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ソビエト連邦が開発した装甲兵員輸送車 ウィキペディアから
BTR-70は、ソビエト連邦、ロシアの装甲兵員輸送車。1972年に採用、ソ連では1976年から1980年にかけて製造された。BTR-60PBの改良型にあたる。
車体の大きさはBTR-60とさほど変わっていない(むしろ小型化している)が、エンジンが強化された為、エンジン室は大型化している。それによって兵員室は少々ながら小型化している。また、兵員乗降用ハッチが上部にしかなかったBTR-60の欠点を改良し、第2、第3車軸の間に逆三角型の乗降用ハッチを増設した。後部にエンジン室がある為側面から乗降する方式であるがハッチ自体が小型のものだったため迅速な乗降ができないという弱点があった。
BTR-60PB以来のKPVT 14.5mm重機関銃とPKT 7.62mm機関銃を搭載した全周砲塔で、俯仰角度は-5度~+30度。また、AGS-17自動擲弾銃を搭載した派生型も存在する。側面のガンポートは個数は変わらないが配置が若干変わった。BTR-60とは違って車体に消波器が設置されている。
新機能とは言えないが、路面の状態を見て乗員がタイヤの空気圧を車内から変更できる。また、NBC汚染環境下でも行動できるよう与圧式NBC防護装置を採用している。浮行性も有し、水上では後部に1つ取り付けられたウォータージェットで推進する。
アフガニスタン侵攻で初めて実戦に投入されたが、ガソリンエンジンの為、被弾した際に発火・炎上しやすいという弱点を露呈し、BTR-60共々「燃える車輪付き棺桶」という不名誉なあだ名がつけられた。また、側面ハッチは小型で完全武装の兵士には使用しづらく、上面から出入りしようとした兵士はみすみすムジャヒディンの餌食となった。これらの戦訓から、改良型のBTR-80はディーゼルエンジンを搭載し、側面ハッチを拡大している。
国際連合平和維持活動の内、国際連合ボスニア・ヘルツェゴヴィナ・ミッションではネパール軍とパキスタン軍がBTR-70を投入した。
チェチェン紛争においては装甲を厚くするなどしたが、市街戦の際に外部に取り付けられた増槽、ハッチ、機関室、砲塔などを携帯対戦車ミサイルで狙撃され、多大な損害を出した。
このほか、最近は砲塔がBTR-80のものに換装されている車両がある。
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