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1970年オランダグランプリ (1970 Dutch Grand Prix) は、1970年のF1世界選手権第5戦として、1970年6月21日にザントフォールト・サーキットで開催された。
レース詳細 | |||
---|---|---|---|
1970年F1世界選手権全13戦の第5戦 | |||
ザントフォールト・サーキット (1948-1971) | |||
日程 | 1970年6月21日 | ||
正式名称 | XVIII Grote Prijs van Nederland | ||
開催地 |
ザントフォールト・サーキット オランダ ザントフォールト | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 4.193 km (2.605 mi) | ||
レース距離 | 90周 377.370 km (234.487 mi) | ||
決勝日天候 | 曇(ドライ) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | ロータス-フォード | ||
タイム | 1:18.5 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | ジャッキー・イクス | フェラーリ | |
タイム | 1:19.23 (22[1]周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | ロータス-フォード | ||
2位 | マーチ-フォード | ||
3位 | フェラーリ |
この日は1970 FIFAワールドカップの決勝がメキシコシティで開催されたが、本レースの終了後に行われた。
レースはチーム・ロータスのヨッヘン・リントが楔形ボディの新車ロータス・72を駆り、ポール・トゥ・ウィンで優勝したが、リントの親友であったピアス・カレッジが事故死した。
ブルース・マクラーレンの死により前戦ベルギーGPを欠場したマクラーレンが復帰した。エースのデニス・ハルムはザントフォールト・サーキットには来たものの、インディ500の練習走行中に負った両腕の火傷が完治せず欠場した[2]。F5000ドライバーの新人ピーター・ゲシンがハルムの代走を務め、亡きブルースに代わってダン・ガーニーがF1に復帰した[3]。アルファロメオエンジンを使用する新車M14Dが完成し、アンドレア・デ・アダミッチがドライブする。また、マクラーレン勢とともに欠場したジョン・サーティースも復帰した[2]。BRMはジョージ・イートンが復帰して3台体制に戻り、ティレルは引退したジョニー・セルボ=ギャバンに代わるドライバーとして、新人フランソワ・セベールを起用した。ロータスは新車72の準備が整い、ヨッヘン・リントとジョン・マイルズが72を走らせる[4]。フェラーリは前戦ベルギーGPからジャッキー・イクスのパートナーとしてイグナツィオ・ギュンティとクレイ・レガツォーニの新人2人を交代で走らせることにしたが、本レースはレガツォーニを起用した[5][6]。プライベーターのシルビオ・モーザーは、イタリアのベラシにマシンの製作を依頼した。モーザーが所有していたブラバム・BT24のパーツを多用したマシンは武骨で重量過多であった[7]。
本レースは決勝へ進出できるのは20台に定められ[10]、スペインGPやモナコGPと同様に、主要チームのエースドライバー(ジャッキー・スチュワート(ティレル/マーチ)、ヨッヘン・リント(ロータス)、ジャッキー・イクス(フェラーリ)、クリス・エイモン(マーチ)、ペドロ・ロドリゲス(BRM)、ジャック・ブラバム(ブラバム)、ジャン=ピエール・ベルトワーズ(マトラ)、ジョン・サーティース(サーティース/マクラーレン)、グラハム・ヒル(ロブ・ウォーカー/ロータス)、ダン・ガーニー(マクラーレン)は自動的に決勝への出走が保証された[11]。
リントが今季初のポールポジションを獲得し[11]、スチュワートとイクスとともにフロントローに並んだ[注 1]。エイモンとジャッキー・オリバー(BRM)が2列目、クレイ・レガツォーニ(フェラーリ)、ロドリゲス、ジョン・マイルズ(ロータス)が3列目を占め、ピアス・カレッジ(ウィリアムズ/デ・トマソ)とベルトワーズが続いた。ブラバムとロドリゲスはアクシデントに見舞われたが、両者とも無傷だった[4]。
順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | グリッド |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 10 | ヨッヘン・リント | ロータス-フォード | 1:18.30 | - | 1 1 |
2 | 5 | ジャッキー・スチュワート | マーチ-フォード | 1:18.73 | +0.43 | 2 1 |
3 | 25 | ジャッキー・イクス | フェラーリ | 1:18.93 | +0.63 | 3 1 |
4 | 8 | クリス・エイモン | マーチ-フォード | 1:19.25 | +0.95 | 4 1 |
5 | 2 | ジャッキー・オリバー | BRM | 1:19.30 | +1.00 | 5 |
6 | 26 | クレイ・レガツォーニ | フェラーリ | 1:19.48 | +1.18 | 6 |
7 | 1 | ペドロ・ロドリゲス | BRM | 1:20.07 | +1.77 | 7 1 |
8 | 12 | ジョン・マイルズ | ロータス-フォード | 1:20.24 | +1.94 | 8 |
9 | 4 | ピアス・カレッジ | デ・トマソ-フォード | 1:20.32 | +2.02 | 9 |
10 | 23 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | マトラ | 1:20.38 | +2.08 | 10 1 |
11 | 20 | ピーター・ゲシン | マクラーレン-フォード | 1:20.41 | +2.11 | 11 |
12 | 18 | ジャック・ブラバム | ブラバム-フォード | 1:20.76 | +2.46 | 12 1 |
13 | 24 | アンリ・ペスカロロ | マトラ | 1:20.89 | +2.59 | 13 |
14 | 16 | ジョン・サーティース | マクラーレン-フォード | 1:21.18 | +2.88 | 14 1 |
15 | 6 | フランソワ・セベール | マーチ-フォード | 1:21.18 | +2.88 | 15 |
