株式会社マイカルハミングバード(MYCAL HUMMINGBIRD CO.,LTD.)は、かつて存在した日本のレコード会社。前身の株式会社ハミングバードについてもこの項で扱う。
株式会社マイカルハミングバード
- 1992年、事業の不振に伴い旧ハミングバードを清算、新たに株式会社マイカルハミングバードを設立。新会社に音楽事業を承継し(パイオニアLDCとの販売提携も継続)、あわせてグループ内の広告・販促業務も集約した[4]。
- ハミングバード時代にも映像事業が行われていたが、マイカルハミングバードの設立後の1992年、映像事業専門レーベルtaxco(タスコ)が立ち上げられ本格始動した。販売元はバンダイビジュアルと提携し、レーザーディスクを中心としたラインナップを揃えていった。
- 1993年には松田樹利亜『だまってないで』などのヒットもあったが、その後も大型アーティストに恵まれず、1994年8月、音楽・映像事業をwea japanに譲渡[5][6]。その後、マイカルハミングバードは清算された。音楽事業の譲渡先がワーナーミュージック・ジャパンになったのは、ワーナー・ブラザースとマイカルが複合映画館事業で合弁会社を設立していた事も関係している。taxcoレーベルは他社へ引き継がれることなく消滅した。
- 1994年10月1日にwea japan内にレーベルが移管され[7]1996年まで存続したが、現在はレーベル名も完全に消滅している。ハミングバード音源の再発売盤やコンピレーション盤では、紙ジャケット復刻版などでレーベル名を再現する場合を除いてワーナーミュージック・ジャパンのロゴが使われている。
- 松田樹利亜や市原真紀・BLOWなど当レーベルに所属していたアーティストは、wea japanへ移籍と同時に全旧譜がwea japanの品番で再発売された。
- 浅香唯・中村あゆみ・仙道敦子・PINK SAPPHIRE・NOBODYの一部旧譜のみ、1995年にwea japanの廉価版シリーズ”音泉シリーズ1500”で再発売されている。
- 本社のあった東京・赤坂のビル(東京都港区赤坂8-5-30)は、ニチイなどグループ各社も入居し、マイカルグループの東京地区における拠点となっていた[8]。
- 草地章江がデビュー当初所属していたが、彼女が出演していたOVA『アイドル防衛隊ハミングバード』、及び同作品から生まれたグループとは無関係である。
- 録音エンジニア、落語音源蒐集家の草柳俊一が録音課に在籍していたことがある。
出典
山崎聖文『ニチイ MYCALグループの挑戦: 進化・成長する生活提案企業の全貌』ダイヤモンド社、1988年
『別冊週刊ベースボール冬季号 プロ野球トレード史Ⅱ』36 - 40ページ「天の利、地の利、人の利に恵まれたトレード作戦 ~『黄金期巨人』に次々と大物を招いた男がノウハウを教えます~」(坂本幸夫)。筆者名に「現『ハミングバード』社長」の記述あり。なお、マイカルグループは1990年代から経営破綻まで、読売ジャイアンツの優勝・応援セールを行うなどの応援活動を行っていた。
ワーナーミュージック・ジャパンもパイオニアLDCと販売提携関係にある。
当レーベルの規格品番は12cmCDはWPC4-7000番台・8cmCDはWPD4-7200台・VHSはWPV4-7000台で採番