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中島 陽典(なかじま ようすけ、1960年6月23日[1] - )は、日本の俳優、演出家である。ケイセブン中村屋所属。本名同じ[2]。
文筆業を行う場合、オクモト 陽典(オクモト ようすけ)の筆名で活動している。
愛知県名古屋市出身[2]。高校生時代に演劇に魅せられて上京[1]、日本大学芸術学部演劇学科中退[2]。大学入学後に劇団「GAYA」へ参加し[2]、同劇団の山田辰夫主演、大学の先輩石井聰亙監督の映画『狂い咲きサンダーロード』(1980年)でデビュー。翌1981年の映画『シャッフル』で初主演。
一時、芝居の活動に見切りをつけて文房具店に就職し[1]サラリーマンをした後、1984年、俳優の三浦洋一から勧められ[2]『日曜9時は遊び座です』(日本テレビ系)にレギュラー出演し、お笑いタレントとしても活動。困った場面に直面し「え〜い、踊ってしまえ!」と一人踊り始めるというのが、同番組出演時のギャグだった。
以降河合義隆、森田芳光、原隆仁監督作品などに出演。映画、テレビドラマ、舞台、オリジナルビデオ等で俳優・演出家として活動の他、CMのナレーションやエッセイ執筆なども行っている。
近親者の死に多数直面し、絶望を幾度となく経験していることを公式サイトで吐露している。また、C型肝炎が持病であることも公表している。しかし、本人はこれらの事実を客観視しており、「絶望と希望を客観的に観察してしまおう」という趣旨で、絶望と希望を数値化し「bo-bo-記」として同サイト上に記している[3]。また、人前で演じる俳優より裏方の演出家の方が好きであると明言している[4]。
『日曜9時は遊び座です』や『マイルド欽ドン!』で共演した萩本欽一をお笑いの師として仰ぐが、お笑いタレントとしては挫折し、お笑い一筋で大成した松本人志を尊敬すると語っている[4]。
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