ジョージ・フォアマン

アメリカのプロボクサー (1949-2025) ウィキペディアから

ジョージ・フォアマン

ジョージ・フォアマンGeorge Foreman1949年1月10日 - 2025年3月21日)は、アメリカ合衆国牧師実業家、元プロボクサーテキサス州マーシャル出身。元WBAWBCIBF世界ヘビー級王者。メキシコシティーオリンピックヘビー級金メダリスト

概要 基本情報, 本名 ...
ジョージ・フォアマン
Thumb
Thumb
ラスベガスの講演にて (2016年)
基本情報
本名 ジョージ・エドワード・フォアマン
(George Edward Foreman)
通称 ビッグ・ジョージ
(Big George)
階級 ヘビー級
身長 193cm[1]
リーチ 201cm
国籍 アメリカ合衆国
誕生日 (1949-01-10) 1949年1月10日
出身地 アメリカ合衆国 テキサス州マーシャル
死没日 (2025-03-21) 2025年3月21日(76歳没)
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 81
勝ち 76
KO勝ち 68
敗け 5
テンプレートを表示
閉じる
概要 獲得メダル, アメリカ合衆国 ...
閉じる

統一世界ヘビー級王者となり、1度は引退するも10年後に復帰すると45歳9カ月のときに再びヘビー級王者に返り咲いた。

Thumb
全盛期時代(1973年)

来歴

要約
視点

生い立ちとアマチュア時代

貧しい黒人家庭で、7人兄弟の5番目の子供として生まれる。少年期は喧嘩・飲酒・窃盗に明け暮れる不良少年で、15歳で学校を中退している。16歳の頃、偶然テレビで目にした「君にもセカンドチャンスがある!」という広告にひかれ、リンドン・ジョンソン大統領が貧民救済策として創設した職業部隊 (Job Corps) に加入、General Educational Developmentを習得し、大工とレンガ職人の職業訓練を受けた。当初はジム・ブラウンに憧れアメリカンフットボールをやっていたが、アメリカンフットボールを諦めてボクシングに転向した[2]

Thumb
金メダル獲得後にリンドン・ジョンソン大統領と面会するフォアマン(1968年)

アマチュアボクシングを始めてから2年足らずで国内選考会を勝ち抜き、メキシコシティーオリンピックボクシングヘビー級米国代表選手に選ばれる。1968年10月、決勝でソビエト連邦代表のイオナス・チェプリスをKOで破り金メダルを獲得する。

プロデビューから世界ヘビー級王者へ

オリンピック後はトレーナーのディック・サドラーと契約し、元世界ヘビー級王者ソニー・リストンのスパーリングパートナーを務める。1969年6月23日、プロデビュー戦でドナルド・ウォルハイム英語版と対戦し、3回1分54秒KO勝ちを収めた。この年は13連勝(11KO)、翌年1970年は12連勝(11KO)を飾った。しかし、対戦相手は無名の選手が多く、作られた戦績という見方もされていた。

Thumb
1973年

1973年1月22日、37戦全勝(34KO)という戦績を引っ提げ、ジャマイカキングストンナショナル・スタジアムで29戦全勝(25KO)のWBAWBC世界ヘビー級統一王者ジョー・フレージャーに挑戦。1回に3度、2回に3度のダウンを奪い、2回2分26秒TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。当時、モハメド・アリに勝利しヘビー級史上最強と謳われたフレージャーをフォアマンが一方的に打ちのめす試合内容は「キングストンの惨劇」と呼ばれた。この試合はリングマガジンのファイト・オブ・ザ・イヤーに選出された。

1973年9月1日、東京日本武道館ホセ・ローマン英語版と対戦し、1回2分KO勝ちを収め王座の初防衛に成功した。

1974年3月26日、ベネズエラカラカスで「モハメド・アリの顎を砕いた男」ケン・ノートンと対戦し、2回2分TKO勝ちを収め2度目の王座防衛に成功した。

アリ戦の敗戦と転身

Thumb
トレーナーのアーチー・ムーアと共にキンシャサへ向かうフォアマン(左)

