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江戸時代後期の大名 ウィキペディアから
一柳 末英(ひとつやなぎ すえふさ[4])は、江戸時代中期から後期にかけての大名。播磨国小野藩6代藩主。官位は従五位下土佐守、左京亮。『寛政重修諸家譜』編纂時の当主である。
安永4年(1775年)8月15日、10代将軍徳川家治にお目見えする[4]。安永8年(1779年)9月16日、父の隠居で家督を継ぐ[4]。同年12月16日、従五位下土佐守に叙任する[5]。安永9年4月18日、初入国する許可を得る[3]。駿府加番となった。
文化元年(1804年)7月5日、病を理由に次男・末昭に家督を譲って隠居し、文化7年(1810年)7月14日に53歳で死去した[2]。墓所は東京都渋谷区広尾の祥雲寺。
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