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イギリスのガールグループ ウィキペディアから
スパイス・ガールズ(英語: Spice Girls)は、1994年に結成されたイギリスの女性アイドル・グループ。オリジナル・メンバーは、メラニー・ブラウン(スケアリー・スパイス)、メラニー・チズム(スポーティ・スパイス)、エマ・バントン(ベイビー・スパイス)、ジェリ・ハリウェル(ジンジャー・スパイス)、ヴィクトリア・ベッカム(ポッシュ・スパイス)の5人で構成される。彼女たちはヴァージン・レコードと契約し、1996年に「ワナビー」でデビュー。同曲は37か国で首位を獲得し[3][4]、世界的な成功を収めた。その他のヒット曲に「トゥー・マッチ」「ストップ」「ビバ・フォーエヴァー」など多数。
デビュー・アルバム『スパイス』は世界中で3,100万枚以上の売上を記録し、歴史上最も売れた女性グループのアルバムとなった[5][6]。2枚目のアルバム『スパイスワールド』は世界中で2000万枚以上を売り上げた[7]。スパイス・ガールズは世界中で8500万枚以上のレコードを売り上げた[8][9][10]商業的に最も成功を収めた女性グループであり[9][11]、彼女たちの登場はイギリスのポップ・カルチャー史においてビートルマニア以降で最大の出来事に数えられている[12][13][14]。1990年代のイギリスの大衆文化の中でも最も高い評価を受けており、雑誌『タイム』は1990年代半ばのイギリスの若者文化の祝典であるクール・ブリタニアに出演する中でスパイス・ガールズが「間違いなく最も顔と名前が知られている」グループと評価した[15]。
彼女たちの成功を示すものとしては、国際的なレコード売上の記録、2007年から2008年の再結成ツアー、前例のないマーチャンダイジング、ハリウェルが着用したユニオンジャックドレスに代表される「ガールパワー」、映画『スパイス・ザ・ムービー』などが挙げられる。このグループは、これまでで最も成功したマーケティング・エンジンの1つとなった[16]。年間7500万ドルの収益を上げ[17]、1998年5月までに世界の総売上高は5〜8億ドルと推定されている[16]。彼女たちの指導者でマネージャーのサイモン・フラーのもと、スパイス・ガールズはマーチャンダイジングを受け入れ、イギリスと世界の報道機関の定期的な特集を組まれた。1996年、雑誌『トップ・オブ・ザ・ポップス』は、各メンバーに愛称を与えた。『ローリング・ストーン』誌のジャーナリストで伝記記者のデイヴィッド・シンクレアによると、「スケアリー、ベイビー、ジンジャー、ポッシュ、スポーティ」は、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ以来、最も広く認識されているグループである[18]。「ガールパワー」現象で、スパイス・ガールズは1990年代の人気のある文化的アイコンとなった[7]。また、彼女たちは1990年代の第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの一部と見なされている[19]。
2016年にメル・B、エマ・バントン、ジェリ・ハリウェルが再会し、「スパイス・ガールズ - GEM」という新しいウェブサイトを立ち上げた[20]。
3月、イギリスの雑誌『The Stage』が「18歳から23歳まででダンスができて歌が唄える女性」を募集した。この広告に約2000人の女性が応募し、「個性的で、ファンのみんながメンバーの誰かにあてはまる」ようなグループを目指し、メラニー・チズム、ヴィクトリア・アダムス、メラニー・ブラウン、ジェリ・ハリウェル、ミシェル・ステファンソンの5人の女性が選ばれた。当初のグループ名は「Touch」だった。6月、レコーディング中にメンバーのミシェルが乳がんになった母親の看病のためグループから離れることになり、エマ・バントンが新しくグループに加わった。10月にはツアー活動を始め、プロデュース・チーム、Absoluteと出会う。そこで、19 Managementというエンターテイメント会社のサイモン・フラーと出会う。
3月にはヴァージンとレコード契約。5人はイギリスのメイデンヘッドで共同生活を送るようになり、ダンスレッスン、デモテープの制作に励んだ。10月にデビュー当時からのマネージャーを解雇(理由は「支配されすぎた」ということがあった)。また、同日にエリオット・ケネディをマネージャーに迎える。エリオットは新しいグループ名として新たに「スパイス (Spice)」と名付けた。しかし、すでにイギリスに同名のバンドがあったことと、すでにメディアが「Spice Girls」と表記するようになっていたことからグループ名は正式にスパイス・ガールズとなった。ここから1996年の夏まで、デビュー・アルバムのために曲を書いていた。