16 | 22 | ロニー・ピーターソン | マーチ-フォード | 1:21.24 | +2.94 | 16 |
17 | 9 | ジョー・シフェール | マーチ-フォード | 1:21.27 | +2.97 | 17 |
18 | 3 | ジョージ・イートン | BRM | 1:21.35 | +3.05 | 18 |
19 | 32 | ダン・ガーニー | マクラーレン-フォード | 1:21.36 | +3.06 | 19 1 |
20 | 21 | アンドレア・デ・アダミッチ | マクラーレン-アルファロメオ | 1:21.36 | +3.06 | DNQ |
21 | 15 | グラハム・ヒル | ロータス-フォード | 1:21.63 | +3.33 | 20 1 |
22 | 19 | ロルフ・シュトメレン | ブラバム-フォード | 1:22.34 | +4.04 | DNQ |
23 | 31 | ピート・ラブリー | ロータス-フォード | 1:23.37 | +5.07 | DNQ |
24 | 29 | シルビオ・モーザー | ベラシ-フォード | 1:24.29 | +5.99 | DNQ |
決勝当日は曇り空で、メキシコシティで開催される1970 FIFAワールドカップの決勝と重なるのを避けるため、レースの開始時間が15:00(CEST/UTC+2)から13:00(同)に早められた[注 2][4][11]。
スタートでジャッキー・イクスがヨッヘン・リントの前に出たが、リントは2周目に満タン(50-55ガロン)のガソリンを積んだ状態でファステストラップを出し[13]、3周目のターザンヘアピンでイクスを抜いた。コーリン・チャップマンが制作したアンチスクワットが持続する[注 3]ロータス・72でジョン・マイルズは1周目に5位まで順位を上げ、オーバーテイクが容易でないことがわかった。このことはチーム・ロータスを助けた。リントが29周目から32周目の4周でジャック・ブラバム、ジャン=ピエール・ベルトワーズ、ジョン・サーティース、マイルズの4台を周回遅れにしたのに対し、イクスやジャッキー・スチュワートは彼らを周回遅れにするのに7周を要した[14]。マイルズは49周目にベルトワーズに抜かれ、海岸の砂浜から大きい波が見えると2台目のロータス・72はグリップを失い、残り4周でサーティースがマイルズを抜いて6位に入賞した。
本レースで2台目のフェラーリ・312Bを走らせたクレイ・レガツォーニがデビュー戦でチームメイトのイクスに続く4位に入賞し、フェラーリの復活を印象づけたが、死亡事故によって台無しとなった。ウィリアムズからデ・トマソを駆るピアス・カレッジが22周目、トンネルオースト手前の縁石に乗りげてサスペンションが破損し、芝生の土手をまっすぐに登った。マシンは宙返りをした後に爆発し、カレッジはフロントタイヤに頭をぶつけて即死した。激しい炎によって事故現場周辺の木々を明るくした。1973年にも同様の事故が起こり、ロジャー・ウィリアムソンが亡くなっている[15]。カレッジの事故死にチーム監督で親友でもあったフランク・ウィリアムズが受けたショックは大きかった[16]。革新的なロータス・72が本調子を発揮して今季2勝目を挙げたリント[17]も親友のカレッジの死に大きなショックを受け、この年限りでの引退を真剣に考えるようになった[16]。
順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 10 | ヨッヘン・リント | ロータス-フォード | 80 | 1:50:43.41 | 1 | 9 |
2 | 5 | ジャッキー・スチュワート | マーチ-フォード | 80 | +30.00 | 2 | 6 |
3 | 25 | ジャッキー・イクス | フェラーリ | 79 | +1 Lap | 3 | 4 |
4 | 26 | クレイ・レガツォーニ | フェラーリ | 79 | +1 Lap | 6 | 3 |
5 | 23 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | マトラ | 79 | +1 Lap | 10 | 2 |
6 | 16 | ジョン・サーティース | マクラーレン-フォード | 79 | +1 Lap | 14 | 1 |
7 | 12 | ジョン・マイルズ | ロータス-フォード | 78 | +2 Laps | 8 | |
8 | 24 | アンリ・ペスカロロ | マトラ | 78 | +2 Laps | 13 | |
9 | 22 | ロニー・ピーターソン | マーチ-フォード | 78 | +2 Laps | 16 | |
10 | 1 | ペドロ・ロドリゲス | BRM | 77 | +3 Laps | 7 | |
11 | 18 | ジャック・ブラバム | ブラバム-フォード | 76 | +4 Laps | 12 | |
NC | 15 | グラハム・ヒル | ロータス-フォード | 71 | 規定周回数不足 | 20 | |
Ret | 6 | フランソワ・セベール | マーチ-フォード | 31 | エンジン | 15 | |
Ret | 3 | ジョージ・イートン | BRM | 26 | オイル漏れ | 18 | |
Ret | 2 | ジャッキー・オリバー | BRM | 23 | エンジン | 5 | |
Ret | 4 | ピアス・カレッジ | デ・トマソ-フォード | 22 | 事故死 | 9 | |
Ret | 9 | ジョー・シフェール | マーチ-フォード | 22 | エンジン | 17 | |
Ret | 20 | ピーター・ゲシン | マクラーレン-フォード | 18 | アクシデント | 11 | |
Ret | 32 | ダン・ガーニー | マクラーレン-フォード | 2 | エンジン | 19 | |
Ret | 8 | クリス・エイモン | マーチ-フォード | 1 | クラッチ | 4 | |
DNQ | 21 | アンドレア・デ・アダミッチ | マクラーレン-アルファロメオ | 予選不通過 | |||
DNQ | 19 | ロルフ・シュトメレン | ブラバム-フォード | 予選不通過 | |||
DNQ | 31 | ピート・ラブリー | ロータス-フォード | 予選不通過 | |||
DNQ | 29 | シルビオ・モーザー | ベラシ-フォード | 予選不通過 | |||
ソース:[18] |
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