マット・ガーザ

メキシコ系アメリカ人の野球選手 (1983 - ) ウィキペディアから

マット・ガーザ

マット・ガーザMatt Garza、本名:マシュー・スコット・ガーザ(Matthew Scott "Matt" Garza, 1983年11月26日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州セルマ出身のプロ野球選手投手)。右投右打。現在はフリーエージェント。愛称はザ・カウント[1]

概要 基本情報, 国籍 ...
マット・ガーザ
Matt Garza
Thumb
ミルウォーキー・ブルワーズ時代
(2014年5月22日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州セルマ
生年月日 (1983-11-26) 1983年11月26日(41歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2005年 ドラフト1巡目(全体25位)でミネソタ・ツインズから指名
初出場 2006年8月11日 トロント・ブルージェイズ
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
閉じる

経歴

要約
視点

ツインズ時代

Thumb
ミネソタ・ツインズ時代
(2006年9月24日)

2005年MLBドラフト1巡目(全体25位)でミネソタ・ツインズから指名され入団。

2006年にマイナーリーグの3つの階級で14勝4敗・防御率1.99を記録し、USAトゥデイ・マイナーリーグ年間最優秀選手賞を受賞。8月11日にメジャーデビューを果たし、メジャ―1年目は10試合に登板し、5勝6敗・防御率5.76の成績で終えた。

ベースボール・アメリカ誌の有望株ランキング2007年版ではツインズ球団内で1位[2]、メジャー全体で21位にランクされ[3]、2007年は開幕から先発ローテーション入りが有力視された[4]。しかし、2007年は開幕をAAA級ロチェスター・レッドウイングスで迎え、メジャー初登板は7月2日7月の月間防御率は1.37だったが、8月9月は4点台を上回った。この年は16試合に登板し、うち15試合で先発として投げた。成績は、防御率3.69・5勝7敗・WHIP1.54だった。

レイズ時代

Thumb
タンパベイ・レイズ時代
(2010年2月21日)

2007年11月28日デルモン・ヤングブレンダン・ハリスら3対3のトレードジェイソン・バートレットらとともにタンパベイ・レイズへ移籍[5]

2008年はレギュラーシーズンで11勝9敗・防御率3.70を記録。ボストン・レッドソックスとのアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズでは2勝を挙げ、MVPに選出された。

2009年も、フルシーズン先発ローテーションに入って32試合に登板。リーグ平均値以上の防御率 (3.95) を記録したが、得点力やリリーフ陣の実力に差がある同地区の強豪球団、ヤンキース (対戦防御率2.08) やレッドソックス (同2.72) 相手に多く登板した事もあり、好投しながら8勝12敗と負け越した[6]。なお、189奪三振はチームトップ[7]、リーグ9位の好成績だった。

2010年7月26日デトロイト・タイガース戦ではレイズ史上初のノーヒットノーランを達成。この年は防御率3.91・15勝10敗という成績を記録、実力に見合う勝ち星を挙げてデービッド・プライスと共に、レイズの先発ローテーションを支えた。また、メジャー初セーブも記録している。一方で課題もあり、リーグワースト4位の28本塁打を浴びた。

カブス時代

Thumb
シカゴ・カブス時代
(2011年7月7日)

2011年1月8日にトレードでシカゴ・カブスへ移籍した[8]。この年は31試合に先発登板。打線の援護に恵まれない中[9]、2年連続2ケタ勝利となる10勝10敗を記録。防御率3.32・197奪三振 (リーグ9位) は共に自己ベストであり、キャリアを通じて最高級の成績を残した。

2012年、先発ローテーションで例年通りのピッチングを見せていたが、7月21日の試合で肘に違和感を発症し、3.0イニング投げたところで降板した[10]。炎症が発生していた為、そのままDL入りしてシーズンを終えた[10]。その為、最終成績は18試合の先発登板で防御率3.91・5勝7敗・32四球・96奪三振という内容だった。離脱時点で負け越していたのは、前年と同様に打線の援護が乏しかったという原因がある[10]。ちなみに肘の炎症は安静にした事で解消し、11月には投球練習を開始した[10]

2013年は、広背筋を痛めて開幕DL入りスタートとなり、5月下旬に復帰した[11]。復帰後は快調なピッチングを見せ、11試合の先発登板で防御率3.17・6勝1敗・WHIP1.14という好成績をマークしていた。

レンジャーズ時代

2013年7月22日にトレードでテキサス・レンジャーズへ移籍した[12]8月3日の対アスレティックス戦では、エリック・ソガードスクイズを含む2つのバントを決められた事で激昂[11][13]。試合中に「女々しい」とソガードを侮辱、試合後には、Twitterでソガードのプレーを褒めたソガードの妻に対しても「女が男のゲームに口を出すな」という旨の暴言を返した[11][13]。移籍後は13試合に登板したが、防御率4.38・4勝5敗・WHIP1.32という成績に終わり、本来の実力通りではなかった。なお、2チーム計では24試合に先発登板し、防御率3.82・2年ぶりの2ケタ勝利となる10勝6敗という成績だった。オフの10月31日FAとなった。

ブルワーズ時代

2014年1月26日ミルウォーキー・ブルワーズと総額5000万ドル+出来高(2018年のオプション付き)の4年契約に合意した[14][15]。移籍1年目のこの年は、27試合に先発登板し、3シーズンぶりに規定投球回をクリア。勝ち運に恵まれず、8勝8敗の勝率.500止まりだったが、4年ぶりの完封勝利を挙げたほか、防御率3.64・WHIP1.18という好成績を記録。投球内容としては往年の実力を取り戻し、大型パッケージ契約の期待に応えた。

2015年は、5シーズンぶりのリリーフ登板 (1試合のみ) を含む26試合に投げたが、またしても規定投球回に未達だった上、防御率5.63・WHIP1.57と炎上。勝ち星が6勝止まりであるのに対し、リーグワースト5位タイの14敗を喫した[16]

2016年4月広背筋の故障で離脱した[17]。この離脱の影響もあって19試合の先発登板に留まり、防御率4.51・6勝8敗・WHIP1.51と2年連続で振るわなかった[16]

2017年11月2日にFAとなった[18]

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...




















































W
H
I
P
2006 MIN 1090003600.33323250.06262300381033325.761.70
2007 16150005700.41736783.09683244674044343.691.54
2008 TB 303032011900.550772184.21701959261283283763.701.24
2009 323200081200.400861203.017725790111893093893.951.26
2010 3332311151010.600855204.219328632715012294893.911.25
2011 CHC 3131200101000.500839198.01861463531976090733.321.26
2012 18180005700.417424103.290153204961048453.911.18
2013 11110006100.85729371.06182024622026253.171.14
TEX 13131004500.44435984.189122211744047414.381.32
'13計 242410010600.625652155.11502042351366073663.821.24
2014 MIL 27271108800.500680163.11431250241263177663.641.18
2015 262500061400.300666148.217623573210470102935.631.57
2016 19190006800.429461101.2117113623703067514.511.51
2017 24220006900.400504114.2121174541794072634.941.45
通算:12年 29028410419310610.46773131710.21681198581275013805358767774.091.32
閉じる
  • 2017年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

  • 21 (2006年 - 2007年)
  • 22 (2008年 - 2010年、2012年 - 2017年)
  • 17 (2011年)

脚注

関連項目

外部リンク

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.