土建屋 よしゆき(どけんや よしゆき、1955年〈昭和30年〉10月25日[1] - 2014年〈平成26年〉7月31日)は、京都府京都市伏見区に在住し、主に関西で活動していたタレント。 概要 どけんや よしゆき 土建屋 よしゆき, 本名 ...どけんや よしゆき土建屋 よしゆき本名 廣部 吉行生年月日 (1955-10-25) 1955年10月25日没年月日 (2014-07-31) 2014年7月31日(58歳没)出生地 京都府京都市伏見区死没地 京都府京都市国籍 日本職業 タレント活動期間 1980年代 - 2014年活動内容 ローカルタレント配偶者 あり事務所 オフィスとんで主な作品 『紳助の人間マンダラ』『クイズ!紳助くん』テンプレートを表示閉じる 本名:廣部 吉行。所属事務所はオフィスとんで。 概要 本業は“土建屋(土木建設業)”の大型重機オペレーターであり、土建屋の格好をしているのが特徴。島田紳助とは学生時代からの同級生で、その縁で一時期は紳助の番組に多数出演していた。趣味はモータースポーツ全般。 島田紳助が監督した鈴鹿8耐のレーシングチーム「チーム・シンスケ」ではピットクルーとして活躍。『紳助の人間マンダラ』(関西テレビ)出演時には番組からマレーシアを横断する国際格式のラリー「アジアクロスカントリーラリー」に長原成樹をナビに出場し、3位表彰台の実力を発揮する。他にも、スーパー耐久にてエンドレスとコラボし、社員ドライバーである藤村満男とコンビを組んで、1998年の第6戦ツインリンクもてぎに出場、クラス11位完走を果たした。免許は大型自動車、大型二輪、大型特殊、土木関係一式、4級船舶、PADIなどを取得。気のおけない仲間たちと「チーム土建屋あほなおっさんブラザース」というツーリングチームを結成し、リーダーとして毎年、春から秋の好天に限りバイクツーリングを楽しんでいた。過去最大74台を引き連れての壮大なツーリングを敢行したこともある。 『紳助の人間マンダラ』では、競艇、ウェークボード、ミニバイク、カート、スノーボードといったスポーツを何でもこなし、紳助より“スーパー40歳”の称号を受けた。また、同番組において、「廣部 吉行と六甲アイランズ」というコーラスグループを結成し、紳助作詞、高原兄作曲のCD「大阪の女」を発売。 一時期、仕事を巡って紳助と確執を起こしたため、一旦関係が断たれたが、その後、友人関係などは修復している。2009年の『FNS26時間テレビ』(フジテレビ)内の『笑っていいとも!増刊号スペシャル』のコーナー「テレフォンショッキング」に紳助がゲスト出演した際には、花を贈っているが、飾られたのはスタジオ内ではなく、ロビーだった。 2008年9月に原因不明の大病である抗リン脂質抗体症候群を患い、一時は生死の境を彷徨うほどの重体だったが奇跡の復活を遂げ、『Like a Wind』(サンテレビ)に出演し、元気な姿を見せていた。その後、京都の病院で療養していたが、2014年7月31日午前11時46分に肝不全のため58歳で死去した[2][3]。8月3日に行われた通夜には紳助も参列し、8月4日の葬儀・告別式にはオール巨人ら約200人が参列した。 エピソード 酒が全く飲めない。 子供を動物園に連れて行った際に、間違った動物の名前を子供に刷り込み覚えさせて、妻と喧嘩になったことがある。 出演 テレビ番組 クイズ!紳助くん (朝日放送)元パネラー LALAバイク パラダイス (テレビ大阪) 紳助の人間マンダラ (関西テレビ)元レギュラー 紳助の狼が来たーッ!(よみうりテレビ、1992年 - 1993年)レギュラー Like a Wind (サンテレビ) スローライダー (京都チャンネル、2005年4月 - 9月) ラジオ番組 MBSヤングタウン木曜日(MBSラジオ)[1] 島田紳助のスーパーギャング (TBSラジオ)不定期ゲスト CM オウミ住宅(一旦終了後、リメイクされてOA中) ゴルフキッズ (京滋地区・2005年5月 - ) 脚注 [脚注の使い方] [1]『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、112頁。 [2]“土建屋よしゆきさん死去、58歳…紳助さん同級生、関西で活躍”. スポニチ Sponichi Annex (2014年8月2日). 2020年7月30日閲覧。 [3]訃報 - ウェイバックマシン(2014年8月8日アーカイブ分) 関連項目 京都府出身の人物一覧 円広志 (所属事務所の設立者)外部リンク 公式プロフィール - ウェイバックマシン(2009年12月17日アーカイブ分)Wikiwand - on Seamless Wikipedia browsing. On steroids.