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兵庫県尼崎市にある高等学校 ウィキペディアから
兵庫県立尼崎高等学校(ひょうごけんりつ あまがさき こうとうがっこう)は、兵庫県尼崎市北大物町にある公立の高等学校。大正末期1923年に尼崎市立の中学校(旧制)として創立した。通称は「県尼」(けんあま、市立の尼崎高校〈いちあま〉と区別するため)。
1923年(大正12年)尼崎市に尼崎市立尼崎中学校(旧制)として創立した(文部省告示第183号3月20日付で開校を認可[1]。のちに兵庫県立尼崎中学校に改称[2])。
太平洋戦争後の学制改革に伴い、新制の高校「兵庫県立尼崎高等学校」に改編。全日制普通科を設置した。
昭和20年代、30年代はスポーツも強く、県大会で決勝戦へ進出する常連校で、硬式野球部は甲子園(大会)に春・夏あわせて5回出場(昭和30年と昭和34年には、準決勝まで進出)。プロ野球界に進んだ卒業生もいる。
校訓は、「自主」を柱にして、「根性」と「聡明」の3つ。
教育課程は、普通科1学年240名[3]と別枠で、“教育と絆”コース(教育総合類型を2014年から改編。1学年あたり40名[3])があり、保育士や小学校・中学校・高等学校の教員になりたい生徒が教員養成系の大学や短期大学を目指すコースである(推薦入試で生徒を募集[4])。
大正時代、尼崎市への県立中学校(旧制)設置の要望が高まり、1916年に県に陳情したが財政難を理由に拒否。第2代市長の上村盛治を中心に市立で中学校を建設する市民運動が発生し寄附も相次いだ。それでも建設資金が不足したため、運送業を営む佐古寛一(のちの日本通運取締役)が中心となり「芝居」を興業して残る資金を調達。市民ら649名の寄付をもとに学校が発足した[5]。
平成27年(2015年)度の推薦入試で英語の出題に不備があった。アルファベットを並べ替えて、正しい単語の綴りを答える設問だったが、不要なアルファベットを含めて出題されていた[7]。
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