則武 (名古屋市)
名古屋市中村区の地名 ウィキペディアから
則武(のりたけ)は、愛知県名古屋市中村区の地名。現行行政地名は則武一丁目及び則武二丁目。住居表示実施済み[WEB 5]。
地理
歴史
町名の由来
中世に「則武」と称されていたことによる。当地を治めていた人名に由来するとされるが、定かではない[1]。
地名は鎌倉時代には既に見え、1320年(元応2年)に愛智頼貞が安堵した地として「尾張国愛智郡則武名」が史料上に現れる[1]。また、翌1321年(元亨元年)付の史料に「尾張国成武郷」とある。1446年(文安3年)付の『北野社松林坊所領注進状写』に「則武北一色」、1511年(永正8年)付の石山寺所蔵礼札に「尾張州愛智郡則武郷五女子」とあり[2]、中村区南東部から中川区五女子・北一色町あたりまでが「則武郷」と呼ばれていたらしい。なお近世以降の史料では「則武庄」と呼称されている。
行政区画の変遷
則武町
- 1878年(明治11年)12月28日 - 愛知郡中島村・中野高畑村・大秋村が合併し、同郡則武村が成立。このとき、一部が名古屋市西区に編入される[3]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 合併により、愛知郡鷹場村大字則武となる[3]。
- 1906年(明治39年)5月10日 - 合併により、愛知郡中村大字則武となる[3]。
- 1921年(大正10年)8月22日 - 合併により、名古屋市西区則武町となる[3]。
- 1934年(昭和9年)6月1日 - 一部が中区に編入され、同区則武町が成立[3]。
- 1937年(昭和12年)10月1日 - 西区則武町の一部が中村区に編入され、同区則武町が成立[3]。また、中区則武町は中村区に編入され、同区則武町に合流[3]。
- 1940年(昭和15年)5月18日 - 中村区米野町・牧野町の各一部が同区則武町に編入される[3]。
- 1981年(昭和56年)4月29日 - 西区則武町の一部が則武新町三丁目・名駅二丁目にそれぞれ編入され、鉄道敷地にあたる部分のみを残す[4]。
- その他、中村区則武町は、椿町・竹橋町・若宮町・則武一丁目・則武二丁目・鷹羽町・則武本通・中島町・名楽町・賑町・羽衣町・大門町・寿町・日吉町・道下町・鳥居通・上ノ宮町・本陣通・森田町・十王町・大日町・佐古前町・井深町・藤ノ宮通にそれぞれ編入される[3]。
- 西区則武町は、名駅一丁目・江西町・牛島町・則武新町・輪ノ内町・中村区広井町にそれぞれ編入されている[4]。
則武一丁目・則武二丁目
世帯数と人口
2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
1995年(平成7年) | 2,571人 | [WEB 6] | |
2000年(平成12年) | 2,492人 | [WEB 7] | |
2005年(平成17年) | 2,303人 | [WEB 8] | |
2010年(平成22年) | 2,698人 | [WEB 9] | |
2015年(平成27年) | 2,488人 | [WEB 10] |
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 11]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 12]。なお、小・中学校は学校選択制度を導入しておらず、番毎で各学校に指定されている。
丁目 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|
則武一丁目 | 名古屋市立ほのか小学校 | 名古屋市立笈瀬中学校 | 尾張学区 |
則武二丁目 | 名古屋市立牧野小学校 名古屋市立ほのか小学校 | 名古屋市立黄金中学校 名古屋市立笈瀬中学校 |
交通
- 環状線(名古屋市道名古屋環状線)
- 清正公通
- 駅西銀座通(名古屋駅西銀座商店街)
施設
則武一丁目
- チサン イン 名古屋
- 愛知商銀本店
- アオキーズピザ本社
則武二丁目
- 名古屋市中村消防署椿出張所
- 椿神明社
- 名古屋椿郵便局
その他
日本郵便
脚注
関連項目
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