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日本の政治学者、歴史学者 (1943-2024) ウィキペディアから
五百籏頭 眞(いおきべ まこと、1943年〈昭和18年〉12月16日 - 2024年〈令和6年〉3月6日[1])は、日本の政治学者、歴史学者(日本政治外交史)。国際問題評論家。位階は従三位、勲章は瑞宝大綬章[2]。
文化功労者顕彰に際して 公表された肖像写真 | |
人物情報 | |
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生誕 |
五百籏頭 眞(いおきべ まこと) 1943年12月16日 兵庫県西宮市 |
死没 |
2024年3月6日(80歳没) 兵庫県神戸市 病死(急性大動脈解離) |
居住 | 日本 |
国籍 | 日本 |
出身校 |
京都大学法学部卒業 京都大学大学院法学研究科修士課程修了 |
両親 | 五百籏頭眞治郎(神戸大学名誉教授) |
子供 | 五百籏頭薫(東京大学教授) |
学問 | |
研究分野 |
政治学 歴史学 |
研究機関 |
広島大学 神戸大学 防衛大学校 |
博士課程指導学生 |
井上正也(慶應義塾大学教授) 服部龍二(中央大学教授) 簑原俊洋(神戸大学教授) 村井良太(駒澤大学教授) ロバート・D・エルドリッヂ(元在沖縄米軍海兵隊外交政策部次長) |
主な業績 |
『米国の日本占領政策』の執筆 『日米戦争と戦後日本』の執筆 『占領期』の執筆 |
主な受賞歴 |
サントリー学芸賞(1985年) 吉田茂賞(1990年・1999年) 吉野作造賞(1998年) 従三位(2024年) 瑞宝大綬章(2024年) |
学位は法学博士(京都大学・1987年)。専門は日本政治外交史、政策過程論、日米関係論。 公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長、前兵庫県公立大学法人理事長、神戸大学名誉教授、防衛大学校名誉教授、熊本県立大学特別栄誉教授、文化功労者。
姓の「籏」は「旗」の異体字、名の「眞」は「真」の旧字体であるため、五百籏頭 真、五百旗頭 眞、五百旗頭 真とも表記される。
広島大学政経学部助教授、広島大学法学部助教授、神戸大学法学部教授、防衛大学校長(第8代)、公立大学法人熊本県立大学理事長(第2代)、兵庫県公立大学法人理事長(第3代)などを歴任した。日本政治学会理事長、日本学術会議会員、公益財団法人国際文化会館評議員、ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長。
2011年(平成23年)4月に創設された東日本大震災復興構想会議議長を務め、次いで2012年(平成24年)2月に創設された復興推進委員会委員長を2013年(平成25年)3月まで務める。
兵庫県西宮市の苦楽園口駅の近くで神戸大学教授・五百籏頭眞治郎の5男(8人兄弟の6番目)として生まれる。1962年(昭和37年)六甲高等学校、1967年(昭和42年)京都大学法学部卒業。1969年(昭和44年)同大学院法学研究科修士課程修了。学部・大学院を通じて猪木正道に師事。猪木に勧められ、当時助教授であった高坂正堯の自主ゼミにも参加した。1987年(昭和62年)京都大学より法学博士の学位を取得。
広島大学政治経済学部助手・講師・助教授を経て、1981年(昭和56年)より神戸大学法学部教授、2000年(平成12年)から2006年(平成18年)7月まで同法学研究科・国際協力研究科教授を務めたのち退職し、神戸大学名誉教授の称号を受ける[3]。その後、2006年8月に防衛大学校長に就任(2012年3月まで)。2012年(平成24年)4月より公立大学法人熊本県立大学理事長、公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長。2018年(平成30年)4月より公立大学法人兵庫県立大学(現・兵庫県公立大学法人)理事長[4](2023年(令和5年)3月末で任期満了)。
この間、ハーバード大学(1977年〈昭和52年〉-1979年〈昭和54年〉、2002年〈平成14年〉-2003年〈平成15年〉)、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(1990年〈平成2年〉 - 1991年〈平成3年〉)で客員研究員、日本政治学会理事長(1998年〈平成10年〉 - 2000年〈平成12年〉)を歴任。政府関係の委員として、小渕恵三首相時代に官邸に設置された有識者会議「21世紀日本の構想」懇談会の外交分科会(第1分科会)座長、小泉純一郎首相時代に設置された私的諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」委員、福田康夫首相の私的懇談会である「外交政策勉強会」の座長、2007年(平成19年)12月に設立された政府の有識者会議である「防衛省改革会議」(2009年〈平成21年)10月に解体)委員を務めた。
現在は日中両政府に報告・提言を行う日中両国の有識者による会議「新日中友好21世紀委員会」委員(2003年〈平成15年)12月 - )、一般社団法人アジア調査会会長[5]を務めていた。
1985年(昭和60年)、『米国の日本占領政策』でサントリー学芸賞受賞。他に吉田茂賞(2回)、吉野作造賞を受賞。2011年(平成23年)には文化功労者に選ばれる[6]。
1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災で、ゼミ生の一人を亡くす。亡くなったゼミ生は、ゴスペルシンガーの森祐理の実弟であり、告別式にはゼミ生が所属していた日本メノナイト・ブレザレン教団泉北キリスト教会で式辞を読んでいる。地元西宮市に本拠を置いた阪急ブレーブスのファンであった。
2019年(平成31年)2月、日本経済新聞において「私の履歴書」が連載された。
2020年(令和2年)6月18日付で、宮内庁参与に任じられた[7]。
2024年(令和6年)3月6日午後、自身が理事長を務める「ひょうご震災記念21世紀研究機構」(人と防災未来センター内)で執務中に、息苦しさなどを訴えて神戸市内の病院に搬送される[8]。同日、急性大動脈解離のため死去した[1][9][10]。80歳没。訃報に際し、天皇・皇后は侍従長を通じて遺族に弔意を伝えた。同年2月23日の天皇誕生日に天皇・皇后に面会したばかりであったという[10]。死没日をもって従三位に叙され、瑞宝大綬章を追贈された[11][2]。
一男四女あり。
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