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1969年に公開された日本のアニメ映画 ウィキペディアから
『千夜一夜物語』(せんやいちやものがたり)は、虫プロダクションが製作した劇場用アニメーション映画である。予告編等では「アニメラマ」のキャッチフレーズが付けられた。有名な一大説話集『千夜一夜物語』を自由奔放に翻案し、一人の冒険商人を中心とした一大叙事詩が描かれる。配給は日本ヘラルド映画。封切は1969年6月14日。日本初の大人のためのアニメーション映画[1]である。
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貧乏な水売りアルディンは、バグダッドの奴隷市場で売られている美女ミリアムに魅了され、竜巻のどさくさで彼女を誘拐する。二人は束の間の愛を育み、ミリアムは身ごもるものの、野心的な官吏バドリーが使う40人の盗賊に捕らえられてしまい、バドリーの邸宅で娘ジャリスを出産した直後にミリアムは世を去った。アルディンが拷問を受けていたが脱走してバドリー亭にたどり着いたがミリアムはちょうど亡くなっていた。失意のアルディンは盗賊の娘マーディアと共に女護島に着くと、女であるマーディアは放逐され、アルディンは女性のみの島で快楽の時をすごす。しかし彼女たちの正体は蛇だった。ほうほうのていで島を逃げ出したアルディンは、いろいろな経緯の末に魔人の所有物であった魔法の船を得て、世界の海を渡り歩いて巨万の富を得て大金持ち商人となり船乗りシンドバッドと名乗るようになる。
15年の時が過ぎ、アルディン=シンドバッドはバグダッドに戻る。同じ頃、ミリアムとアルディンの間に生まれた娘ジャリスの成長した姿もそこにあった。シンドバッドは王位を賭けた財宝比べの勝負でそれまでの王に替わってバグダッドの王となる。王となったシンドバッドは外征や天に達する塔を建築するなど放蕩の限りを尽くし、さらに、自分のハレムに娘ジャリスを迎え入れてしまう。狡猾に王に取り入っていたバドリーはシンドバットとジャリスを近親相姦の罪で告発するが[注 1]、魔王女ジニーの転機で難を逃れ、また仇敵バドリーはマーディアの弓に倒れる。シンドバッドは結局王位を追われて斬首刑にならんとするまさにその時、塔は倒壊してその隙にバグダッドを脱出する。王の座によっても得るものはなかったと悟ったシンドバッドは、再び元のアルディンに戻って新たな旅に出る。
漫画家手塚治虫は幼少期からアニメーションに強い興味を持ち、1960年には東映動画の長編第三作である『西遊記』に参画、翌年には虫プロダクションを設立し『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』などの黎明期のテレビアニメーションを創出した。また『ある街角の物語』などの大人向けの実験作品を自主製作していた。
1967年秋[注 2]、当時洋画配給会社であった日本ヘラルドより、手塚に自社製作の作品製作について打診があった。両者により、アニメーション作品にすること、大人ものの、エロチズムを含む大衆娯楽作品とすることとの方針が決定し、企画は手塚側に任された。手塚は、当初ヨハン・ファウストの映像化を企画し[注 3]、メフィストフェレスを女性とするなどのアイデアも出されたが、同時期に、リチャード・バートン、エリザベス・テイラー主演の『ファウスト悪のたのしみ』が公開されることとなり取り下げられた。他『デカメロン』なども候補にあがったものの、性的表現もあり、かつまた当時翻訳が複数の出版社から出されたこともあって、『千夜一夜物語』を取り上げると決まった。
日本ヘラルドと虫プロとの契約は、最終的に虫プロに過酷なもので1億円の配収でも赤字となる計算であった。これは、虫プロ側が制作費を調達できずヘラルドからの借り入れに頼る必要があったためという。それでも手塚は、この企画にゴーを出した。手塚自身も虫プロのスタッフも乗り気になってこの企画に邁進することになる。
あらすじにある通り、原案として『千夜一夜物語』を題材としているものの、本来のエピソードを縦断し自由にストーリーを組み立てている。また、本来アラビアンナイトとは関係のない女護ヶ島やバベルの塔のエピソードも組み込まれている。ストーリの骨子は、アルディンという野心ある若者が数々の冒険の結果地位と財産を得るものの結果としてそれらの無常に気づいてすべてを棄ててまた旅立つ、というストーリーにアラビアンナイトの数々のエピソードを絡ませた構成になっている。
プロットは当初手塚が書いたものを、『太陽の王子 ホルスの大冒険』の脚本を同じ時期に書いていた深沢一夫と、東京演劇アンサンブルの熊井宏之が手直しをした[注 4]。そうしてできた脚本に沿って手塚が絵コンテに書き起こした。その手塚の絵コンテに山本暎一がさらに手を入れて、それを元にしてストーリーボードが組み立てられた[2][3]。
このような複雑な製作過程を辿ったこと、漫画で多忙な手塚の絵コンテが遅延しがちであったことから、それに続く作画の過程に大幅な遅れを招き、製作の終盤には虫プロスタッフ全員が参加して(もちろん手塚自身も)不眠不休の製作現場となった。また外部の中小アニメ制作会社20社に外注が出された[1]。
美術とキャラクターデザインにやなせたかしを推薦したのは、当時虫プロから独立しアートフレッシュを設立していた杉井ギサブローである。杉井は本作のために原画として参加しており「大人のアニメ」であれば、「大人漫画」「ナンセンス漫画」で有名だったやなせがいいと、彼を引き入れたという。やなせは、背景美術の他にもストーリーボードの一部も描き、また一部はそのまま作品中にも流用されている。
