十八松平

松平氏の主要な支族の総称。時代・文献により構成は異なる ウィキペディアから

十八松平(じゅうはちまつだいら)は、松平氏の一族のうちで、徳川家康の時代までに鼠算式に分家したルーツを持つ松平家の俗称。徳川宗家を含める場合もある。家康の祖父・松平清康までの庶家に限定する場合もある。また、十四松平ともいわれる。

「十八松平」は、「松」の字を分解し十八公とする中国の慣習から着想されたという説[1]があり、十八という数は実数ではないとも指摘される[2]

十八松平

要約
視点

三河松平氏とされ、庶家の十八家をさすといわれる(『国史大辞典』)。また「三河十八松平」ともいう[3]。『改正三河後風土記』では「三州十八松平」と記載される。具体的に三河松平氏のどの庶家が十八松平を指すかは書物によって異なる。

松平宗家
  • 岩津松平家 - 四代松平親忠の嫡男松平親長の流れで本来の宗家とされる。三河額田郡岩津(愛知県岡崎市岩津町)を領し、京都の政所伊勢氏に出仕した。
後の徳川家
十四松平 - 江戸時代に存続し『寛政重修諸家譜』に記載された松平庶流十四家[4]
家系が断絶した松平家
  • 西福釜松平家 - 安祥松平親忠の七男松平親光の流れ。三河鴛鴨城(愛知県豊田市鴛鴨町)を居城としたため、押鴨松平家、鴛鴨松平家とも。
  • 鵜殿松平家 - 安祥松平信忠の三男康孝の流れ。松平康孝が領していたことから、この家を三木松平家と呼称する場合がある。       
その他

江戸十八松平

江戸時代に、徳川将軍家から特に公的な文章などで用いる称号「松平姓」を許された大名のうち、下記の18家を指す[3]。 『古事類苑』では、「他氏十八家」と呼ぶ。[5]

譜代大名

下記の8家。

外様大名

下記の10家。

脚注

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