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日産自動車の乗用車 ウィキペディアから
ブルーバード(BLUEBIRD)は、日産自動車が1959年(昭和34年)から2001年まで生産・販売していた乗用車。
日産・ブルーバード | |
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10代目 U14系セダン | |
概要 | |
別名 |
ダットサン・ブルーバード(初代 - 3代目、5 - 6代目) ダットサン・ブルーバードU(4代目) |
製造国 | 日本 |
販売期間 | 1959年 - 2001年 |
ボディ | |
ボディタイプ |
4ドアセダン 5ドアステーションワゴン 2ドアクーペ 2/4ドアハードトップ |
系譜 | |
先代 | ダットサン・110/210 |
後継 | 日産・ブルーバードシルフィ→シルフィ |
第二次世界大戦前から続いてきた、17型セダン、戦後のDA型セダン、DB型セダンといったダットサンブランドにおけるセダンの系譜を引き継いでいる。メカニズム的に直系とされているのは、初の戦後設計となったダットサン・乗用車110 / 210型系(210は直列4気筒OHV C型 988 cc搭載)である。日産を代表するミドルセダンとして、タクシー用の車種としても親しまれた。愛好者間での通称は「ブル[注釈 1]」。
最大の競合車種はトヨペット/トヨタ・コロナで、1960年代から1970年代にかけてコロナとブルーバードが繰り広げた熾烈な販売競争は「BC戦争」といわれた。
ダットサン・ブルーバード(初代) 310型系 | |
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P311型(中期型) 1960年10月 - 1961年8月 | |
P312型(後期型) 1961年8月 - 1963年9月 | |
概要 | |
販売期間 | 1959年8月 - 1963年9月 |
デザイン | 佐藤章蔵 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 4ドアセダン/ワゴン |
エンジン位置 | フロント |
駆動方式 | 後輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン | 1.2/1.0L 直4 OHV |
変速機 | 3速MT |
前 |
前:ダブルウイッシュボーンコイル 後:リジッド半楕円リーフ |
後 |
前:ダブルウイッシュボーンコイル 後:リジッド半楕円リーフ |
車両寸法 | |
全長 | 3,915mm |
全幅 | 1,496mm |
全高 | 1,470mm |
車両重量 | 900kg |
その他 | |
ブレーキ | 4輪ドラム |
データモデル | 1200デラックス 3速MT(後期型) |
系譜 | |
先代 | ダットサン・110/210型系 |
発売当時の名称は「ダットサン・ブルーバード」。ダットサン系の本格的な量産型乗用車としては最初の前輪独立懸架採用車となり、在来ダットサンの固定軸に比べて格段に乗り心地や操縦性を改善した。ボディタイプは4ドアセダンのみ[注釈 2]で、グレード構成は、1.0LはSTD、1.2LはSTDとDX。スタイリングは当時日産の社内デザイナーの佐藤章蔵によるもので、世界的トレンドにはやや遅れたデザインではあったが、全体に中庸を得たスタイルで機能性が高く、市場の反応は良好だった。セミモノコックボディと低床式ラダーフレームとを組合せて軽量化と強度確保を図る。主要部品の多くはダットサントラックとの共用で、十分な信頼性を備えていた。乗車定員は当初4名であったが、1959年(昭和34年)10月に後部座席寸法を3人がけ可能に変更して5名となった[注釈 3]。エンジンは先代のダットサン・セダン210型から踏襲された「C1型」(水冷 直列4気筒 OHV 988cc 34PS / 4,400rpm)を主力に設定。後にストロークを再拡大し、1189cc ( 43PS / 4,400rpm ) とした「E1型」も設定(P311 / WP311型)した。いずれも技術提携先のイギリス・BMC社製オースチンB系エンジンをベースとしたストローク変更のバリエーションである。1.2LクラスのE1型エンジン設定の理由は、輸出主戦場と目されたアメリカ合衆国で当時成功を収めていた同クラスのフォルクスワーゲン・ビートル[注釈 4]に対抗した性能確保が目的であった[注釈 5]。当時の日産の主力車種としてモータリゼーションの潮流に与し、4年間に渡るモデルライフを通して良好な販売実績を示した。韓国においては、セナラ自動車(現・韓国GM)によりノックダウン生産され、「セナラ」の車名で販売されていた。ニュージーランドでは1962年5月から販売されており、日本車としては最も早い時期に参入した車種の1台となる。また1963年3月からはオークランド郊外のマウント・ウェリントンにてP312の現地生産が開始され、これは当地で生産された最初の日本車となった。