また、やなせは本作のキャラクター造形に尽力した。主人公のアルディンは、ジャン・ポール・ベルモンドのイメージに声を当てた青島幸男のイメージを混ぜて組み立てたという。やなせは、キャラごとにイメージカラーを持たせるなどの造形を心がけた。ただ考証については不十分であったと語っている[4][5]。
マルチプレーン・カメラによる色彩豊かで立体的なスペクタクルシーンのほか、着色モノクロームのようなシーン、漫画のような平面的な構図、鉛筆画による動画など、シーンごとに毛色が異なる極めて多彩な表現が入り混じった一種独特のスタイルを持っている。これは、山本監督の実験精神と、各シーンを任せた作画担当者の作家性を重視したものである。スプリットスクリーンを用いた印象的なシーンも山本のアイデアである。一部のシーンでは、絵コンテもストーリーボードもない状態で作画を任せていることもある[6]。
また、作画監督の宮本貞雄は、キャラクターごとに担当を決め作画を担当させた。主人公アルディンや敵役のバドリーは宮本自身が、女性キャラは中村和子が、脇役の男性を波多正美が主に作画した[4]。
バグダッドの遠景や、塔の全景などがミニチュアで作られ合成された。製作は平松美術工房。山本監督によると、当初撮影時に通常のライトを当てて撮影したため非常にミニチュア然としたものになってしまい、急遽着色ライトに変更したという[4]。
これ以外にも、砂漠や海の背景が合成素材として用いられたり、また、竜巻のシーンは、洗濯機の渦巻きを撮影し合成した[3]。
本作の特徴の一つは大胆な性的表現がアニメーションで表現されている点である。ただし、直接的な描写は少なく、メタモルフォーゼや抽象表現を多用し、またあえてピンクのフィルターをかけるなどして扇情を煽る表現となっている。女護ヶ島におけるシーンは多くを杉井ギサブローが鉛筆で作画している。また、手塚自身の作画シーンもある。
音楽は、ジャングル大帝より手塚と懇意にしていた冨田勲が音楽を担当した。また、主題歌ともいうべき『アルディンのテーマ』を含むBGMの一部は、ロックバンドのザ・ヘルプフル・ソウルが担当。これは、音響監督の田代敦巳の推薦によるもの。テーマソングの印象的なボーカルを務めたチャーリー・コーセイは、この映画が縁となり、のちにテレビアニメ『ルパン三世』の主題歌や劇中歌を歌うことになる。
当時としても非常に豪華な声優陣である。主演の青島幸男は放送作家として、マルチタレントとして多忙を極め、また参議院選挙に当選直後であったが、企画を大いに気に入り承諾、熱演している。その他、岸田今日子、芥川比呂志、小池朝雄など、劇団雲のメンバーが脇を固め物語を格調高いものとしている。
また、本作で有名なのは各界著名人による「一言出演」である(キャストの「友情出演」欄を参照)。これは手塚治虫自身の発想で話題を盛り上げ観客動員に貢献したが、決定がクランクアップ直前であり、手塚自身が各出演者の承諾を取るたびに、音響監督の田代がハンディマイクを持って出向き録音したという[1]。
当時の劇場用アニメーションの例に漏れず、本作もプレスコで製作されている[3]。
興行成績は、配給収入で2億9000万円と大ヒットとなり、1969年の5位にランクする結果となった。しかし山本暎一曰く、膨れ上がった外注制作費もあり虫プロとしては赤字だったという[7]。さらに、ヒットが続いていたにもかかわらず劇場が石原裕次郎主演の大作『栄光への5000キロ』をブッキングしていたためロードショーが続かなかったことが配収に影響しているという[3]。
本作は公開時にこそ話題になったものの、ヌードや性描写があることからテレビ放送も少なく黙殺されがちであったが、LDやDVDにより比較的安価に視聴できるようになった。また2013年にはBSアニマックスにてノーカット放映された。また、虫プロの一連の実験作品と同列に評価すべきという意見もある[8]。
虫プロダクションと日本ヘラルドは、本作の興行的成功に伴い、翌1970年、より大衆娯楽に徹した「アニメラマ」第二作、『クレオパトラ』を製作した。
東映は、本作に便乗した純粋なポルノアニメ映画『㊙劇画 浮世絵千一夜』を1969年10月に公開、また1971年9月には同じ日本ヘラルド映画が谷岡ヤスジ原作の『ヤスジのポルノラマ やっちまえ!!』を公開したが、いずれも満足の行く興行成績を残せなかった。
結果として第三作の『哀しみのベラドンナ』の公開は3年後の1973年に持ち越され、「アニメロマネスク」なるキャッチフレーズで文芸色を狙ったが興行的に惨敗し、虫プロダクション倒産の一因となった。これ以後は劇場用の「大人のためのアニメ」はしばらく製作されなくなる。
アニメーション史研究家の津堅信之は、「もしも虫プロが倒産していなければ、『鉄腕アトム』によってテレビアニメ時代を切り開いたのと同じ構図で、アニメラマ路線が新たなアニメの分野として切り開かれる事になっていたかも知れない」と述べている[9]。
前述の通り製作が大幅に遅延したため、劇場公開時に一部の映像が完成しなかった。そのため、現在見られる『完成版』とは異なるバージョンで封切直後は公開され、その後漸次差し替えられた。現在見られるバージョンとは以下の点で異なり、また上映時間も若干短かったと思われる。このバージョンは、状態の悪いプリントが現存している[1]。
本作品は、当初2時間23分で完成したものの、映倫の指摘により2時間8分[11]に短縮編集して公開されたという[12]。 山本監督へのインタビューによると、カットされたのは
だというが、山本の記憶では15分ものカットを行った記憶はないとの事。また、カットされたシーンを復活させた事もないとの事なので、このバージョンを現在観る事は不可能である[3]。
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