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ホアン・ミランダ
キューバ系ドミニカ共和国人の野球選手 ウィキペディアから
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フアン・ミゲル・ミランダ・ラミレス(Juan Miguel Miranda Ramírez, 1983年4月25日 - )は、キューバ・ピナール・デル・リオ州出身のプロ野球選手(一塁手)。左投左打。現在はフリーエージェント。
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キューバのサイトでは1981年生まれとなっている[2]。北海道日本ハムファイターズでの登録名は「ホアン・ミランダ」。
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経歴
キューバ時代
キューバでは2000-2001シーズンから2003-2004シーズンまで国内リーグ "セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル" のベゲーロス・デ・ピナール・デル・リオに所属していた。左翼手か一塁手として守備に就く事が多く、アテネオリンピック前の一次選考合宿に選ばれるなど、将来を嘱望されていたものの、キューバ代表候補としては三振の多さや粗さもあり、当時最終的に選出される水準には到達していなかった。鈍足であることでも知られ、二塁打を打った後に代走を送られたこともあった。
ヤンキース時代
2006年12月12日にMLBのニューヨーク・ヤンキースと4年総額200万ドルの契約を結び[3]、入団した。
2008年9月18日の対シカゴ・ホワイトソックス戦でMLB初出場。
2010年は出場試合数を飛躍的に増やし(それまでの2010年までの自己最多は8試合であったが、33試合に出場)、打率.219・3本塁打・10打点を記録した。
ダイヤモンドバックス時代
2010年11月18日にはトレードでアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した[4]。
2011年はスプリングトレーニングで打率.267・4本塁打・OPS.914の好成績を記録し、開幕ロースター入り。しかしシーズンでは65試合で打率.213・本塁打7・OPS.717と不振で、7月14日にDFAとなった[5]。
ダイヤモンドバックス退団後
2011年12月6日にタンパベイ・レイズとマイナー契約を結んだ。
2012年6月9日に放出された。7月からはメキシカンリーグのラグナ・カウボーイズに所属していた。
日本ハム時代
2013年10月21日からNPBの北海道日本ハムファイターズの秋季キャンプにテスト生として参加し、合格。10月29日に契約合意に至った。
2014年、中軸候補の一人として、主にクリーンナップを務め116試合出場したが、打率.227、14本塁打、57打点に終わり、10月21日に球団から戦力外通告を受けた。
日本ハム退団後
2015年はメキシカンリーグのラグナ・カウボーイズと契約。
2016年1月14日にトレードでメキシコシティ・レッドデビルズに移籍し、2月17日に再びトレードでオアハカ・ウォーリアーズに移籍。4月21日に解雇となる。5月17日にサルティーヨ・サラペメーカーズと契約するが、7月15日に解雇となる。2017年はレオン・ブラボーズでプレーした[6]。
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詳細情報
要約
視点
年度別打撃成績
- 2019年度シーズン終了時
- キューバで通常用いられる個人通算成績は、プレーオフや選抜リーグなども合算するため、この表の合計とは一致しない
年度別守備成績
- 2019年度シーズン終了時
記録
- NPB
- 初出場・初先発出場:2014年3月28日、対オリックス・バファローズ1回戦(札幌ドーム)、5番・指名打者で先発出場
- 初打席:同上、2回裏に金子千尋から左飛
- 初安打:同上、8回裏に佐藤達也から中越二塁打
- 初打点:2014年3月30日、対オリックス・バファローズ3回戦(札幌ドーム)、5回裏に比嘉幹貴から中越適時二塁打
- 初本塁打:2014年4月9日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦 (札幌ドーム) 、5回裏に長谷部康平から右越2ラン
背番号
- 66 (2008年)
- 72 (2008年 - 2009年)
- 53 (2010年)
- 46 (2011年、2014年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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