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株式会社与野フードセンター(よのフードセンター、英: Yono Food Center Co., Ltd.)は、埼玉県さいたま市を中心に食品スーパーマーケットを展開する、さいたま市中央区の非上場企業。株式会社エコスの完全子会社。
この記事は広告・宣伝活動のような記述内容になっています。 (2022年1月) |
このページのノートに、このページに関する議論があります。(2022年10月) |
与野フードセンター 本社・彩鮮館与野店 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
日本 〒338-8567 埼玉県さいたま市中央区下落合1027 |
設立 | 1960年9月 |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 9030001008790 |
事業内容 | スーパーマーケットチェーンの経営 |
代表者 |
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資本金 | 5,000万円 |
売上高 |
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営業利益 |
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経常利益 |
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純利益 |
※1株当たり△2,061.52円 |
純資産 |
※1株当たり13.65円 |
総資産 |
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従業員数 |
513名 (2021年2月末現在) |
主要株主 |
エコス 100% (2020年9月1日現在) |
関係する人物 |
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外部リンク | https://www.eco-s.co.jp/yfc/ |
1960年(昭和35年)9月設立[1]。2020年(令和2年)7月、エコスが完全子会社化した[2][3]。
2024年2月末時点で、13店舗を展開している[1]。店舗ブランドはエコス傘下入り前からの「彩鮮館」「フードガーデン」「ワイ・バリュー」のほか、エコス子会社化後にエコスグループの「TAIRAYA」に転換した店舗もある(→#店舗を参照)。
与野フードセンター本社は埼玉県さいたま市の彩鮮館与野店に併設されていたが、建て替えに伴い与野フードスポーツセンター(一心館)に仮移転中[4]。
使用しているロゴマークは平仮名の「よ」と、八分音符「♪」を捩らせたようなデザインになっている。2020年現在の従業員の平均年齢は48.8歳[5]。
1960年(昭和35年)に元与野市長井原勇の兄で与野市議会議員(のちに埼玉県議会議員)の井原弥一郎と代議士福永健司秘書の正野三郎が「ダイエー創業者中内功の“店は客のためにある”という主婦の店運動に共鳴して」[6]旧与野市において創業したのが始まりである。
1972年(昭和47年)の初代社長・井原弥一郎の没後は正野三郎(専務、のちに代表取締役社長、代表取締役会長)、弥一郎の夫人・康子(代表取締役社長や代表取締役会長など)による経営を経て、弥一郎の長男で元与野市長井原勇の甥に当たり、東芝にコンピュータ関係の研究技術者として勤務しながら与野フードの非常勤取締役を務めていた[7]筆頭株主の井原實が1996年(平成8年)7月1日に副社長に就任し商品部・店舗運営部を業管し[8]、2年後の1998年(平成10年)10月26日には代表取締役社長に就任した[9]。
2008年(平成20年)10月には井原實が会長に退き、取引先からの紹介で外部から招聘されていたヨークベニマル出身の植松秀夫代表取締役副社長が昇格し代表取締役社長となったが、2011年(平成23年)1月15日付で健康上の理由により退任した為、井原が代表取締役社長に復帰[10]。また、エコスOBでエコス子会社「シーズンセレクト」(のちにマックスバリュ東海に売却)の代表取締役社長を務めた経験のある専務の永山竹敏が井原の信頼を得て社内での発言力を強める事となった。
高齢だったとはいえ、年末商戦を控えた時期に行われた突然の植松の退任発表は多くの店長や若手社員らを困惑させたが、最終的には彼の昔ながらの商人らしい気質や実直さ、裏表のない人柄は今時の経営者らしくはないかもしれないが得難いものであったと受け止められ、最後の店舗巡回の際には店長・従業員一同からの花束を渡す店舗もあり、皆から惜しまれつつの勇退となった。
その後はセルコチェーンを通じて関わりの深いエコスとの結び付きを強める中で、エコス副社長の木村幸治が与野フードの代表取締役社長を兼任する等、商品政策だけでなく経営幹部の構成にもエコスの意向や影響が色濃く現れるようになった。
