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ベネズエラ出身の野球選手 ウィキペディアから
ホセ・アルベルト・マルティネス(José Alberto Martínez, 1988年7月25日 - )は、ベネズエララ・グアイラ州ラ・グアイラ出身のプロ野球選手(外野手、一塁手)。右投右打。リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのユカタン・ライオンズ所属。愛称はカフェ[1]。
ユカタン・ライオンズ | |
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セントルイス・カージナルス時代 (2019年4月15日) | |
基本情報 | |
国籍 | ベネズエラ |
出身地 | ラ・グアイラ州ラ・グアイラ |
生年月日 | 1988年7月25日(36歳) |
身長 体重 |
6' 6" =約198.1 cm 215 lb =約97.5 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手、一塁手 |
プロ入り | 2006年 アマチュアFA |
初出場 | 2016年9月6日 |
年俸 | $1,000,000(2021年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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元メジャーリーガーのカルロス・マルティネスを父に持つ(ホセのセントルイス・カージナルス時代の同僚でドミニカ共和国出身の投手であるカルロス・マルティネスとの血縁関係は無い)。
2006年にボルチモア・オリオールズと契約してプロ入りも、同年中にシカゴ・ホワイトソックスへ移籍。この年はルーキー級ベネズエラン・サマーリーグの両球団の傘下でプレーし、2球団合計で54試合に出場して打率.278、4本塁打、30打点、5盗塁を記録した。
2007年にアメリカ本土に渡り、アパラチアンリーグのルーキー級ブリストル・ホワイトソックスでプレー。65試合に出場して打率.282、7本塁打、37打点、12盗塁を記録した。
2008年はA級カナポリス・インティミデイターズでプレーし、39試合に出場して打率.306、2本塁打、18打点、7盗塁を記録した。
2009年はプレーしなかった。
2010年はルーキー級ブリストルとA+級ウィンストン・セイラム・ダッシュでプレーし、2球団合計で67試合に出場して打率.256、6本塁打、29打点・5盗塁を記録した。
2011年はA+級ウィンストン・セイラムとAA級バーミングハム・バロンズでプレーし、2球団合計で133試合に出場して打率.307、6本塁打、45打点、7盗塁を記録した。
2012年はAA級バーミングハムでプレーし、112試合に出場して打率.248、5本塁打、42打点、6盗塁を記録した。オフの11月2日にFAとなった[2]。
2013年シーズン前にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ。この年は傘下のAA級ミシシッピ・ブレーブスでプレーし、123試合に出場して打率.285、6本塁打、39打点、6盗塁を記録した。オフの11月4日にFAとなった[2]。
2014年は6月まで独立リーグであるフロンティアリーグのロックフォード・アビエイターズでプレーし、28試合に出場して打率.337、3本塁打、14打点、6盗塁を記録した[3]。
2014年6月20日にブレーブスとマイナー契約を結んだ。A+級リンチバーグ・ヒルキャッツでプレーし、66試合に出場して打率.319、4本塁打、34打点、5盗塁を記録した。
2015年1月28日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ。この年は傘下のルーキー級アリゾナリーグ・ロイヤルズとAAA級オマハ・ストームチェイサーズでプレー。2球団合計で102試合に出場して打率.382、10本塁打、62打点、8盗塁の成績を残し、AAA級オマハでの打率.384はパシフィックコーストリーグのこれまでの最高打率を更新する形となった[4]が、その2厘上にダニー・ドーンがいたため首位打者は逃した。オフの11月6日に40人枠入りした。
2016年5月25日に金銭トレードで、セントルイス・カージナルスへ移籍した[5]。移籍後は傘下のAAA級メンフィス・レッドバーズでプレーし、87試合に出場して打率.269、8本塁打、47打点、9盗塁を記録した。また、移籍前を含む2球団合計では124試合に出場して打率.278、11本塁打、60打点、11盗塁を記録した。ロースター拡大後の9月6日にメジャー初昇格を果たし、同日のピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャーデビュー[6] 、9月8日のミルウォーキー・ブルワーズ戦ではメジャー初安打と初打点を記録した[7]。この年メジャーでは12試合に出場して打率.438、1打点を記録した。
2017年はスプリングトレーニング中のプレシーズン・ゲームで、ともにチーム最多の19安打、15打点の好調さを買われ、初めて開幕25人枠入りした[8]。4月25日のトロント・ブルージェイズ戦ではメジャー初本塁打を放った[9]。6月13日のブルワーズ戦では1試合2本塁打を放つ活躍を見せ、チームも6 - 0で勝利した[10]。この年は106試合に出場して打率.309、14本塁打、46打点、4盗塁を記録した。
2020年1月9日にマシュー・リベラトーレとドラフト下位指名権とのトレードで、ランディ・アロサレーナとドラフト上位指名権と共にタンパベイ・レイズへ移籍した[11]。
2021年1月14日にニューヨーク・メッツと100万ドルの単年契約を結んだ[15]。オプションとして最大50万ドルの出来高が含まれる。3月のスプリングトレーニング中に半月板を損傷し[16]、8月にマイナーで復帰したがメジャーに昇格することはなく、10月29日にFAとなった[2]。
2022年4月21日にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのモンクローバ・スティーラーズと契約したが[2]、最初の出場となった試合で手を骨折[17]。5月に退団した[2]。6月14日にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのユカタン・ライオンズと契約した[2]。
年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
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2016 | STL | 12 | 18 | 16 | 4 | 7 | 1 | 0 | 0 | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | .438 | .500 | .500 | 1.000 |
2017 | 106 | 307 | 272 | 47 | 84 | 13 | 1 | 14 | 141 | 46 | 4 | 0 | 1 | 2 | 32 | 2 | 0 | 60 | 9 | .309 | .379 | .518 | .897 | |
2018 | 152 | 590 | 534 | 64 | 163 | 30 | 0 | 17 | 244 | 83 | 0 | 3 | 2 | 3 | 49 | 0 | 2 | 104 | 15 | .305 | .364 | .457 | .821 | |
2019 | 128 | 373 | 334 | 45 | 90 | 13 | 2 | 10 | 137 | 42 | 3 | 0 | 0 | 2 | 35 | 0 | 2 | 82 | 14 | .269 | .340 | .410 | .751 | |
2020 | TB | 24 | 76 | 67 | 10 | 16 | 4 | 0 | 2 | 26 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 1 | 0 | 20 | 5 | .239 | .329 | .388 | .717 |
CHC | 10 | 22 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 7 | 1 | .000 | .045 | .000 | .045 | |
'20計 | 34 | 98 | 88 | 10 | 16 | 4 | 0 | 2 | 26 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 1 | 0 | 27 | 6 | .182 | .265 | .295 | .561 | |
MLB:5年 | 432 | 1386 | 1244 | 170 | 360 | 61 | 3 | 43 | 556 | 182 | 7 | 3 | 3 | 7 | 128 | 3 | 4 | 274 | 44 | .289 | .356 | .447 | .803 |
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