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訓点を付すことにより、漢文の語順構成を維持しながら日本語の文体で読み進めること ウィキペディアから
古くは乎古止点(をことてん、旧:をことてむ)によって、漢文に「を」や「こと」などを補うのに興り、返り点(かえりてん、旧:かへりてむ)で読む順番を示したり、送り仮名や句読点、片仮名などで日本語の訓で読む助けにしたりして発展した。ヲコト点・返り点・送り仮名・振り仮名などを総称して訓点という[1]。
漢文を訓読の形にして読解したものを、個別言語・クレオール言語の一種として漢文訓読語(かんぶんくんどくご、英語: Kanbun)あるいは単に訓読語(くんどくご)と呼ぶ。漢文訓読自体は漢文が中国大陸から入るようになった古代の段階で既に存在したと考えられているが、その語形が表記されるようになったのは、9世紀頃とされている。漢文訓読語では、文章そのものには触れず、読解時に日本語の文法に合わせて上下を転倒して適切な助詞・助動詞・活用語尾などを補い、それ以外のものは漢語として読んでいく方法が取られる。そのため、訓読自体も漢語の影響を受けやすく翻訳口調になることもある。一方で、その歴史の長さから古い日本語の形態を現代に伝える読み方や反対に仮名文字の発生以後行われなくなってしまったものや類似の意味の日本語に置き換えられたものもある。
また、漢文訓読語においては、音韻面ではイ音便は~テ・~デ、ウ音便は~ス・~シテに続く場合が多いが助動詞のイ音便・ウ音便は少ない。チ・リからッに転じる促音便が多い(ただし古くは大文字のツを用いた)。撥音便では、ニ・リ・ビ・ミからンに転化したものが訓読には多いが反対に助動詞の撥音便は少ない。これは通常行われていた古代日本語とは反対の傾向を示している。語法面では「来る」「蹴る」は一般的なクル・ケルとは読まずにキタル・クヱルと読ませていた。使役用法に用いるサスは用いずにシスを用いた。打消のザリの連体形ザル・已然形ザレは訓読独自の用法であり、一般的にはそれぞれヌ・ネを使用した。推量のラム・メリ・ケム・ラシ、伝聞推定のナリ・係助詞のコソは訓読では少なく、係助詞ナムや終助詞・間投助詞はほとんど用いられなかった。反対に比況のゴトシは本来は訓読のみに用いられた用法であった。
漢文訓読は9世紀頃までは個々の間で比較的自由に解釈されていたと見られている。ところが、10世紀に入ると家学(お家流)の成立によって菅原氏・大江氏・藤原氏など紀伝道・明経道のそれぞれの家(いわゆる「博士家」)で漢文訓読の流派が成立し、更にそれぞれの一族内でも家系によって訓読方法が異なる例もあった。また同様に、漢文経典を採用していた仏教の宗派間でも経典の訓読方法が宗教的な論争に至る例もあった。とはいえ、漢文訓読体という1つの表現手法が広く日本社会で受容されたのがこの時期であったのも事実である。
13世紀に宋学や禅宗が伝来すると、当初はこれらも従来の漢文訓読で解釈されていた。だが、口語体の変化に伴う乖離の拡大と博士家による独占的な漢文訓読の強要に反発して、岐陽方秀や桂庵玄樹ら禅僧を中心に新たな訓法(漢文訓読法)を模索する動きが強まり、中世後期から近世にかけてより口語に近い漢文訓読や反対により原文に忠実な漢文訓読なども行われるようになった。
仏教界では自己宗派の正当性に関わる問題だけに、漢文訓読の方法論の改革には慎重な姿勢がみられた。在家信者の勤行では、仏教経典の読経は字音直読のみで行うのが普通である。寺院における僧侶の読経については、多くの宗派において、字音直読による読誦とあわせて、漢文訓読による読誦も行われている。ただし、漢文訓読による読誦は「正行」ではなく「助行」と位置づけられることが多い。
江戸時代から明治初期の知識人は、漢文を教養素地として漢文訓読を重要視してそれぞれの受けた教育や立場に基づく漢文訓読を行う態度を示している。なお、江戸時代から明治期に、「漢文訓読語」で初版が出版され、その後、復刻されたものとして、『和漢三才図会[2]』、『標註訂正康煕字典[3]』などを挙げることができる。
現在の学校の教科書に見られる漢文訓読法が確立したのは意外に新しく、明治の末年である。江戸時代までは、各藩の藩校や漢学者の学統ごとに、異なる風格やスタイルの漢文訓読が行われていた。明治時代、近代的な学校制度の整備が進み、全国一律の漢文教育が行われるようになると、文部省は、服部宇之吉をはじめとする当時の学者に依頼して、教科書用の漢文訓読法の整理統一を進めた。その結果は、明治45年(1912年)に「漢文教授ニ関スル調査報告[4]」として発表された。その後、今日に至るまで、これに替わる公的な指針を政府は示していない[5]。21世紀現在でも、文部省の検定教科書に掲載する漢文や、大学の入学試験に出題される漢文については、「漢文教授ニ関スル調査報告」が示す漢文訓読法の基準に依拠している。
