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スペイン東部のカタルーニャ州に居住しているカタルーニャ人の言語 ウィキペディアから
カタルーニャ語(カタルーニャご、català [kətəˈɫa])は、スペイン東部のカタルーニャ州に居住しているカタルーニャ人の言語。よく見られるカタロニア語という表記は地方名の英語名に由来する。インド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属する。
カタルーニャ地方のほか、バレンシア州、バレアレス諸島州、アラゴン州のカタルーニャ州との境界地域、南フランス・ルシヨン地方(北カタルーニャ)、イタリア・サルデーニャ州アルゲーロ市などに話者がいる。
アンドラ公国では公用語になっており、またスペインではガリシア語、バスク語と並んで地方公用語(カタルーニャ、バレンシア、バレアレス諸島各自治州)となっている。なお、バレンシア州は同地で話されているこの言語の地域変種の名称を「バレンシア語」と規定しており[3]、このことは同州で話されているこの言語を、カタルーニャ語のバレンシア方言であるか、バレンシア語であるかと言う議論に発展した。[要出典]
スペイン語(カスティーリャ語)の方言と誤解されることも多いが、スペイン語とカタルーニャ語は親戚関係にある別言語である[4]。
カタルーニャ語はヨーロッパの4か国で話されている(移民は除く):
カタルーニャ語は、ピレネー山脈東部の南北両側麓で話されていた俗ラテン語から派生している。ガロ=ロマンス語、イベロ=ロマンス語、北イタリアで話されていたガロ=イタリア語の特徴と原点を同じくする。アラゴン連合王国のレコンキスタによって、カタルーニャ語は南へ西へ広がり、バレンシア州やバレアレス諸島で話されるようになった。15世紀、バレンシア黄金時代にカタルーニャ語文学は頂点に達する。
しかし、ピレネー条約によってフランスへ割譲された北カタルーニャ(ルシヨン)ではカタルーニャ語の公での使用が禁止されてしまう。スペインにおいても、スペイン継承戦争の敗者であったカタルーニャでは、フェリペ5世が布告した新国家基本法によって、行政および教育の場でのカタルーニャ語使用が禁止された。
19世紀末にはカタルーニャ・ルネサンスと呼ばれる文芸復興運動(ラナシェンサ)が起こり、成果を見せた。20世紀初頭には、文法学者・言語学者プンペウ・ファブラが正書法、文法書、辞書を完成させ、現代カタルーニャ語の規範化に貢献した。
ところが、1936年に勃発したスペイン内戦と後のフランシスコ・フランコによる独裁政権により、地方語は激しい弾圧を受け、カタルーニャ語も公的な場から追放、プンペウ・ファブラも弾圧によりフランスへ亡命した。カタルーニャ語は、公の場ではFCバルセロナのホームスタジアムカンプ・ノウ内を除いて一切の使用が禁止され、再び暗黒時代に入る。
フランコ独裁後期、カタルーニャの民俗および宗教行事が再開され、これらの行事の際にカタルーニャ語を使用することが容認された。1975年11月のフランシスコ・フランコの死後、フアン・カルロス国王の治世下でスペインの民主化が進むなか、40年近くの間使用が禁止されていたカタルーニャ語も復権した。
言語学的には、ラテン語(より正確には俗ラテン語)から変化したロマンス語の一つで、歴史的関係により、南フランス(オクシタニア)の地方言語であるオクシタン語に近い。エスノローグの分類ではオクシタン語とともにオクシタニー・カタロニア語を構成するとしているが、言語学者にはこの説を支持していないものが多い。他のロマンス語と比較すると、カタルーニャ語には以下の特徴がある。
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