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トサモアーは日本の競走馬。阪神3歳ステークス、神戸杯を制し、桜花賞および菊花賞で2着に入る活躍を見せた。1955年に啓衆社賞最優秀3歳牝馬に選出された。
牝系子孫にリキエイカン、スズカコバン、ヤエノダイヤ、オースミハルカ、レイパパレらを輩出する名牝系の祖として、また夭折の天才騎手大柳英雄の代表騎乗馬として知られている。
※馬齢は旧表記(数え)とする。
トサモアーは、生産者の鮫川由五郎の持ち馬として1955年に清水茂次厩舎に入厩し、若手の大柳英雄騎手を鞍上に、札幌競馬場でのデビュー戦を勝利で飾った。次のレースでは3着に敗れたものの、その後5連勝し、12月11日に行われた阪神3歳ステークスでも勝利を挙げ、3歳を7戦6勝の成績で終えて休養に入った。
桜花賞を目標に3月のオープン戦で復帰する事になったトサモアーであったが、デビュー戦以来のパートナーだった大柳騎手は、前年12月24日のレースで落馬殉職し、既にこの世の人では無かった。そこで、新たなパートナーとして境勝太郎騎手を迎え、オープンを快勝して臨んだ桜花賞では、力をつけていたミスリラの2着に敗れた。その後京都4歳特別(2着)を挟み、3戦2勝としてオークスに出走したが、フエアマンナの3着となり、さらに連闘で出走した日本ダービーでは、重馬場が苦手な事や、落馬事故などの影響もあって、最下位の25着(出走27頭で2頭落馬)に敗れた。
1ヶ月後、松永高徳騎手に乗り代わって出走した毎日杯では、苦手の不良馬場もあって2着となったが、続く条件戦を勝利して暫く休養に入った。
休養明けの特ハンでヒヤキオーガンを破って勝利すると、次の京都杯[1]で2着に健闘し、続く3歳限定の神戸杯を63キロという酷量[2]を克服し、ミスリラらを退け快勝。更にオープンにも勝利し、最後の一冠である菊花賞に出走した。キタノオー、ハクチカラに次ぐ3番人気に支持されたトサモアーは、キタノオーには敗れたものの、ハクチカラやヘキラクを下して2着に入り、高い能力を示した。
しかしながら、トサモアーはこのレースを最後に引退し、繁殖牝馬となった。通算22戦14勝、日本ダービー以外では3着を外すこともない非常に安定した成績を残した競走馬だった。
引退後は産まれ故郷の鮫川牧場に戻り、繁殖牝馬としてローエングリン[3](金鯱賞)を出し、牝駒モンテホープからはリキエイカンやサリュウコバン(スズカコバンの母)を、その他の産駒やその仔からも次々と活躍馬を出し、その子孫は現在も鮫川牧場の基幹血統となっている。
牝系図の主要な部分(太字はGI級競走優勝馬)は以下の通り。
牝系図の出典:Galopp-Sieger
トサモアーの血統(ブランドフォード系 / Rock Sand5×5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父 トサミドリ 1946 鹿毛 日本 |
父の父 *プリメロPrimero 1931 鹿毛 イギリス |
Blandford | Swynford | |
Blanche | ||||
Athasi | Farasi | |||
Athgreany | ||||
父の母 *フリツパンシーFlippancy 1924 黒鹿毛 イギリス |
Flamboyant | Tracery | ||
Simonath | ||||
Slip | Robert le Diable | |||
Snip | ||||
母 第三スターリングモア 1944 鹿毛 日本 |
月友 1932 栗毛 日本 |
Man O' War | Fair Play | |
Mahubah | ||||
*星友 Alzada |
Sir Martin | |||
Colna | ||||
母の母 スターリングモア1929 鹿毛 日本 |
*シアンモア Shian Mor |
Buchan | ||
Orlass | ||||
第九フロリースカツプ | *ガロン | |||
*フロリースカツプ F-No.3-l |
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