ミツワ石鹸
かつての日本の化学製品メーカー ウィキペディアから
ミツワ石鹸(ミツワせっけん)は、1860年から1975年にかけて、日本国で石鹸・洗濯洗剤の製造販売を行っていたメーカーおよび同社の販売する石鹸のブランド。また、2008年に玉の肌石鹸により設立され2014年まで事業を行っていた石鹸のメーカーである[1]。
概要
前身の会社は1975年に業績不振に陥って倒産し、事業は同社が旭電化工業、第一工業製薬と共同で設立した日本サンホームの後身であるプロクター・アンド・ギャンブル・サンホーム(P&Gサンホーム、現・P&Gジャパン)に継承された。
2007年に玉の肌石鹸が「ミツワ石鹸」の商標権を取得、2008年4月1日に、同社が全額を出資し、子会社として「ミツワ石鹸株式会社」を設立したが、2014年12月31日をもって事業の一部を玉の肌石鹸に譲渡して業務を終了した。
歴史
- 1860年(万延元年)三輪善兵衛(みわ ぜんべえ)により江戸・日本橋(現在の東京都中央区日本橋)にて丸見屋が創業される[2]。当初は化粧品の製造販売が中心だった。
- 1910年(明治43年)ミツワ石鹸の発売を開始。これ以後、石鹸を中心に家庭用洗剤・医薬品(大衆薬)・医薬部外品を中核にする。
- 1911年(明治44年)日本初の肝油ドロップを発売[3]。
- 1953年(昭和28年)日本初の薬用石鹸「ミューズ」発売。
- 1954年(昭和29年)テレビCMを放送開始。バトンガールと呼ばれる3体の人形を使用し、三木鶏郎作曲の、覚えやすい特徴的な歌に合わせ、踊っているうちにミツワ石鹸の商標を表すものだった[4]。
- 1964年(昭和39年)商号をミツワ石鹸株式会社に変更。
- 1969年(昭和44年)旭電化工業、第一工業製薬と合弁で家庭用石鹸・洗剤部門を統合した日本サンホームを設立。
- 1972年(昭和47年)米国プロクター・アンド・ギャンブル社(P&G)との資本・業務提携に反対したことから日本サンホームを離脱。上記2社との合弁・提携を解消するも、日本サンホーム向け製品は引き続き子会社のミツワ化成が生産した[5]。
- 1975年(昭和50年)事業継続を断念し倒産。同社の生産設備及び商標権は旧日本サンホームとの関係からP&Gが取得した[6][7]。
- 2007年(平成19年) 玉の肌石鹸(墨田区)が「ミツワ石鹸」の商標権をP&Gから取得。
- 2008年(平成20年)4月1日 同社が全額を出資し、子会社のミツワ石鹸株式会社を設立・業務開始し、33年ぶりに「ミツワ石鹸」が復活した[8]。
- 2014年(平成26年)12月31日 玉の肌石鹸に事業の一部を譲渡して廃業。
主な商品
旧ミツワ石鹸
- ミツワ石鹸 - 倒産後の1983年頃にP&Gサンホームから復刻版が発売されていた。
- ミューズ(薬用石鹸、ミツワ石鹸時代から続く古参ブランド。現在はレキットベンキーザー・ジャパンが販売。)
- プラス(洗濯洗剤)
- プラスZ(台所洗剤)
- デミス(男性用バス化粧品、デミス・全身シャンプー、デミス・ヘアシャンプー・デミス・ヘアリンス、デミス・トニックシャンプー)
- ミツワ肝油ドロップ
その他の商品についてはP&G製品一覧参照。
新ミツワ石鹸
- ミツワローズ石鹸[9]
- ミツワ クラシック石鹸
- 香りの泡せっけん ボディソープ
- ミツワ薬用石鹸 メディカ
テレビスポンサード番組
CM出演者(旧ミツワ石鹸)
脚注
関連項目
外部リンク
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