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キャプテン翼の登場人物 ウィキペディアから
ポジションはMF・DF。東京都武蔵野市出身[1]。小学生時代は翼に勝る技術を持ち(ロベルト本郷をして「完成している」と言わしめたほど)、キャプテンとしても優れた統率力や戦術眼を持ちながらも、心臓の持病のために数分程度しかピッチに立つことができず[2]、「ガラスのエース」「フィールドの貴公子[1]」などと呼ばれた悲劇の天才マルチプレイヤー。この頃、日向小次郎は小学生全国大会制覇のため、若林源三と三杉を偵察しに行っており、翼が全国的に無名だったのとは対照的に、若林と共に三杉は全国的に名が知られていた。心臓病のハンデ、テクニック、統率力など、全てで翼を上回っていた当時、翼に「勝てない」と瞬間的に思わせた選手であった[3]。ジュニアユース編のアルゼンチン戦で翼と日向が「心臓病さえなければ日本一になれたかもしれない男」と評している。
作中では女性人気が非常に高く、小学生時代から「三杉ファンクラブ」が存在する[4] など親衛隊からは黄色い声援が飛ぶ。中学生時代に元ブラジル代表のソクラテスのように、医師とサッカー選手の夢を両立させることを心に決めた。高校時代は表舞台に立つことなくリハビリに専念していたが、その甲斐あって心臓病はほぼ完治した[1]。以降はブランクを埋めるべく努力し、ワールドユース時代にドライブシュートをマスター。それまではヨハン・クライフに憧れMFとしてプレイしていたが、ユース代表では主にDFとしてプレイ[1]。以降はフランコ・バレージのような名リベロを目指している。背番号はMF時代は憧れの選手であるヨハン・クライフと同じ14を基本的に使用[5]。DFへとコンバートした後はフランコ・バレージと同じ6を主に使用している。ただしジュニアユース時代はコーチも兼ねた選手として活躍していたため、24を使用した。
2001年のJリーグ・FC東京開幕戦では、東京スタジアム(現・味の素スタジアム)の電光掲示板に三杉のアニメ画像が登場した[1]。
東城学園小サッカー部(東城学園小学校[6]) - 武蔵ジュニアFC[7] - 武蔵中学校サッカー部(武蔵中FC)[8] - 武蔵医科大学附属高校(テレビ平成版では武蔵高校)- 海南医科大学 - ベルマーレ平塚 (現湘南ベルマーレ) - FC東京
単純な能力値だけなら主人公の翼をも凌ぐほど高く、ガッツ以外の能力値は日本選手の中では最強。しかし心臓病設定も再現されておりガッツ関係で不利な補正が施されている。具体的には「II」-「IV」ではガッツの消費量が他の選手よりも大きく、回復量も小さい。さらに出場した試合でガッツを減らしすぎると(「II」では顔グラフィックが青くなってしまい)、次の試合はガッツ0に固定されてしまう。ガッツを減らしすぎないように運用すれば連続出場も可能。
特殊チームコマンド「ファストブレイク」[14]を持ち、使用すると味方全員が一斉にオーバーラップしてゴール前になだれ込む。松山の「雪崩攻撃」と似た作戦。ただし、「IV」まではオフサイドがないため、ファストブレイクをオフサイドトラップとして使うことはできない。
「V」では「アジアカップの章」で日向・新田不在による攻撃力不足を補うため、FWとしてフル出場する。心臓に負担がかかり決勝戦途中で倒れてしまう(そしてストーリーの都合で強制交代)が、弥生の適切な応急処置によって試合終了後には歩けるようになるまで回復した。
武蔵医大付属高校(II) - 武蔵ローレルス(IV)
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