初代の生産台数は約21万台[1]。
ダットサン・ブルーバード(2代目) 410型系 | |
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セダン(前期型) | |
エステートワゴン(後期型) | |
概要 | |
販売期間 | 1963年9月 - 1967年8月 |
デザイン | ピニンファリーナ(前期型) |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ |
2/4ドアセダン エステートワゴン バン |
エンジン位置 | フロント |
駆動方式 | 後輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン | 1.0/1.2/1.3/1.6L 直4 |
変速機 |
3速AT 4速 / 3速MT |
前 |
前:ダブルウイッシュボーンコイル 後:リジッド半楕円リーフ |
後 |
前:ダブルウイッシュボーンコイル 後:リジッド半楕円リーフ |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,380mm |
全長 | 3,995mm |
全幅 | 1,490mm |
全高 | 1,415mm |
車両重量 | 915kg |
その他 | |
ブレーキ | 4輪ドラム |
データモデル | 4ドアセダン1200 3速MT(前期型) |
後にブルーバードのイメージを牽引することになるSSS(スーパースポーツセダン)が設定された初めてのモデルでもある。日産初のフル・モノコック構造の車体を採用、当初のボディタイプは、4ドアのセダンとエステートワゴンのみ。先代に引き続き北米輸出が図られたほか、新たに欧州へ輸出されている。スタイリングはピニンファリーナによるものであったが、欧州調の尻下がりラインが不評で、販売台数で初めてコロナにリードを許す。エンジンは当初先代からのキャリーオーバーであるC型1.0L 45PSとE型1.2L 55PSであったが、電源は310系までの直流発電機(ダイナモ)から、交流発電機(オルタネーター)に変更し、発電性能を向上させている。トランスミッションは310型系以来のフルシンクロの3速MTで、1.2Lには「サキソマット」のオートクラッチの設定もあった。グレード構成は、1.0LはSTD、1.2LはSTDとDX、ファンシーDX、エステートワゴン。海外生産は先代から続くニュージーランドに加えて、新たにオーストラリア・シドニーでも開始された。
2代目の生産台数は約52万台[2]。
ダットサン・ブルーバード(3代目) 510型系 | |
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クーペ 1600 SSS (KP510型) | |
4ドアセダン 1800 SSS | |
概要 | |
販売期間 | 1967年8月 - 1973年1月 |
設計統括 | 太田昇 |
デザイン | 内野輝夫 |
ボディ | |
乗車定員 | 5名 |
ボディタイプ |
2/4ドアセダン /2ドアクーペ ワゴン/バン |
エンジン位置 | フロント |
駆動方式 | 後輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン | 1.3/1.4/1.6/1.8L 直4 SOHC |
変速機 |
3速AT 4速 / 3速MT |
サスペンション | |
前 | マクファーソンストラットコイル |
後 | セミトレーリングアーム式サスペンション |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,420mm |
全長 | 4,095mm |
全幅 | 1,560mm |
全高 | 1,420mm |
車両重量 | 945kg |
その他 | |
ブレーキ |
前:ディスクブレーキディスク 後:ドラム |
データモデル | 4ドアセダン 1800SSS 4速MT(後期型) |
1966年にダットサンのエントリーモデルとして「サニー」が発売されたことから、ブルーバードは1.3L以上の中級モデルに移行し、ボディも大型化された。当初のボディタイプは2ドア / 4ドアセダン、4ドアワゴン / 4ドアバンの4種類。キャッチコピーは「新しい時代の新しいセダン、NEWブルーバード」(発売初期)、「Dynamic Bluebird(ダイナミック・ブルーバード)」(中期)、「世界の名車・ブルーバード」(後期)。
エクステリアは日産社内デザイナーによるもので、「スーパーソニックライン」と称する、直線的で彫りの深いシャープなデザインとなった。従来装備されていたフロントドアガラスの三角窓は、換気装置の強化により省略された[注釈 7]。
