久右ヱ門町
岡崎市の町 ウィキペディアから
久右ヱ門町(きゅうえもんちょう)は、愛知県岡崎市の町名。久右エ門町と表記されることもある。現行行政地名は久右ヱ門町1丁目と久右ヱ門町(丁目設定なし)。
地理
岡崎市の西部に位置し、中心街の一角に相応する。町内に丁目、番地を持つが小字は持たない。
番地
- 2
- 4
- 5
- 16
- 22
- 72
- 76
- 80
世帯数と人口
2019年(令和元年)5月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
1995年(平成7年) | 151人 | [5] | |
2000年(平成12年) | 140人 | [6] | |
2005年(平成17年) | 130人 | [7] | |
2010年(平成22年) | 128人 | [8] | |
2015年(平成27年) | 79人 | [9] |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。
歴史

額田郡岡崎久右衛門町を前身とする。 徳川家康の妻である築山殿が独立した屋敷を構え、この地域に居住していたとされる(『岡崎東泉記』)[11][12]。
町名の由来
沿革
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行に伴い、岡崎横町・岡崎亀井町・岡崎久右衛門町・岡崎魚町・岡崎康生町・岡崎材木町・岡崎十王町・岡崎松本町・岡崎上肴町・岡崎伝馬町・岡崎田町・岡崎唐沢町・岡崎島町・岡崎投町・岡崎能見町・岡崎八幡町・岡崎板屋町・岡崎福寿町・岡崎門前町・岡崎祐金町・岡崎裏町・岡崎両町・岡崎連尺町・岡崎六地蔵町・岡崎籠田町・菅生村・中村・梅園村・八帖村・六供村が合併し、岡崎町大字久右衛門町となる[13][14]。
- 1916年(大正5年)7月1日 - 市制施行に伴い、岡崎市大字久右衛門町となる[14]。
- 1917年(大正6年)7月1日 - 久右衛門町となる[15]。
- 1957年(昭和32年)11月15日 - 久右ヱ門町に改称し、1丁目と丁目なし区域を設定。門前町・伝馬町の各一部を編入、一部が門前町1丁目・花崗町1丁目・伝馬通2〜3丁目となる[13][15]。
交通
- 愛知県道477号東大見岡崎線
- モダン道路
- 別院前通り
施設
- 円頓寺
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
その他
日本郵便
脚注
参考資料
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.