1974年10月30日、ザイール共和国(現在のコンゴ民主共和国)の首都キンシャサで元WBA・WBC世界ヘビー級統一王者モハメド・アリと対戦。この一戦はアフロ・アメリカンのボクサー同士がルーツであるアフリカ大陸で行う初のヘビー級タイトルマッチで「ランブル・イン・ザ・ジャングル」(ジャングルの決闘[3])という謳い文句が付けられた。当時25歳で、40戦無敗(内37勝がKO勝ち)で「象をも倒す」と言われたハードパンチャーのフォアマンに対して、アリは当時32歳で復帰以降フットワークに衰えが見られ、この試合で引退に追い込まれるのではないかと囁かれた。アメリカの専門家筋の予想は4対1、ロンドンのブックメーカーの掛け率は11対5でフォアマン勝利を支持した[4]

Thumb
フォアマン対アリ戦(1974年)

試合は、フォアマンが序盤から圧倒的に攻め続けながら、ロープ際でロープに体を預けて防御するアリの戦法(ロープ・ア・ドープ)にはまり体力を消耗(フォアマンはアリ陣営によってロープが緩められていたと主張している)。8Rに逆転KOされ王座から陥落し、41戦目でのキャリア初黒星となった[5]

1975年4月26日、カナダメープルリーフ・ガーデンズで一晩に5人のプロボクサーとエキシビションで対戦した。モハメド・アリがテレビ解説を務めたが、フォアマンはリングサイドのアリに向かって再戦を要求した[6]

アリに敗北を喫してから1年以上休養した1976年1月24日、ロン・ライル英語版とNABFヘビー級王座決定戦を行い、ダウンの応酬の末5回2分28秒KO勝ちを収め王座獲得に成功した。その後、ジョー・フレージャーとの再戦(5回2分26秒TKO勝ち)を含めて4連勝する。1977年3月17日、勝てばアリへの再挑戦権を得る試合にこぎつける。場所はプエルトリコサンファン、相手は格下のジミー・ヤング英語版だった。一方的にヤングを攻めたが、試合中盤に失速し、最終回にダウンを喫して12回0-3の判定負け。

ヤング戦の試合後、疲労と熱中症に苦しみロッカールームで昏倒し、イエス・キリストの存在を感じる神秘的な臨死体験をしたことを契機に、キリスト教に目覚める。28歳でボクサーを引退し、キリスト教の牧師に転身する。

リング復帰と王座返り咲き

引退後はヒューストンの自宅近くに教会と「ジョージ・フォアマン青少年センター」を開設。しかし、施設維持費のほか、4度の離婚の慰謝料、12人の子供の養育費、雇っていた会計士の横領事件などによって資金難となり、38歳のときに10年ぶりに現役復帰を決意する。1987年3月9日、スティーブ・ゾウスキーと対戦し、4回2分47秒KO勝ちを収め復帰戦を飾る。

現役復帰を発表した時は、10年のブランクに加え、体型も明らかに肥満していたため、多くの人々は「正気か」と嘲笑したが[2]、復帰後24連勝を飾りヘビー級タイトル戦線に再浮上する(マイク・タイソンとの対決も期待されたが実現せず)。

1991年4月19日、「The Battle of the Ages」(時代を超えた対決)と題された一戦でWBA・WBC・IBF世界ヘビー級統一王者イベンダー・ホリフィールドに挑戦。フォアマンより14歳年下で全盛期を迎えていたホリフィールドを相手に激しい打ち合いを展開し、12回0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗するも多くの人々を驚かせた。

1993年6月7日、トミー・モリソンWBO世界ヘビー級王座決定戦を行う。フォアマンとの打ち合いを避け後退しながらアウトボクシングに徹するモリソンを捉えることができず、12回0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。その後1年以上ブランクが続き、引退も囁かれるが、フォアマンは「人々は常に私に対して『いつまで戦うんだ』と聞く。私は自分で辞めたい時に辞めるし、世界中の誰も私に指図することはできない。私の対戦相手は皆、試合中に背を向けて逃げ回っている。それは本当の勝利ではない。もし、誰かが私をノックアウトして倒したら、私はもう戦うことはないだろう」と現役続行を示唆した。

1994年11月5日、フォアマンより19歳年下のWBA・IBF世界ヘビー級王者マイケル・モーラーから逆指名され、復帰後3度目のタイトル挑戦に臨む。モーラーのアウトボクシングに9回までフォアマンはスコアカードで大差をつけられ負けていたが、10回に入るとパンチの連打で反撃に転じ、10回2分3秒に右ストレートをモーラーの顎に叩き込みKO勝ちを収め、アリ戦から20年越しとなる世界ヘビー級王座の返り咲きに成功した。45歳9カ月での戴冠はボブ・フィッシモンズ(ライトヘビー級)の40歳3カ月を上回る最年長王座獲得記録となった(2011年にバーナード・ホプキンスが46歳4カ月で更新)。