メカニズムは一新され、新開発のL型(『絶版日本車カタログ』三推社・講談社、41頁参照)エンジン水冷直列4気筒SOHC(後に6気筒バージョンがスカイラインやフェアレディZに搭載される)を搭載し、量販モデルである1.3LのL13型と、上級モデルとして1.6LのL16型を積んだ「SSS(スーパー・スポーツ・セダン)」のラインアップだった。サスペンションは日産初の四輪独立懸架(フロント:マクファーソン・ストラット、リア:セミトレーリングアーム式サスペンション[注釈 8])を採用。セミトレーリングアームのドライブシャフト伸縮には直前に日産と合併されていたプリンス自動車が「グロリア」後輪のドディオンアクスルに使用していた「ボール・スプライン」の技術を利用している。
日本国内では他社に先駆けた先進的設計と斬新なスタイリングをアピールし、オーソドックスな後輪車軸懸架構造ながらデラックスな装備を売りにするトヨペット・コロナとの「BC戦争」を競り合った。日本国外では、廉価でありながら欧州車並みに高度なスペックを備えた魅力的なセダンとして「プアマンズ・BMW」との評価を獲得し、ラリーフィールドでのタフネスな活躍ぶりとも相まって人気を高め、史上初めて北米市場でヒットした日本車となった。続いて開発された初代フェアレディZと共に、北米輸出市場における日産(ダットサン)の躍進を実現した存在といえる。
このように、多くの新技術を積極的に導入した小型乗用車として、日本国内はもとより米国でも高く評価され、日本車の知名度向上に貢献した点が評価された結果、2023年に日本自動車殿堂による「歴史遺産車」に選定された[3]。
モデルライフの最中、オーストラリアでの生産はシドニーからメルボルン郊外のクレイトンに移転した。
ダットサン・ブルーバードU(4代目) 610型系 | |
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2ドアハードトップ 2000GT-X | |
4ドアセダン(後期型) 1973年8月 - 1976年7月 | |
2ドアハードトップ(前期型) 1971年8月 - 1973年8月 | |
概要 | |
別名 |
DATSUN160B DATSUN180B |
販売期間 | 1971年8月 - 1976年7月 |
設計統括 | 太田昇 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ |
4ドアセダン 2ドアハードトップ ワゴン / バン |
エンジン位置 | フロント |
駆動方式 | 後輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン |
1.8/1.6L 直4 2L 直6 |
変速機 |
3速AT 5速 / 4速MT |
前 |
前:マクファーソンストラットコイル 後:セミトレーリングアーム式サスペンション |
後 |
前:マクファーソンストラットコイル 後:セミトレーリングアーム式サスペンション |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,500mm |
全長 | 4,215mm |
全幅 | 1,600mm |
全高 | 1,415mm |
車両重量 | 1,035kg |
その他 | |
ブレーキ |
前:ディスク 後:ドラム |
データモデル | セダン 1800SSS-E 5速MT(前期型) |
車格の上級移行により車体はさらに大型化され、車名も「U」のサブネームが付いた「ブルーバードU」となった。サブネームである「U」は、「ユーザー・オリエンテッド」の略であり、2ドアセダン/4ドアセダンの1.4Lと1.6Lの廉価モデルのみを継続販売する510型系と区別するために付けられた[7]。車格アップに伴い、コロナの他にも1968年9月に登場したコロナの上級車種であるトヨペット・コロナマークIIとも競合する事になった。キャッチコピーは「心たかまるブルーバードUシリーズ」(発売当時)、「愛されていますか。奥さん。充実した家族のブルーバードU」(1972年以降)。従来の510型系も1973年1月まで併売され、710型バイオレットに引き継がれた。なお、この610型系ではタクシー仕様(営業車)は設定されなかった[注釈 10]。
ボディタイプは4ドアセダン、2ドアハードトップ、ワゴン、バンの4種類。当時の流行に沿った曲面基調でアクの強いデザインを持ち、セダン、ハードトップはサイドウインドウ下の「Jライン」と称するガーニッシュが特徴であり、その色は標準のダークグレーのほか、外板色が白の場合Jラインは黒となり、紺メタリックではオレンジ色も選べた。
エンジンは直列4気筒1.6L(L16)と1.8L(L18)を搭載。グレードは、STD、DX、GL、SSS、SSS-L、SSS-E[注釈 11]が設定された。
高級路線が裏目に出る結果となり、510型系より人気が低下したと同時に、クラス別における販売台数首位の座ももコロナに奪われた[7]。この傾向は5代目(810型系)まで続くことになる。販売終了前月までの国内新車登録台数の累計は52万6491台[8]。