1990年代半ばから、創業当初に開店させた駅前立地の小規模店舗の多数展開からの転換の第一歩として、1995年(平成7年)7月1日に既存の七里店(18年間営業)を高品質・高鮮度、低価格を両立させたDS(ディスカウントストア)業態に転換して「Yバリュー七里店」として新装開店した[11]のを嚆矢に既存店の業態転換を進めた[12]。
その一方で、Yバリュー業態の新規出店についても吉野町店などの3店舗の開店に続けて1997年(平成9年)12月13日に宮原西口店を開店する[13]など新たな主力業態としての展開を進めていった[14]。
Yバリュー業態より小規模な店舗に対しては、1996年(平成8年)12月6日に赤山店を90坪強から140坪に増床する改装を行ってYバリュー業態の思想を取り入れた小型店の新業態「彩鮮館」に業態転換し、その後に改装した小型店でも与野フードの店名は変更しなかったもののその思想を取り込んだ「ミニバリュー店」とし、1998年(平成10年)にも4店舗を「彩鮮館」に転換する[15]など小規模な店舗の改装により活性化を進める[16]と共に不採算店の閉鎖も進め、1999年(平成11年)8月には全30店舗中バリュー業態が15店舗と半数を占めるまでになった[17]。
こうした店舗の置き換え(スクラップアンドビルド)による営業力強化策の効果により、1998年(平成10年)8月期には売上高約350億円の増収増益となった[18]。
1999年(平成11年)3月27日、低価格路線のYバリュー業態に生鮮・日配品の専門性を高めて味の良さと選択の幅を強調する新業態「バリュー・フードガーデン」[19]の1号店として宮原東口店を開業し[20]、主力業態のYバリューでも地方中小メーカーのこだわり商品を扱うなど商品の選択の幅を広げる商品力の強化を図った[21]。
1999年8月期は387億円の売上高を目指していた[22]が、前年比で売上増は確保したものの目標は未達成となった[17]。
1999年(平成11年)10月23日に関西系スーパーのイズミヤが核店舗となっている栃木県小山市のJR小山駅前にある商業ビル内に「バリュー・フードガーデン小山店」を開業し、埼玉県外へ初めて進出するなど出店地域の拡大を図り[23]、
2000年(平成12年)3月に北足立郡伊奈町に雪印アクセス(現在の日本アクセス)に運営を委託し一括物流センターを稼動させ、各店舗での日配・グロッサリー商品の検品を廃止すると同時に毎日発注・毎日納品へ切替えることで店頭在庫を約40%削減するなど、チェーン店としての強みを生かした合理化を図った[24]。
しかし、2000年(平成12年)8月期は来店客数が増加したにも拘らず、客単価が前期比5%減と落ち込んだため売上高約344億円と売上が減少に転じることになった[25]。
2000年9月14日には「フードガーデン新座店」を開業。「キッチンサポートコーナー」や店内で食事が出来る「イートインコーナー」など新たなサービスコーナーを導入すると共に、ドラッグストアマツモトキヨシの併設やNTTドコモの携帯電話によるインターネット接続サービス「iモード」での情報提供などの新たな取組みを盛り込み[26]、特に「iモード」の活用はスーパー業界では先駆的な試みとして注目を集めた[27]。
しかし、小規模な店舗が競合で劣勢になって苦戦するなどしたため2001年(平成13年)8月期は前期比6.5%減の売上高約321.7億円へ売上が一段と落ち込むことになった[28]。
その為、惣菜・半調理品などの中食やミールソリューションと呼ばれる分野の強化や低価格商品とこだわり商品の拡充、店舗大型化と新規出店などの対策を進める2002年(平成14年)8月期からの中期四か年計画を立て[29]、2006年(平成18年)8月期の売上高の目標を390億円とした[30]。
その一環として2004年(平成16年)2月10日に初の自社開発PB(FOOD GARDEN SELECTION)50品目を発売。その他、FSP(優良顧客拡大)を目的に2002年から運用をスタートさせていた独自のポイントカード『ワイワイポイントカード』から得られる各単品の販売情報をメーカー・卸と共有し販促計画・手法へのフィードバックを試みた「YF共同マーケティング研究会」の発足[31]、『ワイワイポイントカード』会員の携帯電話への各店舗オリジナルの「ワイワイ特売情報」のメール配信等、より一層地域に密着した店舗作りを目指す取り組みを進めた[32]。
2004年8月期に「フードガーデン」3店舗(春日部大沼・佐知川・戸塚安行)を開業する一方で小型店1店舗(深谷)を閉店するなどの対応を取ったが、競合他社の出店攻勢の影響で既存店売上が上期が7%減で下期が4%減となったため2004年8月期の売上高は約275億円へと落ち込むことになった[32]。
こうした競争激化に対応するため2005年(平成17年)8月期に小型店中心に7店舗(本町・江戸袋・伊奈栄・久喜・鴻巣東・行田・小山)を閉鎖。期末時点で店舗網を24に縮小して埼玉県内に経営資源を集中させ、売上高も前期比11%減の約250億円にまで縮小となった[33]。
