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かつて日本の東京府荏原郡(東京都品川区と大田区の間)を運行していた目黒蒲田電鉄(東京急行電鉄)の鉄道路線 ウィキペディアから
目蒲線(めかません)は、かつて東京都品川区の目黒駅と大田区の蒲田駅との間を結んでいた東京急行電鉄(東急[1])の鉄道路線である。
東京急行電鉄の母体でもある目黒蒲田電鉄が最初に開業させた路線である。2000年8月6日に多摩川駅(同日、多摩川園駅から改称)を境に以下の路線に分割[2]され、「目蒲線」という名称は消滅した。
路線の分割直前のもの。
目蒲線の最終運行日(2000年8月5日)時点のダイヤでは、すべての列車が各駅停車で運転されていた。原則として目黒駅 - 蒲田駅間の通し運転だが、朝と夜を中心に奥沢駅発着(田園調布 - 多摩川間の改良工事開始前までは朝に田園調布駅発着)の区間列車も存在した。朝は3分30秒間隔、日中は7分30秒間隔、夜は5分間隔で運転されていた。
1923年3月11日に目黒蒲田電鉄(目蒲電鉄)が目黒駅 - 丸子(現・沼部)駅間を開業させ、次いで同年11月1日に蒲田駅まで全通させた。この路線が後の東急目蒲線である。この年は9月に関東大震災があった直後であり、沿線には被災者が一時の住まいを求めて集まり、そのまま住みつく人も多かったため、原町、月光町、大岡山、洗足の人口が一挙に増え、目蒲電鉄は経営成績を順調に伸ばした[3]。
また、池上電気鉄道(現・池上線)も目黒 - 蒲田間の路線を計画し、同年5月には一部区間を開通させていたが、目蒲電鉄の全通によって計画の変更を余儀なくされた。
当時の営団地下鉄南北線・都営地下鉄三田線との相互直通運転が2000年9月26日に開始されるのに伴い、同年8月6日に運転系統が分離され、目蒲線は目黒線と東急多摩川線の2路線に分割された。
東急目蒲線の最終運行日(2000年8月5日)時点の停車駅とその接続路線を記述する。現在の各停車駅の接続路線については「東急目黒線」・「東急多摩川線」の項を参照。全駅東京都内に所在。
駅名 | 駅間キロ | 累計キロ | 接続路線・備考 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
目黒駅 | - | 0.0 | 東日本旅客鉄道:■山手線 | 品川区 |
不動前駅 | 1.0 | 1.0 | ||
武蔵小山駅 | 0.9 | 1.9 | ||
西小山駅 | 0.7 | 2.6 | ||
洗足駅 | 0.7 | 3.3 | 目黒区 | |
大岡山駅 | 1.0 | 4.3 | 東京急行電鉄:■大井町線 | 大田区 |
奥沢駅 | 1.2 | 5.5 | 世田谷区 | |
田園調布駅 | 1.0 | 6.5 | 東京急行電鉄:■東横線(自由が丘・渋谷方面、菊名・横浜・桜木町方面 急行・各停) | 大田区 |
多摩川園駅 | 0.8 | 7.3 | 東京急行電鉄:■東横線(菊名・横浜・桜木町方面 各停) | |
沼部駅 | 0.9 | 8.2 | ||
鵜の木駅 | 1.1 | 9.3 | ※4両編成時、目黒寄りの1両は締切扱い。 | |
下丸子駅 | 0.6 | 9.9 | ||
武蔵新田駅 | 0.8 | 10.7 | ||
矢口渡駅 | 0.9 | 11.6 | ||
蒲田駅 | 1.3 | 12.9 | 東京急行電鉄:■池上線 東日本旅客鉄道:■京浜東北線 |
現在は多摩川駅で目黒線と東急多摩川線に系統分離されているが、かつても似たような運行形態をとっていた時期があった。1926年(大正15年)2月14日に東京横浜電鉄(後の東横線)の丸子多摩川駅(後の多摩川駅) - 神奈川駅(廃止)間が開業すると、 目黒駅- 神奈川駅間の直通運転が実施された。これに伴い、丸子多摩川駅 - 蒲田駅間は折り返し運転となった。1927年(昭和2年)8月28日に東京横浜電鉄が渋谷駅まで全通したことで、運行形態は元に戻った[14]。
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