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1997年の横浜ベイスターズ(1997ねんのよこはまベイスターズ)では、1997年の横浜ベイスターズの動向をまとめる。
この年の横浜ベイスターズは、大矢明彦監督の2年目のシーズンである。
大矢監督1年目を5位で終え、2年目に向けて巻き返しを図るチームは投手陣再建のため権藤博をチーフ投手コーチに招聘。投手部門を権藤が担当し、野手部門を弘田澄男ヘッドコーチが担当するなどコーチ陣を再編した横浜は5月まで不振だったものの、投手陣の再編や打線の活性化が噛み合い、6月以降の猛反撃で借金を返済。マシンガン打線とあだ名された強力打線を武器に前年とはうってかわって夏場以降快進撃を見せ、7月に13勝5敗、8月に20勝6敗の驚異的ペースで勝ち星を積み上げて優勝戦線に食い込んだものの天王山となるヤクルトスワローズとの2連戦の初戦となる9月2日、石井一久にノーヒットノーランを喫してしまい[2][3][4]、これをきっかけに失速したものの大洋時代の1979年以来18年ぶり、そして横浜ベイスターズとなって初の2位でシーズンを終える。チームはこの年2位で終わったものの、大矢監督はこの年限りで辞任し弘田ヘッドコーチも辞任した。大矢の後任には権藤チーフ投手コーチが昇格し、1998年の38年ぶり優勝へとつながることになる。
※年数はNPB所属年数、年齡は開幕時
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1位 | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- |
2位 | 広島 | 2.0 | 広島 | 3.0 | 広島 | 8.0 | 広島 | 9.5 | 横浜 | 3.5 | 横浜 | 11.0 |
3位 | 阪神 | 3.5 | 中日 | 4.5 | 阪神 | 10.5 | 横浜 | 10.0 | 広島 | 8.0 | 広島 | 17.0 |
4位 | 中日 | 4.5 | 阪神 | 5.0 | 中日 | 12.5 | 中日 | 12.0 | 阪神 | 15.5 | 巨人 | 20.0 |
5位 | 巨人 | 横浜 | 6.0 | 横浜 | 14.0 | 阪神 | 12.0 | 中日 | 17.5 | 阪神 | 21.0 | |
6位 | 横浜 | 6.5 | 巨人 | 8.5 | 巨人 | 15.0 | 巨人 | 16.5 | 巨人 | 18.5 | 中日 | 24.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | ヤクルトスワローズ | 83 | 52 | 2 | .615 | 優勝 |
2位 | 横浜ベイスターズ | 72 | 63 | 0 | .533 | 11.0 |
3位 | 広島東洋カープ | 66 | 69 | 0 | .489 | 17.0 |
4位 | 読売ジャイアンツ | 63 | 72 | 0 | .467 | 20.0 |
5位 | 阪神タイガース | 62 | 73 | 1 | .459 | 21.0 |
6位 | 中日ドラゴンズ | 59 | 76 | 1 | .437 | 24.0 |
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