フランク・モレル
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フランク・モレル(Frank Morrell、1944年 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。オクラホマ州タルサ出身[1]。出生地はテネシー州メンフィスともされる[2]。
ジ・エンジェル(The Angel)などをリングネームに、スカル・マーフィーの影響下にあるスキンヘッドの狂乱系ヒールとして、南部のローカル・テリトリーを主戦場に活動した[2]。
来歴
要約
視点
オクラホマ地区のプロモーターだったレロイ・マクガークの勧誘でプロレス入りしたとされる[1]。1960年代後半はテネシー一帯をサーキット・エリアとしていたNWAのミッドアメリカ地区において、エディ・サリバンとのヒールの覆面タッグチーム、マイティ・ヤンキーズ(The Mighty Yankees)で活動。ケン・ルーカス&ジョニー・ウォーカーなどのチームを相手に、ミッドアメリカ版のNWA世界タッグ王座をはじめ、同地区認定のローカル・タッグ王座を再三獲得した[4]。
サリバンとのコンビ解散後は素顔となり、本名のフランク・モレル(Frank Morrell)として活動。1972年11月、同年に旗揚げされた新日本プロレスの『ニュー・ダイヤモンド・シリーズ』に初来日[5]。外国人レスラーの招聘ルートが脆弱だった当時の新日本プロレスでは、その強面が観客の目を引くとして連日メインイベントに起用され[6]、ジョニー・ロンドスらをパートナーにアントニオ猪木とタッグマッチで連戦した[7]。
その後もミッドアメリカ地区を主戦場に活動したが、ジム・クロケット・ジュニアが主宰していたミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリングなどのメジャーテリトリーでは前座試合のジョバー要員となり、ケビン・サリバン、ドン・カヌードル、ロン・スター、スティーブ・カーンなど当時の若手選手にも敗退を重ねた[8]。
1970年代中盤より、怪奇派レスラーの元祖的存在だったフレンチ・エンジェルにあやかり、エンジェル・モレル(Angel Morrell)、ジ・エンジェル(The Angel)、またはリングネームをそのまま拝借したフレンチ・エンジェル(The French Angel)などと名乗って活動。ジム・バーネットが主宰していたジョージア・チャンピオンシップ・レスリングでは1977年5月、サンダーボルト・パターソンからNWAジョージアTV王座を奪取[9]。同月にパターソンに奪還されて短命王者に終わったものの、最初で最後のシングルタイトル戴冠を果たした[4]。
テキサス州アマリロのテリトリーではJ・J・ディロンをマネージャーに迎え、影響を受けたスカル・マーフィーのパートナーだったブルート・バーナードと同タイプの狂乱コンビを結成[10]。1977年12月15日にNWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座を獲得し、翌年2月2日にドリー・ファンク・ジュニア&ラリー・レーンに敗れるまで保持した[11]。
1978年3月、フランク・モレル名義で全日本プロレスの『第6回チャンピオン・力ー二バル』に参戦[12]。公式リーグ戦ではジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、大木金太郎、キム・ドク、ザ・デストロイヤー、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ドン・レオ・ジョナサン、キング・イヤウケア、ブラック・テラー、テッド・デビアスなどと対戦したが、ルーク・グラハムとの引き分け以外は無得点全敗で最下位となった[6]。
1978年10月からはジ・エンジェルのリングネームで地元オクラホマおよびルイジアナのトライステート地区で活動[13]。ジ・アサシンをパートナーに、1979年1月25日にダスティ・ローデス&ザ・スポイラーからNWA USタッグ王座を奪取[14]。スポイラーがローデスを裏切ったことによるタイトル獲得だったものの、以降もマイク・ジョージ&ランディ・タイラー、ケビン・フォン・エリック&デビッド・フォン・エリック、さらにはアンドレ・ザ・ジャイアント&ディック・マードックなどの強豪チームを相手に防衛戦を行い[15]、7月21日にビル・ワット&バック・ロブレイに敗れるまで戴冠した[14]。
1980年代からは古巣のミッドアメリカ地区を吸収したメンフィスのCWAを本拠地とし、1980年9月15日にはソニー・キングと組んでAWAの認定タイトルとなった南部タッグ王座を獲得[16]。他地区ではセントルイスのキール・オーディトリアムにも出場して、1981年3月6日にはバロン・フォン・ラシク&ジョニー・バリアントとのトリオでディック・ザ・ブルーザー&スパイク・ヒューバー&ボボ・ブラジルと6人タッグマッチで対戦した[17]。
主戦場のCWAではジミー・ハートやジム・コルネットがマネージャーとなり、ジェリー・ローラー、ビル・ダンディー、ダッチ・マンテル、テリー・テイラー、ボビー・フルトン、ファビュラス・ワンズなどと対戦[18][19]。1984年下期からは覆面レスラーのザ・スポイラー(The Spoiler)に一時変身し、フィル・ヒッカーソンと組んで6月18日にトミー・リッチ&エディ・ギルバートからAWA南部タッグ王座を奪取[16]。ロックンロール・エクスプレスともタイトルを争った[20]。
1984年10月、フランク・モレロの表記でシューティング路線黎明期のUWF(第1次UWF)に来日[1]。カナダからブッキングされたスウィート・ダディ・シキやフィル・ラファイアー、日本陣営では前田日明をはじめ高田伸彦や山崎一夫、マッハ隼人らとシングルマッチで対戦した[21]。
その後もアメリカではCWAを主戦場として、1986年はビリー・トラヴィスとのタッグチームなどで活動し、フラッシュ&ロックのブレード・ランナーズとも対戦[22]。セミリタイア後も1996年までCWAの後継団体USWAへの出場を続け、ジェフ・ジャレット、ブライアン・クリストファー、ダグ・ギルバート、J・C・アイス、ウルフィー・D、トレイシー・スマザーズなどと対戦した[3]。
得意技
獲得タイトル
- NWA世界タッグ王座(ミッドアメリカ版):3回(w / エディ・サリバン)[23]
- NWA南部タッグ王座(ミッドアメリカ版):4回(w / エディ・サリバン)[24]
- NWA USタッグ王座(ミッドアメリカ版)3回(w / エディ・サリバン×2、ロン・ホワイト)[4]
- NWAミッドアメリカ・タッグ王座:1回(w / チャールズ・モレル)[25]
- NWAガルフ・コースト・タッグ王座:1回(w / エディ・サリバン)[26]
- NWAジョージアTV王座:1回[9]
- NWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座:1回(w / ブルート・バーナード)[11]
- AWA南部タッグ王座:3回(w / ソニー・キング、フィル・ヒッカーソン×2)[16]
脚注
外部リンク
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