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イングランドのロックバンド ウィキペディアから
バッド・カンパニー(英語: Bad Company)は、イングランド出身のロックバンド。1973年にボーカルのポール・ロジャースとドラムスのサイモン・カーク(元フリー)、ギターのミック・ラルフス(元モット・ザ・フープル)、ベースのボズ・バレル(元キング・クリムゾン)の4人によって結成。前身のフリーよりもシンプルで洗練されたサウンドを持ち味としており、1974年のデビューから1982年までに6枚のアルバムを発表し、その多くがアメリカでプラチナムセールスを記録するなど、本国イギリス以上に北米で高い人気を誇った。
1982年にロジャースが脱退してからも、メンバー・チェンジを繰り返しながら活動を続けていたが、1999年、2008年にそれぞれオリジナル・メンバーを中心とした再結成が行われており、2010年には35年ぶりの日本公演を行った。
1974年、彼等はレッド・ツェッペリンが設立したスワンソング・レコード(本国イギリスではアイランド・レコード)からデビュー・アルバム『バッド・カンパニー』を発表する。シングル「キャント・ゲット・イナフ」は全米5位、全英15位のヒットし、アルバムは全米1位、全英3位を記録。売り上げはアメリカだけで500万枚、全世界で1200万枚を超える大ヒットとなった。
1975年には2ndアルバム『ストレート・シューター』を発表し、米英ともに3位を記録するヒット作となり、アメリカでは200万枚のヒットとなった。本作からは「フィール・ライク・メイキン・ラヴ」が全米10位、全英20位とヒットしている。また本作の発表にあわせて、1975年3月3日には日本武道館で一夜限りの来日公演が行われた。
1976年には3rdアルバム『ラン・ウィズ・ザ・パック』を発表。全米5位、全英4位を記録し、アメリカでは100万枚のミリオン・セラーだった。ロジャースもこのアルバムをお気に入りの一枚に挙げている。
ここまでバッド・カンパニーは順調にヒットを飛ばしてきたが、1977年に発表した4thアルバム『バーニン・スカイ』は、当時のパンクブームに押され気味だった。セールスはアルバムの内容とは関係ないが、全米15位、全英17位とやや伸び悩み、アメリカでは50万枚にとどまった。デビュー以来ほぼ休みなく活動していた彼等は、ここでいったん活動を休止している。
1979年には、前作から2年ぶりの5thアルバム『ディソレーション・エンジェル』を発表。アルバムも全米3位、全英10位とヒット、アメリカでは200万枚を売り上げた。またディスコ・ビートを取り入れた「ロックン・ロール・ファンタジー」も久々にシングルヒットを記録している。しかしバンドは、再び活動を休止した。
そして1982年には前作から3年ぶりに6thアルバム『ラフ・ダイアモンド』を発表。しかしこの頃になるとメンバー間の人間関係は非常に悪化しており、アルバム自体もやや散漫な出来となり、全米26位、全英15位とヒットには至らなかった。結局ロジャースは本作をもって、バッド・カンパニーを脱退。オリジナル・メンバーの作品としてはこれが最後の作品となった。バッド・カンパニーとしての活動はここでひとまず休止した。日本でバッド・カンパニーというと、一般的にはここまでの時期を指すことが多い。
ロジャースはソロ活動の後、ジミー・ペイジとザ・ファームを結成。一方、残りのメンバーは、1986年に元テッド・ニュージェント・バンドのブライアン・ハウをボーカリストとして起用しバッド・カンパニーを再始動させる。すぐバレルが脱退したものの、スティーヴ・プライスやフェリックス・クリシュといったサポート・ベーシストを起用して活動を続ける。
音楽性はスタジアム・ロックへと様変わりし、1990年の『ホーリー・ウォーター』はアメリカで100万枚のセールスを挙げるなど商業的には成功したアルバムもあった。その後、フォリナーからリック・ウィルスが正式なベーシストとして加入し、1993年に初のライブ・アルバム『ベスト・オブ・バッド・カンパニー・ライヴ』をリリース。しかし、1994年にメンバー間の不和からハウが脱退する。
1995年、ほとんど無名のボーカリストだったロバート・ハートが加入。ハートの声はロジャースを彷彿とさせるともいわれており、この第3期のラインナップでは2枚のアルバムを発表したが、結局商業的には成功しないまま活動を終えた。
1998年、バッド・カンパニーはオリジナル・メンバーにて再結成を果たす。そして1999年、オリジナル・メンバーとしては17年ぶりに新曲も収録したベスト・アルバム『バッド・カンパニー・アンソロジー』を発表。30公演にも及ぶ全米ツアーも成功を収めた。しかし早くもラルフスとバレルが脱退を発表。
2002年、オリジナル・メンバーのロジャーズとカークに加え、1996年加入のデイヴ・コールウェル(ギター)とロジャーズのソロ・バンドで活動していたジャズ・ロクリー(ベース)と共に全米ツアーを行い、ライブ盤及びDVD『イン・コンサート2002』を発表した。この時ロジャーズはこのままバッド・カンパニーとしての活動を活性化させていく可能性も示唆していたが、その後はソロ・アーティストとしてツアーを行うなどして、バッド・カンパニーの活動を停止させていた。
2005年から2009年まで、ロジャーズはクイーンのメンバーとコラボレートし、ツアーで「キャント・ゲット・イナフ」などバッド・カンパニーの代表曲も数曲披露した。加えて2006年にオリジナル・メンバーのバレルが亡くなったこともあり、バッド・カンパニーとしての活動再開の可能性は低いともみられていた。
2006年にはオリジナル・メンバーのバンド初となるライブ・アルバム『ライヴ・イン・アルバカーキ76』が発売される。これはラルフズの秘蔵テープを音源化したものだったが、ロジャースのマネージメントからクレームがつき、発売と同時に廃盤、回収されてしまったため、現在高値で取引されている。また2007年には、ロジャース在籍時の初期6作品が、日本限定で紙ジャケにて再発され、全作品がオリコンチャート入りするほどの売り上げを記録した。
2008年には、オリジナル・メンバーの3人のほかに、サポート・メンバーとしてリン・ソレンセン(ベース)、ハワード・リーズ(ギター・元ハート)を加えた5人編成で、一夜限りの再結成ライブを行った。このライブの成功を受けて、2009年にドゥービー・ブラザーズとともに北米ツアーを敢行。2010年、ジョー・ペリー・プロジェクトをオープニングアクトに据えて、30年以上ぶりの本国イギリスでツアーを行い、同年10月には35年ぶりに日本公演を行うことを発表[4]。しかし、来日直前になってラルフスが急病で参加できなくなったことから、公演はラルフス抜きの4人編成で行われた。
2013年、ロジャース、ラルフス、カーク、リーズの4人に、ベースのトッド・ロニングを加えた5人編成で活動を再開。北米ツアーを開催する。
※2020年4月時点
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