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旧ソ連の装甲兵員輸送車 ウィキペディアから
BTR-60(ロシア語: БТР-60)は、ソビエト連邦で開発された装輪式の装甲兵員輸送車である。
1959年に採用されてから21世紀に入っても現役で使用されている、第二次世界大戦後に開発された装輪式装甲車としては代表的なものの一つである。
それまでソビエト軍で使用されていたBTR-40やBTR-152といった装輪式の装甲車は、堅実な設計であったが、基本的には「トラックをそのまま装甲化した」ものに過ぎず、実戦部隊からは「戦車に充分に追随できず、機械化部隊の装甲車としては能力不足である」との意見も多かった。PT-76水陸両用戦車を基に装軌式の装甲兵員輸送車であるBTR-50も開発されたが、この車両は高価で生産費用がかかり、運用維持にかかるコストも大きいために大量配備に難があるとされ、「装輪式で生産・運用コストが廉価で、充分な能力を持った装甲兵員輸送車を」という要望により開発されたのが本車である。
1950年代後半から開発が開始され、生産・運用のコストを抑えるために極力民間向けのトラックと共通するコンポーネントを用いることを第1に、T-54戦車に無理なく追随できる能力があることが求められ、ゴーリキー自動車工場設計局(GAZ)とリハチェフ記念工場設計局(ZIL)設計局によってそれぞれ4軸8輪・背の高い舟型車体を持つGAZ-49と3軸6輪・同じく舟型だが背の低い車体を持つZIL-153が開発され、評価試験の結果GAZ-49が1959年に採用された。
最初期の型は車体天面に装甲のない“オープン・トップ”タイプだが、採用後ほどなくソビエト軍のドクトリンが核戦争下での行動を重視したものに転換されたため、密閉型の車体を持つBTR-60PAが開発、更に「武装が貧弱である」という意見に応えて更に大口径な重機関銃を搭載したBTR-60PBが開発され、以後はこのPB型が主力生産型となりソビエト始め東側諸国にも大量に配備され、BTR-60PBを改良したBTR-70が配備されるとソビエトのような先進国では退役が進んだが、途上国では21世紀に入っても多数が現役である。
車体後部にエンジンを搭載し、2基のエンジンで第1、第3車軸と第2、第4車軸を分担して駆動させている独特の機構を採っており、これは2基のエンジンを同調させることが難しく、引火しやすいガソリンエンジンのため、被弾すると爆発炎上してしまう危険性が高いという欠点がある。一方で片方のエンジンが故障や損傷しても問題なく走行できる冗長性の高さを兼ねている。車体後部に水上推進用のウォータージェットを一つ装備しており、水上航行時には車体前面下部の波切板を展開する。
兵員室の側面上部には左右それぞれ3つのガンポート(銃眼)が設けられている。本車が実戦で運用された際には、兵員室から降車するための側面上部ハッチが小さいために素早く降車できない点が最大の問題となった。上面ハッチからの降車も目立つため集中的に攻撃される難点があった。前述のガソリンエンジンの引火性から素早い降車が求められる本車において、兵員室からの脱出が遅れてそのまま焼死してしまう恐れが強かった。そのため、歩兵達は兵員室に入らず車上に跨乗して警戒することを好んだ。
BTR-60PBより全周旋回砲塔が搭載され、武装はKPVT 14.5mm重機関銃および同軸のPKT 7.62mm機関銃であり、俯仰角は-5度~+60度となっている。
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