1996年7月8日、デビュー曲「ワナビー」をイギリスでリリース。またこの曲のミュージック・ビデオが音楽チャンネルを支配するようになった。1週目はチャート3位だったが、2週目には1位をマーク(7週連続)。日本ではフジテレビ系列で深夜に放送されていた音楽番組『BEAT UK』ではUKシングルチャート・トップ20で初登場1位を獲得した。イギリスの音楽番組『Top Of The Pops』に出演し、同局の雑誌で、ヴィクトリアにはポッシュ(上品で気取った)・スパイス、メラニーCにはスポーティー・スパイス、メラニーBにはスケアリー(恐ろしい)・スパイス、エマにはベイビー・スパイス、ジェリにはジンジャー・スパイスというニックネームがつけられた。
「ワナビー」は世界31カ国でチャート1位となる。これは女性グループとしてだけではなく、デビュー曲としても記録的な売り上げと言われる。イギリスの歌手がアメリカ市場で人気を得るのは難しいが、この曲はビルボード・チャートで1週目で11位をマーク。ビートルズの12位の記録を塗り替えた。11月、アルバム『スパイス』をヨーロッパでリリース。7週間でイギリスだけで100万8,000枚を売り上げ、ビートルズの売り上げ記録を抜いてトップになる。トータルで300万枚を売り上げ、15週間アルバム・チャート1位をマークした。10月にはセカンド・シングル「セイ・ユール・ビー・ゼアー」、12月には「トゥー・ビカム・ワン」をリリース。この2曲は53カ国で1位を記録した。特に「トゥー・ビカム・ワン」は、クリスマス・ソングとして大人気となった。デビュー・アルバム『スパイス』からの最後のシングルカットとして、「ママ / フー・ドゥ・ユー・シンク・ユー・アー」をリリース。これも、チャート1位となった。
デビュー・アルバムはヨーロッパで1997年に最高の売上(800万枚)となり、プラチナ・レコード(×8)に認定された。アメリカでもアルバム・チャート1位をマークし、同国でも1997年最も売り上げたアルバムとして、プラチナ・レコード(×7)に認定された。また日本でも100万枚以上を売り上げた[21]。
11月には2枚目のアルバム『スパイスワールド』をリリース。同アルバムからのシングル「スパイス・アップ・ユア・ライフ」をリリース。アルバムはすぐに世界中で人気となり、2週間で700万枚を売り上げるという最速記録をマークした。ヨーロッパ、カナダ、アメリカではそれぞれ1,000万枚を売り上げた。それからは「トゥー・マッチ」、「ストップ」をリリース。このうち「ストップ」だけが全英チャート2位にとどまった。ちなみに「トゥー・マッチ」は1997年のクリスマス・ソングとしても人気があった。しかし、アメリカで「デビューから2枚目のアルバムをリリースするまでの期間が早すぎる」という批判があり、メンバー自身「私生活があまりにもメディアに報じられすぎている」という苦難もあった。また、約20社もの企業とスポンサー契約を結んでいたこともプレッシャーだったと後にメンバーは語っている。
そして、この辺りから母国イギリスを除く各国のチャートでは衰えが見られるようになっていった。それでも1997年、1998年の両年で最も売り上げた歌手として認められた。この年の6月には映画『スパイス・ザ・ムービー』の製作にとりかかった。内容はスパイス・ガールズが初ライブ前夜にマネージャーと喧嘩をして失踪してしまうというコメディー。エルトン・ジョン、ロジャー・ムーアなどの有名人も多く出演した。7千万ドルを世界中で売り上げた。もっとも、この映画はゴールデンラズベリー賞に複数部門でノミネートされ、最低主演女優賞を受賞した。11月にはマネージャーとサイモン・フラーを解雇。理由として自由が制限されすぎたというものがあった。
この年の早い時期に、スパイス・ガールズは102日に及ぶヨーロッパ・北アメリカツアーを始める(2月24日にアイルランドのダブリンで始まった)。メンバーのジェリが胃腸炎で最後の2公演、オスロ、ノルウェー公演を休んだ。このころからジェリがメンバーに幻滅し、脱退するという噂が流れ始めた。このツアーの後もいくつかのパフォーマンスをジェリは休んでいたので脱退は確実視されつつあった。5月31日にジェリの弁護士を通じて脱退が発表された。またジェリは次のようなコメントを残している。「残念なことに、私はスパイス・ガールズから脱退したことをお伝えします。私達には違いがあったからです。これからもスパイス・ガールズは成功し続けていくと思います。追伸、また戻ってきます」。ジェリは過度の疲れと自由な時間がないことを告白し、メラニー・ブラウンとの不仲説が流れた。残った4人のメンバーで北アメリカのツアーを続けた。ジェリの脱退はグループに混乱をもたらし、予定されていたライブ・アルバムのリリースもキャンセルされた。
