ダン・ジョンソン

アメリカの野球選手 (1979 - ) ウィキペディアから

ダン・ジョンソン

ダニエル・ライアン・ジョンソンDaniel Ryan Johnson , 1979年8月10日 - )は、アメリカ合衆国ミネソタ州アノーカ郡クーンラピッズ出身のプロ野球選手投手一塁手)。右投左打。

概要 基本情報, 国籍 ...
ダン・ジョンソン
Dan Johnson
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横浜ベイスターズ時代(2009年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 ミネソタ州アノーカ郡クーンラピッズ
生年月日 (1979-08-10) 1979年8月10日(45歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手一塁手三塁手外野手
プロ入り 2001年 ドラフト7巡目でオークランド・アスレチックスから指名
初出場 MLB / 2005年5月27日 クリーブランド・インディアンス
NPB / 2009年4月3日 中日ドラゴンズ
最終出場 NPB / 2009年10月2日 読売ジャイアンツ
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
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来歴

要約
視点

プロ入り後

2001年MLBドラフト7巡目でオークランド・アスレチックスから指名を受け、プロ入りを果たす。

2005年にメジャーデビューを果たした。同年は、ルーキーイヤーながら15本塁打を放つ活躍を見せ、数年後の中軸打者として期待された。

2006年は不振に陥り、.234という低い打率でシーズンを終えた。

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オークランド・アスレチックス時代
(2007年6月19日)

2007年は復調し18本塁打を記録するがその後は出場機会があまり無かった。

2008年4月18日にウェーバーでタンパベイ・レイズへ移籍した。

横浜時代

2008年12月19日に横浜ベイスターズへ1年契約で移籍。チームに手薄な左の長距離砲として期待されていた。

2009年は4番の村田修一がWBCで怪我をしたため、4番候補にも挙げられたが開幕では3番として出場。村田の復帰後は主に5番か6番に起用された。守備位置は横浜では外野手登録となっていたが、本職は内野手であり、メジャー時代に外野を守ったことは1試合程度しかない。そのことに加え、キャンプ中に左太ももを痛めるなど下半身に不安があることや、前年一塁を守っていた内川聖一が外野に回ることを承諾したため、試合では一塁手で起用されている。前半戦終了時で本塁打13本と長打力を見せ、四球で出塁することも多かった。8月に村田が足の故障で再び離脱すると、代役の4番をつとめた。また、打撃フォームは極端なオープンスタンスから少し足を開く程度に変わっている。シーズン後半から代打起用を中心に打撃成績が向上したものの、シーズン終盤に弱点を徹底的に攻められ再び成績が降下し、低打率から脱することなくシーズンを終えた。高年俸と低打率、そして一塁しか守れないことがネックとなり球団はシーズン終了後に戦力外を通告、退団となった。

レイズ復帰

2010年は古巣レイズと年俸50万ドルの1年契約を結んだ。AAA級ダーラム・ブルズでは30本塁打、打率.303、OPS1.053と結果を残し8月にメジャーに昇格。メジャーでは打率.198ながら7本塁打と出塁率.343を残し、9月15日のニューヨーク・ヤンキース戦では2本塁打4打点の活躍を見せ、チームの地区優勝に貢献した。

2011年は開幕から5月まで打率.115、OPS.345と不振に陥り、5月24日には40人枠から外れた。AAA級ダーラムでは93試合の出場で打率.273、13本塁打を残し、9月14日にメジャーに昇格。9月28日に行われたヤンキースとのプレーオフ進出が懸かったシーズン最終戦で、9回裏2死走者なし1点ビハインドの場面で代打で出場。2ストライク2ボールと追い込まれ、ファウルで粘った後に外角低めの球をライトスタンドに運び、土壇場で同点とした。その試合で延長12回サヨナラ勝ちを収めたレイズは、ワイルドカード争い首位で並んでいたボストン・レッドソックスボルチモア・オリオールズに敗れたため、プレーオフ進出を決めた。

レイズ退団後

2012年2月1日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結び、ロースター拡大した9月にメジャー昇格した。

2013年1月24日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだが、メジャー昇格のないまま8月30日に解雇され、ボルチモア・オリオールズにマイナー契約で入団。AAA級ノーフォーク・タイズで5試合出場後、9月13日にメジャー昇格を果たし、3試合に出場し、5打数無安打1三振に終わった。11月1日にFAとなり、11月15日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ[1]。なお、この頃から投手への転向も考えていたという[2]