2004年(平成16年)には東京都への出店も具体化して物件の検討も進められた[34]が、県内への経営資源を集中するという方針の展開に伴い立ち消えとなった。
こうした事業規模縮小による経営建て直しを進めた為、2005年3月に「フードガーデン日進店」をYバリューからの業態転換や敷地の移動を伴う大型改装による再開業[35]後、2010年(平成22年)2月に「フードガーデン北与野店」(クイーンズ伊勢丹跡地の居抜き出店)を開業するまでの5年間に渡り新規出店は凍結され[36]、2010年2月時点で22店舗へと店舗網を縮小することになった。
その後、2011年(平成23年)3月の東日本大震災直後こそ一時的な特需があったものの、復興期に入ると競合店の進出が相次ぎ、それに対する本部主導での有効な策が打ち出せないまま複数の店舗が営業不振による閉店に追い込まれ、2020年(令和2年)7月には、かつて30以上あった店舗数はその半分以下の14店舗にまで落ち込んだ。
長年に渡り深刻な経営不振に沈み、2019年8月期は8億6500万円の大幅な最終赤字。2014年8月期から売上高は30億円近く減少し、この間、最終損益は赤字続き。店舗閉鎖などに伴うリストラ費用が損益を圧迫した。本業のもうけを示す営業損益も2018年8月期から赤字に転落した[37]。
正野が経営トップだった時代からコンスタントに掲載されていた日本食糧新聞のトップインタビュー記事がこの頃からほとんど無くなった事もあり、非上場企業である為に経営状況などが外部から見えづらいブラックボックス状態が続いていた。
債務超過寸前で辛うじて踏みとどまる中、2019年(令和元年)11月12日、翌年9月末日を目処に発行済株式の全てをエコスが取得し完全子会社化する方針が発表された[38]。
エコス・与野フードともに中小規模のスーパー各社により構成されるボランタリーチェーン「協同組合セルコチェーン(セルコグループ)」に属しており、両社の創業者がセルコ役員を兼任するなど以前よりセルコを通じて強い結び付きがあった。その縁もあり、エコス子会社「マスダ」の社長を兼任した経験のある[39][40]木村幸治エコス取締役副社長が2018年(平成30年)から兼務で与野フードセンターに代表取締役副社長として派遣され[41](のちに代表取締役社長に昇格[38][42])経営支援を行っていた。2019年8月期に8億円を超える最終赤字を計上したのも、エコスが主導して資産整理や人員圧縮など事業構造改革を集中的に実施した為とみられる。積年のうみを相当程度出し切ったタイミングを捉え、与野フードセンターの子会社化が決定された[37]。
2020年(令和2年)5月には木村がエコス取締役副社長を任期満了により退任[42]し、与野フードセンター代表取締役社長専従となった。
2020年7月14日、エコスと与野フードセンター株主(契約締結時は代表取締役会長井原實が100%所持)との間で株式譲渡契約が締結された。取得株式数は370,374株。取得価額は非公開だが「適切なデューデリジェンス(資産査定)を実施の上、公正妥当と考えられる金額にて取得して」いるとの事。2019年11月の発表では2020年9月末日に最終契約締結の予定だったが、実際にはそれよりも約2ヶ月半早まり、株式譲渡実行日も2020年9月1日に前倒しされた[2][43]。
2020年9月1日よりエコスのホームページ(以下HP)にマスダ等の他の子会社と共に与野フードがグループ会社としてロゴ入りで掲載され、彩鮮館・Yバリュー・フードガーデンの各店舗もエコス・たいらや等の店舗と並んで紹介されるようになった。
与野フードの既存HPは2020年7月の春日部大沼店の閉店告知が掲載されなかったりスタッフブログの更新が止まる等、子会社化発表前と比べて情報の精度が下がりながらも2020年9月1日以降もエコスHPと併存していたが、翌10月上旬頃からアクセス出来なくなり、エコスHP上のみでの情報開示に一本化された。
与野フード本社のFacebook・一部店舗のtwitterアカウントは未だ残っているものの、現在は運用されていない。
なお、2019年11月にエコスから子会社化の方針が発表されて以降2020年9月の完全子会社化および10月のHP閉鎖に至るまでの間、与野フード既存HP上で一般消費者等に向けた子会社化についての具体的な発表・説明が行われる事はなかった。
2002年から彩鮮館与野店やフードガーデン等の新店を中心に実験的に導入され、やがて与野フード全店が対象となった『ワイワイポイントカード』は完全子会社化以降エコスグループ全店で利用可能となっていたが、2022年(令和4年)6月30日を以て取り扱いを終了しエコスグループ全体で展開している電子マネー機能付の新『ハッピーカード』(2020年10月より導入)に完全移行した(エコス既存の『ハッピーカード』『たいらやメンバーズカード』も同時に終了)[44]。