1995年3月、WBAから指名されたトニー・タッカーとの対戦を拒否し、WBA王座を剥奪される。同年4月、アクセル・シュルツを物議を醸す12回3-0の判定で破り、IBF王座の初防衛に成功するとともにWBU世界ヘビー級王座を獲得。同年7月、IBFから指令されたシュルツとの再戦を拒否し、IBFタイトルも剥奪される。

1996年11月3日、東京ベイNKホールクロフォード・グリムズリー英語版と対戦し(JBC非公認試合・日本IBF協力)、12回3-0の判定勝ちを収め、WBU王座の初防衛に成功するとともにIBA世界ヘビー級王座を獲得。1997年4月26日、ルー・サバリーゼ英語版12回2-1の判定で破り2度目のWBU王座防衛に成功するがこれも返上する。

1997年11月22日、WBC世界ヘビー級王者レノックス・ルイスへの挑戦権をかけてシャノン・ブリッグスと対戦し、12回0-2の判定負け。これが現役最後の試合となり、1999年ラリー・ホームズとの対戦が実現しかけるが交渉が決裂し実現しなかった。

2004年2月、55歳のとき現役復帰するためにトレーニングを始めたことを発表し、トレバー・バービックとの対戦が噂されるが、妻に反対され実現せず。

その後はテキサス州のヒューストンにあるキリスト教会「ザ・チャーチ・オブ・ザ・ロード・イエス・キリスト」で牧師となった。また、バーベキューグリルジョージ・フォアマン・グリル英語版」に名前の使用権を許可すると共に製品の宣伝広報を務めヒットさせ、TVドラマやCMに出演するなど成功を収めた。

2025年3月21日に死去[7]

人物・エピソード

  • フォアマンは5度結婚しており、1971年から1974年まではエイドリアン・カルホーンと、1977年から1979年まではシンシア・ルイスと、1981年から1982年まではシャロン・グッドソンと、1982年から1985年まではアンドレア・スケイテと結婚し、1985年に現在の妻であるメアリー・ジョーン・マーテリーと結婚した。
  • フォアマンには5男7女の12人の子供がいる[8]。娘のフリーダ・フォアマンフィンランド語版と次男のジョージ・フォアマン3世英語版はプロボクサーであり、フリーダは2019年3月9日に42歳で死去している。死因は自殺と見られている[9]
  • 7人兄弟の次男(上から5番目)であるが、フォアマンのみ異父を持つ。本人はこの事実をアリ戦の敗戦後に知った。
Thumb
ジョージ・フォアマン・グリル英語版
  • フォアマンが現役復帰して成功した秘訣を健康的な食事によるものと語っていたことに目をつけた調理器具メーカーのサルトン英語版から依頼され、宣伝広報に就任して発売したバーベキューグリル「ジョージ・フォアマン・グリル英語版」が大ヒットし、2009年の時点で1億個以上が販売された。1999年、フォアマンはグリルの商権を1億3800万ドル(約165億6000万円)で売却した[10]
  • ボクシングで稼いだ金を更生施設の設立につぎ込むなど、社会奉仕活動を積極的に行う人柄が人々から慕われ、体格と人間的な器の大きさを讃えて「ビッグ・ジョージ」という愛称を持つ[2]
  • 最初の王者だった頃は不愛想で、周囲に殺気を放つような人物だった。引退後、キリスト教牧師となり、その宣教を通して心の平穏を得ると、柔らかな表情とユーモアのあるコメントでファンに愛されるキャラクターとなった。また、100kg前後だった体型が復帰後は太り120kgまで増加し、頭髪もアフロヘアーからスキンヘッドとなったため、外見のイメージも一変した。
  • キンシャサでモハメド・アリと対戦した際、フォアマンはアリを「殺す」つもりだったと語っている。その後、キリスト教の牧師となり心の平穏を得たフォアマンはアリと友人関係を築き、2023年のインタビューでフォアマンは「アリとの友情がボクシングで得た最高の贈り物だった。彼がいないのが今でも寂しい」と語っている[11]
  • 1968年のメキシコ五輪で金メダルを獲得した時、フォアマンは星条旗の小旗を振って喜びを表した。しかし、当時のアメリカでは黒人差別への抗議活動がスポーツ分野にも及んでおり、男子200m走の表彰式では金・銅メダルのトミー・スミスと銅メダルのジョン・カーロスが黒い手袋をつけた拳を掲げるデモンストレーション(ブラックパワー・サリュート)を行い、大会から追放された。フォアマンの行為は偽善愛国者と誤解され、同胞の黒人から非難されてしまった[12]

