玉の肌石鹸
日本の企業 ウィキペディアから
概要
1892年(明治25年)に墨田区緑に「芳誠舎」として創業した[1]。同社は昭和30年代にミヨシ油脂傘下の企業となり、ミヨシ油脂の石鹸製造部門を分離分社化し、新たにミヨシ石鹸を設立し、製造を玉の肌石鹸、販売をミヨシ石鹸が担うこととなった[1]。
その後、玉の肌石鹸がミヨシ石鹸の株を取得して同社を子会社化した[1][2]。
昭和40年代に玉の肌ブランドはいったん消滅していたが、2003年(平成15年)よりオリジナルブランド「TAMANOHADA」として復活した[1]。なお、2007年(平成19年)に「ミツワ石鹸」の商標権を取得したが、ミツワ石鹸は2014年(平成26年)に廃業した[1]。
沿革
- 1892年(明治25年) - 芳誠舎設立、石鹸の製造を開始。
- 1910年(明治43年) - 「丸見屋」にミツワ石鹸納入。
- 1915年(大正4年) - 「玉の肌」を正式に商標登録。
- 1916年(大正5年) - 創業者の保々誠次郎没。
- 1923年(大正12年) - 関東大震災により工場全焼。
- 1924年(大正13年) - 大震災から約10ヶ月で生産再開。
- 1929年(昭和4年) - 合名会社芳誠舎石鹸製造所に改組。
- 1942年(昭和17年) - 天皇・皇后および宮家へ「菊」石鹸を献上。
- 1945年(昭和20年) - 終戦大空襲により工場全焼。
- 1948年(昭和23年)
- 工場を再建し生産再開。
- 「株式会社芳誠舎」に改組。
- 1960年(昭和35年) - 社名を芳誠舎から玉の肌石鹸に改名。
- 2003年(平成15年) - オリジナルブランド「TAMANOHADA」を展開。
- 2007年(平成19年) - 「ミツワ石鹸」の商標権をプロクター・アンド・ギャンブル(P&G)から取得。
- 2008年(平成20年) - 4月1日付で、100%子会社のミツワ石鹸株式会社を設立・業務開始。33年ぶりにミツワ石鹸の商品が復活したが、2014年12月31日を以て廃業した。
- 2012年(平成22年) - パーム油の認証制度であるRSPO(持続可能なパーム油のための円卓会議)に加盟。
- 2016年(平成28年) - ミヨシ油脂との合弁会社であるミヨシ石鹸を完全子会社化。
関連会社
- ミヨシ石鹸株式会社
主な商品
- TAMANOHADA
備考
脚注
外部リンク
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