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西沢 実(西澤 實、にしざわ みのる、1918年(大正7年)1月2日[1] - 2013年(平成25年)7月2日[1]) は、日本の放送作家・劇作家。筆名に苗川正[1] 、芸名に西沢みのる[2]。
長野県長野市出身[1]。旧制海城中学卒業。1939年(昭和14年)、東京中央放送局JOAK(現・NHK)が実施した朗読の新人募集に応募する[1]。1941年(昭和16年)には中央大学法学部在学のまま、同年に設立された東京中央放送局専属劇団俳優養成所に参加した[1]。同年大学を繰り上げ卒業し[1]、1942年(昭和17年)に応召して第2師団に入隊、戦車隊長としてトラック島で敗戦を迎える[1]。軍隊での最終階級は陸軍中尉であった[1]。
1946年(昭和21年)の復員後、「人類の祖先のために……」でラジオドラマ作家としてデビューした[1]。以後、NHK専属作家として活躍し、1952年(昭和27年)から1959年(昭和34年)にかけて約30本続いた「架空実況放送」は大きな評判を呼んだ[1]。「マイクの旅」「ピー子ポン太郎 世界めぐり」なども手がけ、“ラジオ作家”の呼称を日本で初めて使ったことでも知られる[1]。
のちフリーとなる[3]。代表作に「裸の皇帝」「狐切支丹」などがある[3]。
1957年(昭和32年)にスタートしたテレビ草創期の人気番組「私だけが知っている」の生みの親の一人でもある[1]。
1965年(昭和40年)には、全日本スキー連盟(SAJ)傷害防止対策常任委員を務めた[2]。
日本初の放送学科が設置された日本大学芸術学部で、1980年(昭和55年)から1998年(平成10年)の定年まで、大学・大学院で脚本論などの非常勤講師を務めた[1]。2000年(平成12年)、論文「創始期ラジオドラマとラジオドラマの“ことば”研究」で同大学より芸術学論文博士を授与された[1]。
1990年(平成2年)から1996年(平成8年)には日本放送作家協会理事長を務めた[1]。その他、放送番組センター理事、NHK全国高校放送コンテスト・ドラマ部門審査委員長なども歴任した[1]。
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