2022年(令和4年)4月26日にフードガーデン宮原東口店をエコスグループの店舗ブランド「TAIRAYA」へ転換、以後数店舗で同様に「TAIRAYA」へのリニューアルが行われている(→#TAIRAYAへ転換した店舗を参照)。
()内は住所、開業年月日、店舗面積など。<営業時間は公式ホームページを参照>
Yバリュー業態の思想を取り入れた食料品・日用品を扱う小型スーパーマーケット。元々はYバリュー業態よりも小さな既存店を業態転換するために作られた業態であった[15]。生鮮食材の取扱に重点を置いた業態コンセプトで複数の店舗を展開したが、現在残っているのは与野店のみ。
Y-VALUE(ワイ・バリュー)は、1995年(平成7年)7月1日に業態転換した七里店[11]から展開したディスカウント型の大型食品スーパー業態[15]。新規出店の他、与野フード店舗を衣替えした店舗も多かった[13]が、その後ほとんどの店舗はフードガーデン業態に再転換、あるいは競合店進出の影響で閉店に至る等している。
フードガーデン(「FOODGARDEN-VALUE-」=バリュー・フードガーデン=とも)は、1999年(平成11年)より展開している与野フードの新形態スーパーマーケット。
「豊富な品揃え・エンターテインメント・くつろぎ・ミールソリューション」のコンセプトの大規模な店舗で食品・日用品を多数揃える[30]ほか惣菜品のインストアキッチンの面積を増やすなど惣菜系統の取扱を強化し、イートインコーナーを設けている新座店[26]のような店舗もある。
新規出店当初は他チェーンとの差別化を図る為中国茶コーナーや癒しコーナーを設けて、茶葉と茶器・アロマオイルや入浴剤・今までの食品スーパーではあまり見られなかったファンシー雑貨の類の導入が行われたが、従来の食品・日用雑貨との仕入慣習の相違への対応が不十分だった為に過剰在庫の問題を引き起こし、売上も低迷した事から数年で大幅に縮小された。
新規出店のほか、日進店・七里店・白鍬店など与野フード→Y-VALUE→FOODGARDENと複数回に渡り業態変更をしながら、昭和の与野フード草創期から営業を続けている店舗もある。
2000年代 - 2010年代の長きに渡り将来的にも主力として展開する業態とされてきた[32]が、1号店の宮原東口店開店から20年以上が経過しコンセプトや品揃えが時勢や各店の地域性に本当にマッチしているのかといった抜本的な見直しが必要な時期を迎えており、今後のエコスの判断が注目される。
この節の加筆が望まれています。 |
地場系の中小スーパーマーケットで構成されるボランタリーチェーン「セルコチェーン(全国セルコグループ)」の代表を正野三郎が1993年(平成5年)に勇退するまで務めた[68]。
その後、2002年(平成14年)6月に社長の井原實(のちに代表取締役会長→子会社化以降は代表権の無い取締役名誉会長[69])が副理事長[70]、2007年(平成19年)5月31日から副理事長との兼任で本部機能を担っている日本セルコの社長[71]、2021年(令和3年)6月2日には理事長に就任した[72]。セルコチェーンの中核企業の1つであり、関東城西セルコに所属している[27][73]。
2003年(平成15年)度より浦和レッズのオフィシャルスポンサーとなり、浦和レッズのグッズや焼酎「浦和の涙」の販売をしている。
長年、店舗の利用客や従業員を対象にレッズの試合時のビューボックス席への招待企画や選手との交流会・子どもたち対象のサッカー教室などが開催されている[74]。
2022年(令和4年)現在、24企業からなる『オフィシャルパートナー』のうちの1社として埼玉縣信用金庫、JAグループさいたま、でんきち(家電量販店)などと共に浦和レッズの活動を支えている。
さいたま市中央区新中里には、同社のスポーツセンター「一心館」がある。
1933年(昭和8年)に初代社長井原弥一郎の父・和一(わいち)が青少年育成の為に私財を投入して建てた武道場の名がその由来となっている。
1980年(昭和55年)に正野三郎社長が創業20周年の記念事業として「与野フードを育ててくれた市民への御恩返し」の為に場所を移して再建[61]し、現在も地域の少年少女たちの剣道・柔道などの武術の稽古場として使用されている。
さいたま市中央区・与野本町駅が最寄りの彩の国さいたま芸術劇場を運営する公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団のサポーターを長年務めている。
他にサポーターとなっている企業はしまむら、十万石ふくさや、ハイデイ日高、埼玉りそな銀行、埼玉縣信用金庫など。
さいたま芸術劇場は蜷川幸雄のシェイクスピア公演場所としても有名だが、そのような優れた舞台芸術を提供するだけでなく県民の日々の稽古の場、練習の場として、またその成果の発表の場として提供し埼玉県民の芸術・文化活動を広く支援するという役割も担っており[75]、身近な芸術施設として地元住民に親しまれている。
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