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岩手県出身の男性シンガーソングライター(1953 - 2005) ウィキペディアから
天野 滋(あまの しげる、1953年5月5日 - 2005年7月1日)は、日本の男性シンガーソングライター、ミュージシャン。
高専時代の同期生である中村貴之・平賀和人の3人で結成したフォークグループ・NSPのメンバーで、ヤマハポピュラーソングコンテスト東北大会グランプリ、全国大会で優秀賞を獲得した。
岩手県一関市出身。吉田拓郎の「結婚しようよ」と井上陽水の「傘がない」に衝撃を受ける[1]。1972年、一関工業高等専門学校在学中にフォークグループ「ニュー・サディスティック・ピンク」を結成。ニュー・サディスティック・ピンクは後にNSPと改名。天野はNSPのリーダー兼ヴォーカルとして活躍。シングル・アルバムを数枚出したあとの1974年に上京[2]。
1976年にアルバム『あまのしげる』でソロデビュー。のちに、2004年3月31日に再発売された。
1986年から一時新生NSPで活動するが、NSPの活動が休止となりソロ活動を開始する。一時天野音彦と名乗るが、その後天野滋に戻る。
自身の楽曲の他、ソロ・デビュー当時のChar(竹中尚人:ギタリスト)に歌詞を提供し、横浜ベイスターズの応援歌「勝利の輝き」の作詞、岩手めんこいテレビやNHK-FM『ポップスステーション』などのテーマソングも担当した。その他、提供楽曲多数。
1992年に服部克久が作曲した『あっぱれさんま大先生』の主題歌「記念樹」の作詞を担当。しかし楽曲が小林亜星作曲の「どこまでも行こう」の盗作であるとして裁判沙汰となり、小林の主張が認められた2002年の2審判決を受けて使用を打ち切られた(→記念樹事件)。
2002年1月、NSPが復活。翌年、山口百恵の未発表曲「東京の空の下あなたは」(天野滋:作詞・作曲)が発掘され、CD-BOX 『MOMOE PREMIUM』に収録。
復活したNSPが精力的に活動を続ける最中の2004年2月、リーダーである天野に大腸癌が見つかり、医師から「早ければ6ヶ月、長くても2年以内」と余命宣告を受ける[3]。しかしこれをファンには公表せずに活動を続けていた。
2005年7月1日午後7時8分、脳内出血のため国立病院機構東京医療センターで死去、享年52。
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