洛南高等学校・附属中学校
京都市の私立高等学校・中学校 ウィキペディアから
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洛南高等学校・附属中学校(らくなんこうとうがっこう・ふぞくちゅうがっこう)は、京都府京都市南区壬生通八条下ル東寺町に所在し、中高一貫教育を実施する私立高等学校・中学校。
洛南高等学校・附属中学校 | |
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北緯34度58分57.7秒 東経135度44分48.6秒 | |
過去の名称 |
真言宗京都中学 東寺中学校 東寺高等学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人真言宗洛南学園 |
校訓 |
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設立年月日 |
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創立記念日 | 6月10日[2] |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学科内専門コース |
|
学期 | 3学期制 |
学校コード |
D126310000193 高等学校) C126310000177 (中学校) | (
高校コード | 26510B |
中学校コード | 263616 |
所在地 | 〒601-8478 |
外部リンク | 真言宗洛南学園 | 洛南高等学校・附属中学校・附属小学校 |
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設置者は真言宗各派が参画する学校法人真言宗洛南学園であり、学校は東寺(教王護国寺)の境内にある。
高等学校においては、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間において、混合してクラスを編成する併設型中高一貫教育校(内外混合クラス編成)。
真言宗洛南学園の教育方針は以下の5項目である[1]。
また高等学校および附属中学校に共通の教育方針は、以下の3つの柱で、自らを伸ばしていく教育であり、賢く、熱く、おおらかに生きる力のある「人」を育むことである[3][4]。
仏教の三帰依(帰依仏・帰依法・帰依僧)を現代の言葉に直して校訓とし、生徒の指針として位置づける[1]。
本校の源流は、828年(天長5年)、空海が創立した綜芸種智院に端を発するとされているが、綜芸種智院は空海の死後、20年弱で廃止されている。
現在の洛南高校の前身は、1881年(明治14年)、真言宗の教育機関として釈雲照が設立した総黌である。総黌は1902年(明治35年)、「私立古義真言宗聯合高等中学林」と改称し、1917年(大正6年)、高等教育機関である真言宗京都大学(種智院大学の前身)と中等教育機関である「真言宗京都中学」に分離した。1926年(大正15年)、「東寺中学校」(旧制)と改称する。東寺中学校は戦後の学制改革の下で、1948年(昭和23年)、学校法人真言宗京都学園が設置する「東寺高等学校」となった。
1962年(昭和37年) 、「東寺高等学校」を「洛南高等学校」[注 1]と改称する。それに併せて、当時の副校長三浦俊良らが中心になって校内の改革を行った。
まず、風紀を改め、校則を厳しくし、不良生徒を一掃、退学を含む処分で大幅に取り締まった[5]。「特別進学コース」(特進コース)を設置・商業科を廃止し、普通コースと従来からある自動車科(1993年廃止)の3コース制となる。
このとき、国宝東寺百合文書を売却し、その収益で校舎の増改築を行った。
特進コースの設置当初は関関同立に何人か合格する程度であったが、昭和50年代後半に京大合格者を輩出し、新興進学校のパイオニアとしての評価を受け始めるようになる[6]。
1978年(昭和53年)、準特別進学コースを設置。1982年(昭和57年)、普通コースを「I類」、自動車コースを「II類」、特別進学コース・準特別進学コースをそれぞれ「III類A・III類B」と改称する。京都の高校でコース名に「類」という語を初めて用い、その後、京都府立高校で「類」というコース名が用いられるようになった[7]。
1985年(昭和60年)、洛南高等学校附属中学校[注 2]が開校し、中高一貫教育となる。
2011年(平成23年)、洛南高等学校・附属中学校を運営する「学校法人真言宗京都学園」は、経営不振であった種智院大学を分離し、「学校法人真言宗洛南学園」へと設置者変更(経営移管)した。種智院大学は「学校法人綜藝種智院」が運営し、経営が分離することとなる。
2013年(平成25年)、I類・III類を廃し、附属中学からの内部進学生と合流する「空パラダイム」と、個性を伸ばすことを目的とする「海パラダイム」の2コースに再編される。「海パラダイム」はさらに国公立大学を目指す"αプログラム"と部活動などの課外活動を重視する"βプログラム"に分かれている。
2014年(平成26年)、洛南高等学校附属小学校(京都府向日市)が開校し、小中高一貫教育となる。
1962年(昭和37年)の校内改革以来、厳しい校則で知られている[6]。校則だけでなく、勉学に対する姿勢、挨拶などの礼儀作法や公共性の確立といったしつけの面でも厳格である。
宗教色は強く打ち出してはいないが、宗教の時間は中1から高3まで週1回必須である。授業中に「お勤め」と呼ばれる勤行(お経を唱える)を行い、日々の生活などに対しての作文をノートに書く。定期考査ごとに提出の必要がある。
制服に関しては、2002年まで詰襟学生服であり、制帽も存在し、ホック指導が行われていた。共学化に伴いブレザーとなり、ネクタイ指導が行われている。
2013年度に設置された空パラダイム(最難関大学・学部を目指すコース)では、内部進学生240名(5クラス)と外部入学生95名(2クラス)が高2で合流する。
海パラダイム(難関国公立・有力私立大学を目指すコース)は、αプログラム(国公立大学を目指すコース)とβプログラム(有名私立大学文系学部を目指すコース)からなり、145名(βが1クラスとαβ混合が2クラス)編成となる。βは体操・陸上・バスケット・バレー・サッカー・水泳・吹奏楽の7クラブの活動に対して、中学在籍中の活動の成果が優秀で継続して活動する意志を有し、その人物・実績・学業の状況を認め在籍中学校との間でそれらについての確認が交わされた者を出願の資格者としている(水泳・吹奏楽を除き、男子のみの募集)。
2018年度に高校外部募集人数約192名(空パラダイム96名/海パラダイム96名)となり、海パラダイム募集が1クラス削減。海パラダイム96名はβが1クラスとαβ混合が1クラス編成となる[9]。
2021年度からは附属小学校からの内部進学一期生が高校に入学するのに伴い、高校外部募集人数約144名(空パラダイム48名/海パラダイム96名)となり、空パラダイム募集が1クラス削減、パラダイムのクラス編成が変更(内部進学6クラス外部空1クラス外部海2クラス)された。[10][11]。
「空パラダイム」「海パラダイム」の名は、創始者の空海の名に由来する[12]。
高2・高3の夏休みに高野山学習合宿がある。
海パラダイムβプログラムでは所謂スポーツ推薦入学者が含まれているため、複数の運動部は全国大会に出場している。バスケットボール部は2006年から2008年にかけてウインターカップで3連覇を達成している(男子では史上2校目)。また、陸上部は秩父宮賜杯対校選手権で8度の総合優勝を誇っている他、全国高校駅伝大会に19度の出場を誇る。また、体操部も強豪として知られている。一般生徒向けの部活動もあり、バスケットボール・陸上・水泳・バレーボールはスポーツ推薦者向きのⅠ部と一般生徒向きのⅡ部に分かれている[13]。
2003年12月に新校舎が竣工。その際に作られた新図書館の蔵書は50000冊を越える。第一体育館兼講堂には25m温水プール・体操練習場・柔道場あり。普段使うグラウンドと、体育祭などの時に使う向島グラウンドがある[14]。
陸上部顧問の40歳代の男性教諭が、2011年11月に部の練習中に、男子部員の一人を平手打ちにする体罰を加えた。この部員は左耳の鼓膜が損傷し全治1ヶ月の怪我を負った。同校はこの顧問教諭を減給3ヶ月ならびに譴責処分とし、陸上部の指導からも無期限で外している[15]。
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