1973年8月のマイナーチェンジで追加された「2000GTシリーズ」(GT、GT-E、GT-X、GT-XE[注釈 11])は、直列6気筒2.0LのL20型エンジンを搭載するため、ホイールベースを150mm延長し、フロントオーバーハングを55mm延長したロングノーズ仕様となっている。フロント周りはポンティアックを思わせる処理がなされ、スカットル部のエアアウトレット風の処理がサメのエラを連想させるデザインであることから「サメブル」と呼称された。またグレード名称や、フロントノーズを延長した処理がスカイライン(スカG)に似ていることから「ブルG」とも呼ばれる[9]。マイナーチェンジ車は、オイルショック・排出ガス規制で売れ行きが伸びなかった[注釈 12]。
ダットサン・ブルーバード(5代目) 810型系 | |
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4ドアセダン 1800GL-E(前期型) フロント | |
4ドアセダン(前期型) リア | |
2ドアハードトップ 2000 G6-E・F(後期型) 1978年9月 - 1979年11月 | |
概要 | |
別名 |
北米以外:DATSUN160B・DATSUN180B 北米:DATSUN810 |
販売期間 | 1976年7月 - 1979年11月 |
設計統括 | 石川康雄 |
デザイン | 園勲夫 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 4ドアセダン / 2ドアハードトップ/バン |
エンジン位置 | フロント |
駆動方式 | 後輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン |
2.0L 直6 1.8/1.6L 直4 |
変速機 | 3速AT/5速MT/4速MT |
前 |
前:マクファーソンストラットコイル 後:セミトレーリング式コイル(SSS/G6) リジッドリーフ(GL / DX初期) |
後 |
前:マクファーソンストラットコイル 後:セミトレーリング式コイル(SSS/G6) リジッドリーフ(GL / DX初期) |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,500mm |
全長 | 4,260mm |
全幅 | 1,630mm |
全高 | 1,390mm |
車両重量 | 1,030kg |
その他 | |
ブレーキ |
前:ディスク 後:ドラム |
データモデル | セダン 1800GL 4速MT(前期型) |
引き続きのボディサイズ肥大化の一方で、排気ガス対策とこれに伴う性能低下対処が最優先されたモデルであった。CMや広告出演は加山雄三で、キャッチフレーズは「ヘビーデューティ」。型式は「710」が初代バイオレットで使われていたため、「610」から飛んで「810」が割り当てられた。
ボディタイプはセダン、2ドアハードトップ、バンで、輸出用にワゴンが存在。ロングノーズの6気筒2.0LモデルはG6シリーズとして続投。また、610型系では設定されなかったタクシー仕様車(L18P型搭載)が復活し、これには沖縄向け左ハンドル仕様がごく少数生産された。エンジンは昭和51年排出ガス規制に適合した直列4気筒のL16 / L18型、直列6気筒のL20型をラインナップ。足回りは前輪がマクファーソンストラットとコイルスプリングであったが、後輪はSSS系とG6シリーズはセミトレーリングアーム式とコイルスプリングを踏襲したものの、GL / DX系は低コストのリーフリジッドサスペンションとなった。
オイルショックや排出ガス規制対応のため登場が遅くなり、販売不振のため次期モデルである910型系の登場が早まるなど、わずか3年4か月の生産に留まった。販売終了前月までの国内新車登録台数の累計は55万4168台[10]
ダットサン・ブルーバード(6代目) 910型系 | |
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セダン ターボSSS-S | |
ワゴン 1.8GL(海外仕様) | |
ハードトップ | |
概要 | |
別名 |
一般輸出: DATSUN180B・DATSUN200B 北米 :DATSUN810DL・ 日産・マキシマ(初代) 台湾:裕隆吉利1800 |
販売期間 |
営業車以外: 1979年11月 - 1983年10月 営業車: 1979年11月 - 1993年7月 |
設計統括 | 石川康雄 |
デザイン | 園勲夫 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ |
4ドアセダン / バン / ワゴン 2/4ドアハードトップ |
エンジン位置 | フロント |
