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岐陽 方秀(きよう/ぎよう ほうしゅう、1361年(康安元年/正平16年)/1362年(康安2年)- 1424年3月3日(応永31年2月3日))は、南北朝時代から室町時代前期の臨済宗の僧である。俗姓は佐伯氏。初名は岐山道秀(生秀とも)。号は不二。
讃岐の生まれ。幼年期に実父が北陸へ亡命したため、実母と共に上洛し祖父から儒学を学ぶ。後に祖父及び母の命により仏の道を開き、剃髪して霊源性浚の門人となる。
その後、周防の長寿寺や生まれ故郷の讃岐の道福寺、鎌倉を行脚し、南部仏教を学んだ。道福寺では住職にもなった。京都に戻った後、性浚からの恩恵により1411年(応永18年)に東福寺の第80世住職となる。また、1418年(応永25年)には天竜寺の第64世住職にもなった。後に南禅寺の第97世や常陸の普門寺の住職にもなるが、病により辞退し、晩年は東福寺の境内にある不二庵(霊雲院)を建立し、隠居した。
書物特に儒学もよくし、『四書集註』に訓点を加えた事で一躍有名となった。また、当時室町幕府の将軍であった足利義持に仕えた学者ともなった。入滅後、隠居した霊雲院に方秀の石像が建てられ、重要無形文化財に制定された。
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