戦績

  • アマチュアボクシング: 26戦 22勝 4敗
  • プロボクシング: 81戦 76勝 (68KO) 5敗
さらに見る 戦, 日付 ...
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
11969年6月23日3R 1:54KOドナルド・ウォルハイム英語版アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国プロデビュー戦
21969年7月1日1R 2:30KOフレッド・アスキューアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
31969年7月14日1R 2:59TKOシルヴェスター・ドゥレイアアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
41969年8月18日3R 0:54TKOチャック・ウェプナーアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
51969年9月18日1R 2:19KOジョニー・キャロルアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
61969年9月23日2R 0:19KOロイ・ウォレスアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
71969年10月7日2R 0:32TKOヴァーノン・クレイアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
81969年10月31日8R判定3-0ロベルト・ダビジャペルーの旗 ペルー
91969年11月5日4R 1:00KOレオ・ピーターソントリニダード・トバゴの旗 トリニダード・トバゴ
101969年11月18日2R 2:35KOマックス・マルティネスアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
111969年12月6日1R 1:22TKOボブ・ハゼルトンアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
121969年12月16日10R判定3-0レヴィ・フォルテアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
131969年12月18日1RTKOゲイリー・ホボ・ワイラーアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
141970年1月6日4R 0:44KOチャーリー・ポリートアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
151970年1月26日5R 1:10KOジャック・オハロラン英語版アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
161970年2月16日10R判定3-0グレゴリオ・ペラルタ英語版アルゼンチンの旗 アルゼンチン
171970年3月31日1R 2:42TKOルファス・ブラセルアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
181970年4月17日3R 0:37TKOジェームズ・J・ウッディアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
191970年4月29日4R 2:24TKOアーロン・イーストリングアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
201970年5月16日7R 1:41TKOジョージ・ジョンソン英語版アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
211970年7月20日1R 2:29KOロジャー・ラッセルアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
221970年8月4日3R 1:41TKOジョージ・シュバロカナダの旗 カナダ
231970年11月3日3R 1:50TKOルー・バイリーアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
241970年11月18日6R 1:38TKOブーン・カークマン英語版アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
251970年12月18日3R 1:40TKOメル・ターンボウアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
261971年2月8日1R 2:01KOチャーリー・ボストンアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
271971年4月3日2R 2:58TKOスタンフォード・ハリスアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
281971年5月10日10R 2:52TKOグレゴリオ・ペラルタ英語版アルゼンチンの旗 アルゼンチンNABFヘビー級王座決定戦
291971年9月14日1RKOヴィク・スコットアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
301971年9月21日2R 1:54KOリロイ・コールドウェルアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
311971年10月7日2R 2:35KOオリー・ウィルソンアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
321971年10月29日4R 終了TKOルイス・ファウスティーノ・ピレスブラジルの旗 ブラジル
331972年2月29日2RKOジョー・マーフィー・グッドウィンアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
341972年3月7日2R 2:55KOクラレンス・ブーンアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
351972年4月10日2R 2:28KOデッド・グリックアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
361972年5月11日2R 2:29KOミゲル・アンヘル・パエスアルゼンチンの旗 アルゼンチンパンアメリカンヘビー級タイトルマッチ
371972年10月10日2R 1:05KOテリー・ソレルアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
381973年1月22日2R 2:26TKOジョー・フレージャーアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国WBAWBC世界ヘビー級タイトルマッチ
WBA・WBC・リングマガジン王座獲得
391973年9月1日1R 2:00KOホセ・ローマン英語版プエルトリコの旗 プエルトリコWBA・WBC防衛1
401974年3月26日2R 2:00TKOケン・ノートンアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国WBA・WBC防衛2
411974年10月30日8R 0:40KOモハメド・アリアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国WBA・WBC王座陥落
421976年1月24日5R 2:28KOロン・ライル英語版アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国NABFヘビー級タイトルマッチ
