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ティレル・001 (Tyrrell 001) は、ティレルが1970年のF1世界選手権参戦用に開発したF1マシン。チームが開発した初のオリジナルマシンであった。設計はデレック・ガードナー。001は5戦に参戦、4戦でリタイアし、1戦で2位に入賞した。
コンストラクター | ティレル・レーシング・オーガニゼーション | ||||||||
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デザイナー | デレック・ガードナー | ||||||||
後継 | ティレル・002 | ||||||||
主要諸元 | |||||||||
シャシー | アルミニウム モノコック | ||||||||
サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン 不等長 | ||||||||
サスペンション(後) | ダブルウィッシュボーン 不等長 | ||||||||
エンジン | フォード コスワース DFV, 3.0リッター, V8 NA, ミッドエンジン, 縦置き | ||||||||
トランスミッション | ヒューランド FG 400, 5速, シーケンシャル MT | ||||||||
重量 | 540kg | ||||||||
燃料 | エルフ | ||||||||
タイヤ | グッドイヤー, ダンロップ | ||||||||
主要成績 | |||||||||
チーム |
ティレル・レーシング・オーガニゼーション エルフ・チーム・ティレル | ||||||||
ドライバー |
ジャッキー・スチュワート, ピーター・レブソン | ||||||||
コンストラクターズタイトル | 1 (1971年) | ||||||||
ドライバーズタイトル | 1 (1971年 ジャッキー・スチュワート) | ||||||||
初戦 | 1970年カナダグランプリ | ||||||||
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チームオーナーのケン・ティレルは1970年シーズンに使用したマーチ・701に失望しオリジナルシャシーの製作を決心した。彼はデレック・ガードナーをデザイナーとして採用し、自宅で秘密裏に設計を行わせた[1]。計画は「スペシャル・プロジェクト」の頭文字を取って「SP」と呼ばれ、ティレルは22,000ポンド以上の自己資金を費やした。完成したマシンはオウルトン・パークで行われたノンタイトル戦でデビューしたが、リタイアとなった、第11戦のカナダグランプリでジャッキー・スチュワートいきなりポールポジションを獲得したが、アクセルの故障でリタイアした[2][3]。アメリカグランプリでは再びレースをリードしたものの、オイル漏れでリタイアとなった[2][4]。メキシコグランプリは200,000人の大観衆をコントロールするのが困難となり、レースがほぼキャンセル寸前となったため開始が遅れた。観衆はガードレールの前に押しかけ、コース際に座り、コースを走って横切ったりした。スチュワートと、地元のヒーローのペドロ・ロドリゲスが熱心に訴えたが、観衆は依然として混乱の状態にあった。レースが始まり、スチュワートは犬を轢いたためサスペンションを破損、リタイアとなった[2][5]。
1971年シーズン開幕戦の南アフリカグランプリでスチュワートはポールポジションを獲得したが、フェラーリのマリオ・アンドレッティに敗れ2位となった[2][6]。スチュワートはこのシーズンの残りを001に変えて003を使用した。シーズン最終戦のアメリカグランプリでピーター・レブソンが001をドライブしたが、クラッチトラブルでリタイアに終わった[7][8]。
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