駆動方式 | 後輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン |
Z20E/Z20型 直4 2L Z18ET/Z18E→CA18E/Z18→ CA18型 1.8L 直4 Z16→CA16型 1.6L 直4 Z18P型 LPG 直4 LD20/LD20T型 ディーゼル2L 直4 |
変速機 |
4速 / 3速AT 5速 / 4速MT |
前 |
前:マクファーソンストラットコイル 後:セミトレーリングアーム式サスペンション |
後 |
前:マクファーソンストラットコイル 後:セミトレーリングアーム式サスペンション |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,525mm |
全長 | 4,510mm |
全幅 | 1,655mm |
全高 | 1,370mm |
車両重量 | 1,110kg |
その他 | |
ブレーキ |
前:ベンチレーテッドディスク 後:ディスク |
データモデル | 2ドアHT 2000SSS-ES 5速MT(前期型) |
ブルーバード史上、最後のFR車となる。1970年代、開発・販売面での迷走を続けたブルーバードであったが、この910型の日本向け仕様は、上位グレードのロングホイールベースボディや直列6気筒搭載モデルを投入しないという思い切った見直しが図られ[注釈 13]、バランスの取れた4気筒中型セダンとして設計された。発表は当時の新車としては異例となる東京モーターショーの会場で行われた。
510型を彷彿させる直線基調の機能的かつ、クリーンでボクシーなスタイルなども相まって、小型車(1.6L - 2.0Lクラス)で27か月連続新車登録台数第1位を記録するなど、910型は510型以来の大ヒットとなった。発売の4か月後にはターボエンジン搭載モデルを追加。最高出力135ps/6000rpm、最大トルク20.0kgm/3600rpmを発揮し、テストコースで0→400mが16秒台、0→100km/hが10秒台を記録している。SSS系に採用されたセミトレーリングアームコイルリアサスペンションやZ18ET型ターボエンジンの採用により、リアサスペンションに4リンクリジッドコイルを採用し、18R-GEUDOHC自然吸気エンジンを採用していた6代目コロナ(T130型)を動力面でも圧倒した[11][注釈 14]。
広告のイメージキャラクターには沢田研二を起用し、「ザ・スーパースター」「ブルーバード、お前の時代だ」のキャッチコピーが使われた[注釈 15]。このCMで910型大ヒットの立役者となった沢田は引き続き次作U11前期型(ブルーバード・マキシマも含む)生産終了までイメージキャラクターを務める事となり(後述)、本人が歌うCMソングやナレーションも話題となった。
輸出仕様も国内仕様に準じた形で4気筒エンジンが用意されたものの、6気筒エンジンが必須の北米向けのみは、ホイールベースを100mm延長し、L24E型2.4L直列6気筒エンジンを搭載したセダンとワゴン(GL910 / WGL910型系)がラインナップされ、「ダットサン・810マキシマ」の愛称で発売された。北米以外の輸出仕様はL16S、L18S、L18T(ターボではなくツインキャブ仕様)、L20B(4気筒)が搭載され、セダン、2ドアハードトップ、ワゴンがラインナップされ、リアサスペンションは2ドアハードトップと欧州向けセダンはセミトレーリングアームの独立サスペンション、欧州以外向けセダンは4リンク、ワゴンは半楕円リーフのリジットアクスルであった。台湾の裕隆では吉利1800(裕隆911/912)として裕隆ブランドで生産・販売された。オーストラリア現地生産工場では1986年まで生産が継続された(次代U11型は導入されず)。
国内向けガソリンエンジンはバンを除いて全車直列4気筒のZ型に統一され、また、この910型からディーゼルエンジン(LD20型)が登場し、後にディーゼルターボ(LD20T型)エンジンも追加される。営業車には、LPGエンジンのZ18P型が搭載された。SSSシリーズには開発当初、スカイラインRS用の4バルブDOHCのFJ20Eエンジンの搭載も企画されたが、当時日産はターボブーム真っ只中ということもあり、販売サイドの意向で見送られたという逸話もある[注釈 16][注釈 17]。
足回りは、フロントサスペンションが日本製FR車初のゼロスクラブと、ハイキャスターにセッティングされた、マクファーソンストラットコイル、リアは、SSS系にはセミトレーリングアームコイル、エレガント系、タクシー、後期型ワゴンは4リンクコイル、バン、前期型ワゴン、1987年10月以降のLPGエンジンのタクシーは半楕円リーフリジッド(ディーゼルエンジンのタクシーは1987年10月以降も4リンク式)となった。バンの最廉価グレード、および営業車を除く全車にフロントベンチレーテッドディスクブレーキを標準装備。キャブレター仕様を除くSSS系、後期型 2.0L のエレガント系にはウレタン製衝撃吸収大型バンパーが装備された。