7月20日にシングル「ビバ・フォーエヴァー」をリリース。ジェリの脱退後のリリースとなった。同曲のビデオにおいて、スパイス・ガールズはアニメとして出演している。理由に、世界ツアーで忙しかったことと、ジェリが脱退して撮影が不可能になってしまったということ(結局ビデオでは5人のスパイス・ガールズがアニメとして出演した)。また、この曲の次に「Never Give Up On The Good Times」もリリース予定だったが、レコーディング、編集の時間がないことと、ジェリの脱退でビデオが作れないという理由でキャンセルされた。クリスマスには「グッド・バイ」をリリース。この曲はジェリ脱退前に作詞されており、ジェリへの感謝の意をこめたリリースとなった。また、スパイス・ガールズ自身3度目の大ヒットクリスマス・ソングにもなった。またカナダでは16週間チャート1位をマークし、1990年代に最も成功を収めた曲となった。
11月に4人編成となって初のアルバム『FOREVER』をリリース。それまでとは違い、R&Bの制作陣を迎えたが、ファンの反応は今ひとつだった。全米チャートではアルバム・チャート39位と振るわず、全英チャートでは同じ頃にウエストライフがデビューし、そのデビュー・アルバムに負けてしまった。このアルバムからのリード・シングル「HOLLER (ホラァー) / レット・ラヴ・リード・ザ・ウェイ」をリリース。これはスパイス・ガールズにとって9度目の全英チャート1位をマークしたが、ビルボード・チャート100にはランクインしなかった(「HOLLER (ホラァー)」はダンス・ミュージックチャートで31位をマークした)。アルバムのプロモーション活動として、グループを2つに分けて活動するようになった。エマとヴィクトリアがアメリカを、2人のメラニーがヨーロッパを主に活動していた。この頃からメンバーはソロ活動を始めた。
活動休止を発表。ソロ活動に専念しはじめる。詳細は各メンバーの項目を参照。
2007年6月28日、記者会見をひらき、「The Return of the Spice Girls」と題した世界ツアーを決行すると発表。ベスト盤も11月5日に発売される予定だったが、同じ日にウエストライフもアルバムをリリースするため、1週間後に遅らせた。結局、再結成後初のシングル「Headlines (Friendship Never Ends)」は全英チャート11位におわり、アルバムもチャート2位にとどまった。当初、ソロとして成功していたメラニーCはこの再結成に難色を示していたが、他のメンバーの説得により最終的に参加。またコンサートではそれぞれソロのパートを設ける話が出たが、メラニーC、ジェリ、エマはそれに賛成。ヴィクトリアとメラニーBは反対しプログラムが難航した。結局、ヴィクトリアは歌わずファッションショーとして披露、またメラニーBはレニー・クラヴィッツの曲をカヴァーした。
開演地一覧(記者会見で発表されたツアースケジュールとは異なる)
当初は香港、上海、シドニー、ケープタウン、ブエノスアイレスなどの都市でも予定されていたが、スケジュールの都合により変更された。また、ヴィクトリアは日本公演を強く希望したが実現しなかった。
2007年11月15日、ハリウッドのコダック劇場で、世界ツアーに先駆けた再結成記念ライブを行った。
閉会式にて、「SPICE」と書かれたナンバープレートが掲げられたロンドンタクシー5台に分乗したメンバーがステージ中央で降車して現れ、「ワナビー」と「スパイス・アップ・ユア・ライフ」を披露した。今回の再結成では、ヴィクトリアが難色を示した。第4子の育児に忙しく、またファッション・デザイナーとして成功し始めており、過去のポップスターとしてのイメージを払拭したいためであった。しかし、他の4人がヴィクトリア抜きでも再結成をすることに決めたため、急遽スケジュールを調整し、参加することに決めた。
2016年、デビュー・シングル「ワナビー」発売から20周年を祝い、ジェリ・ハリウェル、メル・B、エマ・バントンの3人が「GEM」というユニットで新曲を準備中である旨を発表。今回の再結成ではヴィクトリアは4人の子育てにデザイナーとしての仕事が忙しいため不参加。メラニーCは10月にニュー・アルバムの発表を控えソロ活動に専念したいのと、再結成に意欲が湧かないとの理由で不参加。
2018年11月5日、ヴィクトリアを除く4人での再結成ツアーがアナウンスされ、翌2019年5月から6月にかけてツアーを敢行した。
発売年 | タイトル | 最高位 | |||||||||||||
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全英 | 全米 | 日本 | |||||||||||||
2007 | グレイテスト・ヒッツ - Greatest Hits | 2 |
93 |
18 |
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