R-1ぐらんぷり2008で二年連続決勝進出。エントリーナンバーが1番であり、優勝への思い入れは強かった[注 1]。大トリとなる8番手でネタを披露。生放送だったため最終結果発表までのCM中に急いで着替えて舞台に戻ったが、結果は8名中7位に終わった。
2008年5月15日、ポン太青果2号店オープン。2009年8月5日、八尾市の「八尾農産物大使」に選ばれた[3]。2014年12月21日には、ポン太青果を生野区から南港・ATCに移転オープン(2016年1月11日閉店)。
2012年2月、活動拠点を東京に移す。理由として、京橋花月の閉館に伴う劇場出番の減少、全国区になるためなどを挙げている[4]。ただし2015年7月現在、母親と大阪で2人暮らしであることがバラエティ番組『メッセンジャーの○○は大丈夫なのか?』(毎日放送)に出演した際に流されたVTRで明らかになった。
2015年、劇団☆感情線(げきだん かんじょうせん)を旗揚げ。劇団☆新感線の弟分を勝手に名乗っているだけで、オフィシャルな分派ではない[5]。
米・食味鑑定士の資格を取得している[6]。
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