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京都府与謝郡野田川町の丹後山田駅から、同郡加悦町の加悦駅までを結んでいた鉄道会社 ウィキペディアから
加悦鉄道(かやてつどう)は京都府与謝郡野田川町(現・与謝野町)の丹後山田駅(現・京都丹後鉄道宮豊線与謝野駅)から、同郡加悦町(現・与謝野町)の加悦駅までを結んでいた私鉄である。かつてはニッケル鉱石の輸送にも大きな役割を果たしたが、自家用車の普及による地元住民の利用減少とニッケル鉱石輸送の終了に伴う赤字のため、1985年(昭和60年)5月1日に全線が廃止された。
ニッケル鉱石輸送の関連から日本冶金工業のグループ企業であり、社章についても共通である[注 1]。鉄道事業の廃止後は社名をカヤ興産に変更して存続していたが、2011年(平成23年)4月1日には宮津港運と合併し宮津海陸運輸となっている。
丹後山田駅と南西部の加悦町を結んでいた路線で、当初は沿線の特産品である丹後ちりめんを京阪神地区に輸送することを主目的として、沿線住民823名の出資により1925年(大正14年)設立され、1926年(大正15年)に開業した。1934年(昭和9年)からは、バス事業も開始し、加悦から丹後山田までを結んでいた。丹後山田駅は国鉄宮津線に乗り入れる中核駅として宿場町的な役割を担い、駅前の旅館「大正亭」には、大きな風呂敷包みを抱えた行商人らがよく泊まったという[1]。その後、加悦駅の南西にある大江山でニッケルの採掘が開始されたため、1940年(昭和15年)に大江山ニッケル鉱山への貨物専用線[2] が開業し、1942年(昭和17年)には丹後山田駅から北東の岩滝町にある精錬所(日本冶金工業大江山製造所)への専用線[2] も開通した。
戦時中は、鉱石のほか外国人捕虜も運び、元加悦町長の細井拓は、後年「片言の英語で話しかけた英国人の捕虜は友好的だった」と語っている[1]。
戦後、大江山でのニッケル採掘が中止されたため加悦 - 大江山間の専用線は撤去(ただし、法的には加悦鉄道廃止まで廃止手続きは取られていない)されたが、岩滝工場への専用線は同工場で精錬する輸入ニッケル鉱を輸送するため存続した。モータリゼーションの進行により旅客輸送量が減少する一方、明治・大正時代に製造された古典蒸気機関車をはじめ、「マッチ箱」と呼ばれる木造2軸客車、国鉄から購入した客車改造のキハ08形気動車など希少車・珍車の宝庫として知られ、多くのファンを集めた。会社側もやがて観光鉄道を目指すようになり、グッズ類の販売等にも力を入れるようになった。
ディーゼル機関車が不足した場合に他の私鉄から機関車を借り入れたこともあった。別府鉄道からDC302や北陸鉄道からも借り入れたという。
しかし、1985年(昭和60年)3月14日の国鉄ダイヤ改正で宮津線の貨物輸送が廃止され、同線でのニッケル鉱輸送が不可能となったため、丹後山田 - 岩滝工場間の専用線も廃止を余儀なくされた。これにより、鉄道収入の6割を占めていた専用線の輸送業務委託料が失われ、赤字額の大幅な増大が見込まれたため、同年5月1日に全線が廃止された[3]。1985年(昭和60年)4月、加悦駅で行われた「加悦鉄道のお別れ式」では、車体に「さようなら」の5文字が書かれた2両の列車がゆっくり動き去るのを多くの住民が見守った[1]。
なお、運営会社の加悦鉄道株式会社は鉄道廃止以前から路線バスの運行のみならず、鉄道会社の事業展開としては異色の自動車整備業、建設業を営んでいた。廃止後にはカヤ興産株式会社と社名を変更し、前述の建設業・自動車整備業に加え、株式会社YAKIN大江山(当時)構内におけるニッケル運搬・構内機器整備等のほか、鉄道保存展示施設「加悦SL広場」の運営なども行っていたが、1999年(平成11年)にバス部門を加悦フェローラインに分社している(2009年(平成21年)に路線廃止・法人解散、特定貸切バスについてはカヤ興産が引き継ぐ)。
その後、2011年(平成23年)4月1日には日本冶金工業のグループ企業再編により、同社傘下の宮津港運株式会社との合併により宮津海陸運輸株式会社が設立された。宮津海陸運輸株式会社は「加悦SL広場」を引き続き運営していたが、2020年3月限りで閉園となった[4]。
加悦鉄道の廃線跡はサイクリングロードとして整備され、地域の中高生の通学路として活用されている[1]。
丹後山田駅は、加悦鉄道廃止後の1990年(平成2年)4月1日に野田川駅、2015年(平成27年)4月1日に与謝野駅と改称。
(工場駅)- 丹後山田駅 - 水戸谷駅 - 丹後四辻駅 - 加悦谷高校前駅 - 三河内口駅 - 丹後三河内駅 - 加悦駅 - 櫻内駅 -(鉱山駅)
廃止時点で蒸気機関車 (SL) が2両、ディーゼル機関車 (DL) が3両、気動車が4両、客車が3両、貨車が2両在籍していたが、そのうち、気動車1両とディーゼル機関車1両、及び蒸気機関車、客車、貨車は本線で使用されなくなっており、後述の加悦SL広場で保存・展示された。
先述のとおり使用されていたのは上記の車両だが、加悦SL広場保存車として以下の車両が在籍していた。
このほか以下の車両が加悦SL広場以外の場所で保存されている。
廃線後、軌道敷跡はカヤ興産が請負いサイクリングロード「加悦岩滝自転車道線」として整備されている。
加悦駅は鉄道廃止前から「加悦SL広場」として整備され、加悦鉄道で使用されていた気動車やイギリス製2号蒸気機関車などの鉄道車両が展示されていた。加悦SL広場は1996年(平成8年)に加悦駅跡から鉱山駅跡に移転した。加悦SL広場は2020年(令和2年)3月31日に閉園した。
また、加悦駅のあった場所(京都府与謝郡与謝野町加悦庁舎)の近くでは、特定非営利活動法人加悦鐵道保存会が与謝野町から管理運営業務を受託し、加悦鉄道資料館(旧加悦駅舎)を運営している。
1934年時点で加悦町-丹後山田駅間7.4キロを運行していたが1941年8月にバス事業は休止にのち廃止。再開したのは1952年5月になってからであった。1954年になり宮津駅まで延長した。
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