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『ニューヨークの王様』(ニューヨークのおうさま、A King in New York)は、1957年のイギリスの喜劇映画。チャールズ・チャップリン監督、主演。チャップリン最後の主演作で、アメリカ合衆国の政治や社会を皮肉っている。1952年にチャップリンがアメリカを追放された後に製作が始まり、アメリカでは1970年代初めまで公開されなかった。
ニューヨークの王様 | |
---|---|
A King in New York | |
監督 | チャールズ・チャップリン |
脚本 | チャールズ・チャップリン |
製作 | チャールズ・チャップリン |
出演者 |
チャールズ・チャップリン ドーン・アダムズ マクシーン・オードリー ジェリー・デズモンド オリバー・ジョンストン マイケル・チャップリン |
音楽 | チャールズ・チャップリン |
撮影 | ジョルジュ・ペリナール |
編集 | ジョン・シーボーン |
製作会社 | アティカ・フィルム |
配給 |
Archway Film Distributors Ltd. 東急/大和フィルム |
公開 |
1957年9月12日 1959年2月28日 |
上映時間 | 110分 |
製作国 | イギリス |
言語 | 英語 |
映画では、非米活動委員会に対する攻撃に加え、アメリカの商業主義やポピュラー音楽、映画への皮肉も随所に見られる。自身曰く 「『ニューヨークの王様』は私の映画の中ではもっとも反抗的なものだ。私は、今話題になっている死に行く文明の一部になるのはごめんだ」。前述の王が夕食会に出席する場面では、当時の俳優が何人も皮肉られている。また、王が映画館で、『男か女か?』という映画の予告を見る場面があるが、これは『グレンとグレンダ』(Glen or Glenda)のパロディーである。 ラストの放水のシーンは無声の浮浪者チャーリー時代の短編「チャップリンの活動狂」・「チャップリンの道具方」・「チャップリンの寄席見物」のラストで披露していたギャグを再現し「寄席見物」以来となる物だった[疑問点]。
映画は「現代生活の悩みの一つに革命がある(One of the minor annoyances in modern life is a revolution.)」という字幕から始まる。革命のため国を追われたイゴール・シャドフ王(King Igor Shahdov)(チャールズ・チャップリン)は、ほぼ無一文でニューヨークにやって来るが、同行した首相に証券類までも盗まれてしまう。王は原子力を使ってユートピアを創るという自分のアイデアを実現させるべく、原子力委員会と接触を図る。ある夕食会で(王に無断でテレビ中継されていた)、演劇の経験があることを明らかにしたため、その後、テレビコマーシャルへの出演依頼が殺到する。最初は気のすすまぬ王であったが、後に生活資金を得るためいくつかのコマーシャルに出演する。ある進歩主義学校を訪問した王は、ルパート・マカビーという10歳の少年(マイケル・チャップリン)に会う。彼は学校新聞の編集者で歴史に造詣が深く、王にアナキズム的な講釈を行う。ルパートはいかなる政府も信用しないと述べるが、両親は共産党員であった。次第に王自身が共産党員であると疑われるようになり、マッカーシーの下院非米活動委員会(当時アメリカで赤狩りを行っていた委員会)に喚問される。王の容疑は晴れ、離婚して今はパリにいる元王妃と再会する決意をする。しかし、ルパートの両親は投獄され、委員会は少年に両親の友人達の名前を密告するよう迫る。少年は王と再会した際、両親の友人の名を密告したことで「愛国者」と称えられるが、罪の意識に苛まれ苦しんでいた。王は赤狩りのばかばかしさにあきれ、少年に両親と共にヨーロッパに来るよう招待する。
役名 | 俳優 | 日本語吹替 | ||
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TBS版 | ソフト版 | |||
シャドフ王 | チャールズ・チャップリン | 高橋昌也 | 茶風林 | |
アン・ケイ | ドーン・アダムス | 小林千登勢 | 森なな子 | |
ルパート・マカビ― | マイケル・チャップリン | 内海敏彦 | 稲川英里 | |
ジョミエ大使 | オリヴァー・ジョンストン | 臼井正明 | 田原アルノ | |
ヴーデル首相 | ジェリー・デズモンド | 林昭夫 | 北島善紀 | |
アイリーン王妃 | マクシーヌ・オードリー | 大橋芳枝 | 寺依沙織 | |
モナ・クロムウェル夫人 | ジョーン・イングラム | 市川千恵子 | 品田美穂 | |
ジョンソン | シドニー・ジェームズ | 日高晤郎 | こばたけまさふみ | |
不明 その他 | 今西正男 塩見竜介 | 斎藤寛仁 | ||
演出 | 長野武二郎 | |||
翻訳 | 磯村愛子 | |||
効果 | ||||
調整 | ||||
制作 | ニュージャパンフィルム | |||
解説 | 荻昌弘 | |||
初回放送 | 1977年5月23日 『月曜ロードショー』 | 2016年発売 のBDに収録 |
1953年、チャップリンはスイスに居を構えると、約1年後、亡命中の王を主人公にした新作映画の計画を発表した。1955年の終わりごろに脚本を完成させると、その後ロンドンのシェパートン・スタジオで撮影に取り掛かった[1]。レンタルスタジオではハリウッドで自前のスタジオで正規雇用したスタッフと共に行ったように十分時間をかけて製作することはできず、12週間という短期間で撮影を終えた[2]。
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