漢文訓読したものを更に日本語の文体として書き直した日本語文章を漢文訓読文(かんぶんくんどくぶん)あるいは単に訓読文(くんどくぶん)と呼ぶ。一般に訓み下し文・書き下し文とも呼ばれている。訓読したものを日本語の文章にしたものであるから文語体の仮名交文として表記され、日本語の口語文にまで直したもの(現代語訳)は含まれない。
普通は漢字片仮名交り文で書かれるが、全文平仮名文、全文片仮名文の例も存在し、漢文訓読文をそのまま引用する場合にはその原文に従って引用されるのが一般的である。また、近年においては片仮名を原文の漢字に対する振り仮名、平仮名を原文に付されたヲコト点に対して用いる訓点資料もある。
漢文訓読文は奈良時代から行われていたことが、『続日本紀』宣命から推定されている。訓読記号を持つ現存最古の資料の1つに奈良時代の写本『続華厳経略疏刊定記』があり、語順符という読み順を示す漢数字が付けられている。奈良時代末期の延暦2〜7年(783-788)ごろ付けられたと考えられる。全文に訓点が施されているわけではないが、読解のための補助的な役割をしていたと考えられる[6][7]。また、『枕草子』や『源氏物語』などにも漢文訓読文からの引用部分が見られる。中世以後、初学者や民衆向けに漢文訓読体で書かれた歴史書や儒学書、仏教経典などが現れるようになったほか、軍記物語などにも影響を及ぼしている。江戸時代には庶民向けを中心に広く定着した。なお、明治から昭和前期にかけて公文書や新聞・雑誌に用いられた「普通文」と呼ばれる文語文(文語体日本語)は漢文訓読体の影響を受けて発達した文体であると考えられている。
漢字の周りや内部に点や棒線などの符号をつけることによって、その符号の位置で助詞や助動詞などを表し、音節など区切りを示して訓読の補助にする。博士家点[8]の右上から時計回りに「ヲ、コト、ト、ハ、…」となることから乎古止点と呼ばれる。
奈良・平安時代には始まったとされ、流派や時代によってそれぞれ符号の数や位置が異なり、その中で朝廷の儒者であった清原家によって使用された明経点や、菅原家の儒者によって定められ、院政期以降に用いられた紀伝点など、百を超える種類があるといわれている[9]。
語の読む順を示すときに用いられた補助記号で、字の左上に書かれるレ点のほか、字の左下に書かれる一二三点や上(中)下点などがある[10]。
まず返り点を無視して一度読んだ後、返り点に従ってもう一度読む文字のことを再読文字という。書き下し文にする場合は、一度目の読みは漢字で、二度目は平仮名で書く。例えば、
という文の「猶」は再読文字であり、「なホ…ごとシ」と読む。書き下し文にすると、
となる。再読文字には他にも、「未(いまダ…(セ)ず)」「将(まさニ…(セ)ントす)」「宜(よろシク…(ス)べし)」などがある。
原漢文にないが、日本語の訓読文で必要な言葉を補って訓読することを補読(ほどく)と言う。
副詞化された名詞には、「のごとく」「もて」「として」の何れかを補う。
Unicodeでは、3190から319Fのコードポイントにかけて上記返り点と、文字同士をつなげる縦線が定義されている[18]。ただし、一レ点、上レ点などはない。
記号 | Unicode | JIS X 0213 | 文字参照 | 名称 |
---|---|---|---|---|
㆐ | U+3190 | - | ㆐ ㆐ | IDEOGRAPHIC ANNOTATION LINKING MARK |
㆑ | U+3191 | - | ㆑ ㆑ | IDEOGRAPHIC ANNOTATION REVERSE MARK |
㆒ | U+3192 | - | ㆒ ㆒ | IDEOGRAPHIC ANNOTATION ONE MARK |
㆓ | U+3193 | - | ㆓ ㆓ | IDEOGRAPHIC ANNOTATION TWO MARK |
㆔ | U+3194 | - | ㆔ ㆔ | IDEOGRAPHIC ANNOTATION THREE MARK |
㆕ | U+3195 | - | ㆕ ㆕ | IDEOGRAPHIC ANNOTATION FOUR MARK |
㆖ | U+3196 | - | ㆖ ㆖ | IDEOGRAPHIC ANNOTATION TOP MARK |
㆗ | U+3197 | - | ㆗ ㆗ | IDEOGRAPHIC ANNOTATION MIDDLE MARK |
㆘ | U+3198 | - | ㆘ ㆘ | IDEOGRAPHIC ANNOTATION BOTTOM MARK |
㆙ | U+3199 | - | ㆙ ㆙ | IDEOGRAPHIC ANNOTATION FIRST MARK |
