黒磯市
日本の栃木県にあった市 ウィキペディアから
日本の栃木県にあった市 ウィキペディアから
黒磯市(くろいそし)は、かつて栃木県北部にあった市である。旧那須郡。2005年1月1日に那須郡西那須野町、塩原町と新設合併し那須塩原市となったため廃止した。
※人口は各年の10月1日現在
那須町への通勤率は12.5%であった(那須町から黒磯市への通勤率は15.0%)。
当地に常住する15歳以上就業者は31,798人。うち他市区町村で従業している者は10,252人と、全体の32.2%である。他市区町村への従業先1位は那須町の3,982人、2位は大田原市の1,848人、3位は西那須野町の1,708人、4位は宇都宮市の550人、5位は黒羽町の404人、6位は東京都特別区部の339人、7位は塩原町の325人、8位は矢板市の308人、9位は福島県白河市の107人、10位は氏家町の44人。
※平成12年国勢調査による
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 山口兵吉 | 1912年(明治45年)6月20日 | 1916年(大正5年)6月19日 | |
2 | 1916年(大正5年)6月20日 | 1920年(大正9年)6月19日 | ||
3 | 1920年(大正9年)6月20日 | 1924年(大正13年)6月19日 | ||
4 | 1924年(大正13年)6月20日 | 1928年(昭和3年)1月3日 | 在任中死去[2] | |
5 | 菊地恒八郎 | 1928年(昭和3年)2月1日 | 1932年(昭和7年)1月31日 | |
6 | 1932年(昭和7年)2月1日 | 1935年(昭和10年)9月8日 | ||
7 | 増淵万四郎 | 1935年(昭和10年)12月1日 | 1936年(昭和11年)5月20日 | |
8 | 植竹虎太 | 1936年(昭和11年)7月3日 | 1940年(昭和15年)7月2日 | |
9 | 1940年(昭和15年)7月3日 | 1944年(昭和19年)7月2日 | ||
10 | 1944年(昭和19年)7月3日 | 1946年(昭和21年)2月10日 | ||
11 | 七海熊吉 | 1946年(昭和21年)3月18日 | 1947年(昭和22年)3月3日 | |
12 | 真島昶 | 1947年(昭和22年)4月5日 | 1951年(昭和26年)4月4日 | |
13 | 1951年(昭和26年)4月5日 | 1954年(昭和29年)12月31日 | (新)黒磯町の町長職務執行者に就任、町長選挙で落選[3] |
出典:『栃木県町村合併誌 第三巻下』, p. 47、『黒磯市誌』, p. 251
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.