2014年はAAA級バッファロー・バイソンズで開幕を迎え、94試合に出場。17本塁打54打点、打率.248だった。7月11日に一塁手のアダム・リンドが故障で離脱したため、ブルージェイズとメジャー契約を結んだ[3]。昇格後は13試合に出場したが、7月31日に左ハムストリングのの故障で15日間の故障者リスト入りした。9月2日に再昇格したが、わずか2試合の出場にとどまった。この年は15試合に出場し、1本塁打7打点、打率.211だった。10月3日に40人枠を外れ、AAA級バッファローへ降格し、同日にFAとなった[4]。オフの12月15日にヒューストン・アストロズとマイナー契約を結んだ[5]

2015年3月26日に金銭トレードでマイナー契約のままシンシナティ・レッズに移籍。4月25日に自由契約となり、5月4日にセントルイス・カージナルスとマイナー契約を結び、AAA級メンフィス・レッドバーズに配属された。7月8日にメジャー契約を結び昇格した[6]

投手転向後

2016年3月5日にタンパベイ・レイズとナックルボーラーとしてマイナー契約を結んだ[7]。しかし3月30日に解雇となり、4月8日に内野手として独立リーグ・アトランティックリーグブリッジポート・ブルーフィッシュと契約し、一塁手の他に投手としても5試合に登板。6月13日にトレードでロングアイランド・ダックスに移籍。ダックスでは一塁手としての出場のみで29日に解雇となる。7月8日に投手としてアメリカン・アソシエーションセントポール・セインツと契約し7試合に登板。8月23日に投手としてロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。

2017年5月15日に内野手としてリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルプエブラ・パロッツと契約。6月1日にレオン・ブラボーズに移籍。8月21日にセントポール・セインツへ移籍し、再び投手登録された。

2018年も投手登録でセインツに所属。7月14日にトレードでリンカーン・ソルトドッグスに移籍。その後、再びリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのレオンブラボーズに移籍した[8]

2019年8月からネブラスカ大学リンカーン校の野球チームのスタッフとなり、これ以降はプロ野球選手としての活動は行なっていない。

詳細情報

年度別打撃成績

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O
P
S
2005 OAK 109434375541032101516958010850115211.275.355.451.806
2006 91331286306713191093700054020456.234.323.381.704
2007 11749541653982011817462000472437712.236.349.418.768
2008 1110000000000000000.000.000.000.000
TB 10282535002114000030070.200.286.440.726
'08計 11292635002114000030070.192.276.423.699
2009 横浜 1173823254370612415057000152147810.215.330.462.791
2010 TB 401401111522307462310032501271.198.343.414.757
2011 3191847101021740000601183.119.187.202.389
2012 CWS 14312288103186000091030.364.548.8181.367
2013 BAL 3550000000000000010.000.000.000.000
2014 TOR 154838882011370002701101.211.333.342.675
2015 STL 1221191300032000020041.158.238.158.396
MLB:10年 4431625138217932461257560203110222148724434.234.335.405.741
NPB:1年 1173823254370612415057000152147810.215.330.462.791
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  • 2018年度シーズン終了時

年度別守備成績

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一塁(1B)三塁(3B)左翼(LF)




































2005 OAK 10189757694.994--
2006 8568964496.995--
2007 9786940480.996--
2008 TB 8395041.000-130001.000
2009 横浜 5345127631.98833244244.943-
2010 TB 138230111.00065620.846310001.000
2011 2115113110.994302001.000-
2012 CWS 3121021.000--
2013 BAL 110011.000--
2014 TOR 844412.980--
2015 STL 6344061.000--
MLB 343281819116306.90595820.867440001.000
NPB 5345127631.98833244244.943-
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  • 2018年度シーズン終了時

表彰

MiLB

記録

NPB

背番号

  • 11 (2005年)
  • 29 (2006年 - 2008年途中、2012年)
  • 24 (2008年途中 - 同年終了、2010年 - 2011年)
  • 3 (2009年)
  • 55 (2013年)
  • 16 (2014年)
  • 30 (2015年)

脚注

関連項目

外部リンク

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