431976年6月15日5R 2:26TKOジョー・フレージャーアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国NABF防衛1
441976年8月14日3R 2:58TKOスコット・ルドゥー英語版アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
451976年10月15日4R 2:25TKOジョン・デニスアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
461977年1月22日4R 2:34TKOペドロ・アゴストプエルトリコの旗 プエルトリコ
471977年3月17日12R判定0-3ジミー・ヤング英語版アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
481987年3月9日4R 2:47TKOスティーブ・ゾウスキーアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
491987年7月9日3R 2:01KOチャールズ・ホステッターアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
501987年9月15日6RTKOボビー・クラブトリーアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
511987年11月21日4R 2:23TKOティム・アンダーソンアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
521987年12月18日3R 2:48TKOロッキー・セコルスキー英語版アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
531988年1月23日1R 0:45KOトム・トリムアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
541988年2月5日5R 2:39TKOグイド・トレーンイタリアの旗 イタリア
551988年3月19日7R 1:51TKOドワイト・モハメド・カウィ英語版アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
561988年5月21日3R 2:07TKOフランク・ラックスアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
571988年6月26日4R 1:36TKOカルロス・エルナンデス キューバ
581988年8月25日2R 2:42TKOラディスラオ・ミハンゴスメキシコの旗 メキシコ
591988年9月10日1R 2:59TKOボビー・ヒッツアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
601988年10月27日2R 2:26TKOトニー・フリランギ英語版トンガの旗 トンガ
611988年12月28日1R 2:03TKOデビッド・ジャコ英語版アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
621989年1月26日7R 1:47TKOマーク・ヤングアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
631989年2月19日3R 2:14TKOマノエウ・デ・アウメイダブラジルの旗 ブラジル
641989年4月30日5R 1:37TKOJ・B・ウィリアムソンアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
651989年6月1日2R 終了TKOバード・クーパー英語版アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
661989年7月20日10R判定3-0エヴェレット・マーティンアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
671990年1月15日2R 2:57KOジェリー・クーニー英語版アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
681990年4月17日4R 2:16TKOマイク・ジェイムソンアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
691990年6月16日2R 2:39KOアジウソン・ホドリゲス英語版ブラジルの旗 ブラジル
701990年7月31日3R 1:24KOケン・ラクスタカナダの旗 カナダ
711990年9月25日1R 2:59KOテリー・アンダーソンアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
721991年4月19日12R判定0-3イベンダー・ホリフィールドアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国WBA・WBC・IBF世界ヘビー級タイトルマッチ
731991年12月7日3R 1:36TKOジミー・K・エリスアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
741992年4月11日10R判定2-0アレックス・スチュワート英語版アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
751993年1月16日8R 1:48TKOピエール・クッツァー英語版南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
761993年6月7日12R判定0-3トミー・モリソンアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国WBO世界ヘビー級王座決定戦
771994年11月5日10R 2:03KOマイケル・モーラーアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国WBA・IBF世界ヘビー級タイトルマッチ
781995年4月22日12R判定2-0アクセル・シュルツドイツの旗 ドイツIBF防衛1・WBU獲得
791996年11月3日12R判定3-0クロフォード・グリムズリー英語版アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国WBU防衛1・IBA獲得
801997年4月26日12R判定2-1ルー・サバリーゼ英語版アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国WBU防衛2
811997年11月22日12R判定0-2シャノン・ブリッグスアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テンプレート
閉じる

獲得タイトル

  • 全米AAU・ボクシング競技ヘビー級優勝(1968年)
  • 第19回メキシコシティーオリンピック・ボクシング競技ヘビー級優勝(1968年)
  • NABF北米ヘビー級王座
  • パンアメリカンヘビー級王座
  • IBA世界ヘビー級王座
  • WBU世界ヘビー級王座
  • WBA世界ヘビー級王座(1度目は防衛2度、2度目は防衛0度)
  • WBC世界ヘビー級王座(防衛2度)
  • IBF世界ヘビー級王座(防衛1度)

著書

  • ジョージ・フォアマン著/ジョエル・エンジェル協力 安部譲二訳『敗れざる者 - ジョージ・フォアマン自伝』、原題:"The Autobiography of George Foreman"、角川春樹事務所、1996年、ISBN 978-4894560062

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.