㆚ | U+319A | - | ㆚ ㆚ | IDEOGRAPHIC ANNOTATION SECOND MARK |
㆛ | U+319B | - | ㆛ ㆛ | IDEOGRAPHIC ANNOTATION THIRD MARK |
㆜ | U+319C | - | ㆜ ㆜ | IDEOGRAPHIC ANNOTATION FOURTH MARK |
㆝ | U+319D | - | ㆝ ㆝ | IDEOGRAPHIC ANNOTATION HEAVEN MARK |
㆞ | U+319E | - | ㆞ ㆞ | IDEOGRAPHIC ANNOTATION EARTH MARK |
㆟ | U+319F | - | ㆟ ㆟ | IDEOGRAPHIC ANNOTATION MAN MARK |
という句があり
と返り点を付されていたとき、まず下、二が付されている字を飛ばして次の字へ読み進む。レ点はそれが付されている字の上の字を飛ばして付されている字をまず読み、つぎに上の字に返って読めという指示である。次の字に新たに返り点があればそれに従う。即ち、例句は
(楚人に盾と矛と[20]を鬻ぐ者有り) [21]という順で読むということを示す。 (「鬻」は「ひさぐ」。売ること。 「與」は「ともに」)
最後に現代日本語に訳すると
漢字3文字の場合(ABCの順に読むものとする)は、読む順番6通り全てを返り点(とハイフン)で表すことができる。
漢字4文字の場合は(ABCDの順に読むものとする)読む順番は理論上24通りとなるが、×印を付けたものは返り点(とハイフン)で表現できない順番である。
日本において独自に発達したと考えられているが、朝鮮半島の釈読口訣や、契丹、ウイグルなどにおいても同様の返り読みの試みが見られ、自国の言語で訓読的な解釈方法が行われた地域が必ずしも日本に限定されたものではなく、中心地域の権威語に対する周辺諸地域における共通の受容法ではないかとする動き[25]もある。
江戸時代の蘭学の時代には、オランダ語の文章を漢文のように訓読して読解することがあり、その流れで明治期の英語教育でも漢文のように英語を訓読していた。英文の返り点は、漢文式では例えば「I love レyou」や「I have二 a dream一」などといった具合であった。ただ欧文(蘭文・英文)訓読の場合は漢文式の返り点法ではどうにも返り点を付けられない場合も多々あり、そういった場合などは一語ずつ順番を示す方法が取られていた。一語ずつ順番を示す方法のみを採用した書籍も多く、その方法での例は「O一 yes二. May四 Jane一 go三, too二?」(欧文訓読による訳文:「ヲー然リ、ゼーンガ亦行キ得ルカ」)などというものであった。その表記方法も漢数字だったりアラビア数字だったり、あるいは「上中下点」に相当するものだとアルファベットだったりと統一されていなかった。
欧文訓読でできた日本語の訳文は、直訳的な方法であったため、日本語としては不自然なものも多くあったが、そのような訳文の表現は、やがて日本語の新たな表現として使用されるようになったものも多い。例えば、
などといったものがそれであり、「翻訳調」、「欧文脈」、「欧文直訳的表現」などと呼ばれている。 [26]
明治も半ばを過ぎると、欧文訓読や表記としての英文返り点は廃れ、和訳文も直訳調から以前よりはこなれた日本語になったものが多くなっていった。この戻り訳的な手法は、問題点として、前述のように直訳的な方法であるため日本語としては不自然になることが多々あるのと、英文読解には役立つが、英語で話すことやリスニングには向かないことが挙げられる。そのため時代が下るにつれて、英語教育は英語を英語で考えることがもてはやされ、それが主流となっていった。
一語ずつ順番を示す方法の場合、蘭文訓読の十干の返り点では「癸」まで全て使った上に十二支の「子」から「辰」まで使った例があり、英文訓読の漢数字の返り点では「廿」を使った例もある。[27]
大学の中国文学科などで漢文を読む際は、1.訓読、2.現代中国語発音での音読、3.両者併用、の3パターンが主にあり、大学教員それぞれに異なる[28]。
倉石武四郎は、学者は訓読でなく中国語発音での音読により漢文を読むべきだと主張した[29]。江戸時代の荻生徂徠も同様の主張をした[29]。吉川幸次郎も同様の主張をしたが、漢詩に限っては訓読のほうが良いとした[29]。岡田正三や安達忠夫は日本語発音での音読を提唱した[29]。
土田健次郎は、中国の古典が日本の古典でもあるという歴史的経緯の観点から、訓読を軽視すべきでないとしている[28]。フランス国立東洋言語文化学院(INALCO)でも、日本学の一環として訓読が学ばれている[28]。
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