フランク・モレル

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フランク・モレルFrank Morrell1944年 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーオクラホマ州タルサ出身[1]。出生地はテネシー州メンフィスともされる[2]

概要 フランク・モレル, プロフィール ...
フランク・モレル
プロフィール
リングネーム フランク・モレル
ダンディ・ジャック・モレル
エンジェル・モレル
フレンチ・エンジェル
ジ・エンジェル
ザ・スポイラー
マイティ・ヤンキー
ルシファー
本名 フランク・モレル
身長 185cm[1]
体重 125kg(全盛時)[1]
誕生日 1944年????[1]
出身地 アメリカ合衆国
オクラホマ州
タルサ郡タルサ[1]
スポーツ歴 ボクシング[1]
アメリカンフットボール[1]
デビュー 1965年[2]
引退 1997年[3]
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ジ・エンジェルThe Angel)などをリングネームに、スカル・マーフィーの影響下にあるスキンヘッドの狂乱系ヒールとして、南部のローカル・テリトリーを主戦場に活動した[2]

来歴

要約
視点

オクラホマ地区のプロモーターだったレロイ・マクガークの勧誘でプロレス入りしたとされる[1]1960年代後半はテネシー一帯をサーキット・エリアとしていたNWAのミッドアメリカ地区において、エディ・サリバンとのヒール覆面タッグチームマイティ・ヤンキーズThe Mighty Yankees)で活動。ケン・ルーカス&ジョニー・ウォーカーなどのチームを相手に、ミッドアメリカ版のNWA世界タッグ王座をはじめ、同地区認定のローカル・タッグ王座を再三獲得した[4]

サリバンとのコンビ解散後は素顔となり、本名のフランク・モレルFrank Morrell)として活動。1972年11月、同年に旗揚げされた新日本プロレスの『ニュー・ダイヤモンド・シリーズ』に初来日[5]。外国人レスラーの招聘ルートが脆弱だった当時の新日本プロレスでは、その強面が観客の目を引くとして連日メインイベントに起用され[6]ジョニー・ロンドスらをパートナーにアントニオ猪木タッグマッチで連戦した[7]

その後もミッドアメリカ地区を主戦場に活動したが、ジム・クロケット・ジュニアが主宰していたミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリングなどのメジャーテリトリーでは前座試合のジョバー要員となり、ケビン・サリバンドン・カヌードルロン・スタースティーブ・カーンなど当時の若手選手にも敗退を重ねた[8]

1970年代中盤より、怪奇派レスラーの元祖的存在だったフレンチ・エンジェル英語版にあやかり、エンジェル・モレルAngel Morrell)、ジ・エンジェルThe Angel)、またはリングネームをそのまま拝借したフレンチ・エンジェルThe French Angel)などと名乗って活動。ジム・バーネットが主宰していたジョージア・チャンピオンシップ・レスリングでは1977年5月、サンダーボルト・パターソンからNWAジョージアTV王座を奪取[9]。同月にパターソンに奪還されて短命王者に終わったものの、最初で最後のシングルタイトル戴冠を果たした[4]

テキサス州アマリロのテリトリーではJ・J・ディロンマネージャーに迎え、影響を受けたスカル・マーフィーのパートナーだったブルート・バーナードと同タイプの狂乱コンビを結成[10]。1977年12月15日にNWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座を獲得し、翌年2月2日にドリー・ファンク・ジュニア&ラリー・レーンに敗れるまで保持した[11]

1978年3月、フランク・モレル名義で全日本プロレスの『第6回チャンピオン・力ー二バル』に参戦[12]。公式リーグ戦ではジャイアント馬場ジャンボ鶴田大木金太郎キム・ドクザ・デストロイヤーアブドーラ・ザ・ブッチャードン・レオ・ジョナサンキング・イヤウケアブラック・テラーテッド・デビアスなどと対戦したが、ルーク・グラハムとの引き分け以外は無得点全敗で最下位となった[6]

1978年10月からはジ・エンジェルのリングネームで地元オクラホマおよびルイジアナのトライステート地区で活動[13]ジ・アサシンをパートナーに、1979年1月25日にダスティ・ローデス&ザ・スポイラーからNWA USタッグ王座を奪取[14]。スポイラーがローデスを裏切ったことによるタイトル獲得だったものの、以降もマイク・ジョージ&ランディ・タイラーケビン・フォン・エリック&デビッド・フォン・エリック、さらにはアンドレ・ザ・ジャイアント&ディック・マードックなどの強豪チームを相手に防衛戦を行い[15]、7月21日にビル・ワット&バック・ロブレイに敗れるまで戴冠した[14]

1980年代からは古巣のミッドアメリカ地区を吸収したメンフィスCWAを本拠地とし、1980年9月15日にはソニー・キングと組んでAWAの認定タイトルとなった南部タッグ王座を獲得[16]。他地区ではセントルイスキール・オーディトリアムにも出場して、1981年3月6日にはバロン・フォン・ラシク&ジョニー・バリアントとのトリオでディック・ザ・ブルーザー&スパイク・ヒューバー&ボボ・ブラジルと6人タッグマッチで対戦した[17]

主戦場のCWAではジミー・ハートジム・コルネットマネージャーとなり、ジェリー・ローラービル・ダンディーダッチ・マンテルテリー・テイラーボビー・フルトンファビュラス・ワンズなどと対戦[18][19]1984年下期からは覆面レスラーザ・スポイラーThe Spoiler)に一時変身し、フィル・ヒッカーソンと組んで6月18日にトミー・リッチ&エディ・ギルバートからAWA南部タッグ王座を奪取[16]ロックンロール・エクスプレスともタイトルを争った[20]

1984年10月、フランク・モレロの表記でシューティング路線黎明期のUWF第1次UWF)に来日[1]カナダからブッキングされたスウィート・ダディ・シキフィル・ラファイアー、日本陣営では前田日明をはじめ高田伸彦山崎一夫マッハ隼人らとシングルマッチで対戦した[21]

その後もアメリカではCWAを主戦場として、1986年ビリー・トラヴィスとのタッグチームなどで活動し、フラッシュ&ロックのブレード・ランナーズとも対戦[22]。セミリタイア後も1996年までCWAの後継団体USWAへの出場を続け、ジェフ・ジャレットブライアン・クリストファーダグ・ギルバートJ・C・アイスウルフィー・Dトレイシー・スマザーズなどと対戦した[3]

得意技

獲得タイトル

NWAミッドアメリカ
ガルフ・コースト・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAガルフ・コースト・タッグ王座:1回(w / エディ・サリバン)[26]
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAジョージアTV王座:1回[9]
NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ
NWAトライステート
コンチネンタル・レスリング・アソシエーション

脚注

外部リンク

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