当モデルの2ドアハードトップをオープンカーに改造したものが、発売当時開場したばかりの横浜スタジアムでリリーフカーとして使用されていた。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は68万3885台[12]
営業車モデル(タクシー用)は、FF(前輪駆動)のU11型にフルモデルチェンジされた後も、FR(後輪駆動)の910型が継続生産されていた。その理由に、
以上の理由で、FF(前輪駆動)のU11型の営業車モデル(タクシー用)の設定を断念せざるを得なかった事情があった。
セダン/ハードトップ:1983年 - 1987年、マキシマ:1984年 - 1988年、バン/ワゴン:1983年 - 1990年
日産・ブルーバード(7代目) U11型系 | |
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ハードトップ(前期型) 1983年10月 - 1985年8月 | |
セダン(欧州仕様・後期型) | |
ワゴン(欧州仕様・後期型) | |
概要 | |
別名 |
日産・オースター(3代目) 北米 : 日産・マキシマ(2代目) |
販売期間 |
1983年10月 - 1990年9月 |
設計統括 | 石川康雄 |
デザイン | 園勲夫 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ |
4ドアセダン / 4ドアハードトップ ワゴン/バン |
駆動方式 | 前輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン |
VG20ET/VG20E型 2L V6 CA20型 2L 直4 CA18DET/CA18ET/ CA18E/CA18型 1.8L 直4 CA16型 直4 1.6L LD20→LD20II型 直4 ディーゼル2L |
変速機 |
4速 / 3速AT 5速 / 4速MT |
前 |
前:マクファーソンストラット 後:ストラット |
後 |
前:マクファーソンストラット 後:ストラット |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,550mm |
全長 | 4,500mm |
全幅 | 1,690mm |
全高 | 1,370mm |
車両重量 | 1,105kg |
その他 | |
ブレーキ |
前:ベンチレーテッドディスク 後:ディスク |
データモデル | 4ドアHT ターボSSS 5速MT(前期型) |
系譜 | |
後継 | バンとワゴンはアベニール |
ブルーバード初のエンジン横置きFF(前輪駆動)車[13]。先代の910型の流れを汲んだデザイン[13]で、ボディタイプは、910型に設定されていた2ドアハードトップは廃止され、4ドアセダン、4ドアハードトップ、ステーションワゴン、バンの4種類が設定され、前モデルの910型系と比較してトレッド幅を拡大し、コーナリングにおけるトルクステアなどのFFの弱点を消すことに重点がおかれる[13]。ガソリンエンジンは、すべてCA型に統一され、ディーゼルエンジンは、ノンターボのLD20型 65PSの1種類のみの設定。広告には、沢田研二が先代の910型に引続き起用[注釈 22]されCMソングとナレーションも担当した。キャッチコピーは前期型は「ブルーバード、お前はスーパージェネレーション」「走りが、だん然、素晴らしい」「ブルーバードにならないか」、後期型は「人の中へ。」であった。1983年の日産創立50周年を機に一新された米国のペンタグラム社が製作したロゴフォントを採用。先代の910型系までの正式車名であった「ダットサン・ブルーバード」から、U11型へのモデルチェンジを機に、正式車名が「日産・ブルーバード」へと改められ、車検証の車名欄も、先代の910型までの「ダットサン」からU11型から「ニッサン」へと改められている[注釈 23]。多くの海外市場においても、この世代からこれまでのダットサン (DATSUN) ○○○という車名から「日産・ブルーバード」(NISSAN-BLUEBIRD 中文:日産藍鳥または青鳥)に変更された。ADワゴン(ステーションワゴン)はターボSSSとLXの2グレードがあり、ターボSSSは当時珍しいガソリンターボのワゴン車であった。バンは専用の丸型4灯式ヘッドランプが与えられた。
2代目から現地生産が行われているオーストラリアではこの世代は導入されず、先代の910型が1986年まで継続生産されその後ピンターラ (R31型)が後継車とされた。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は48万2896台[14]。
日産・ブルーバード(8代目) U12型系 | |
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セダン XEサルーンF(前期型) 1987年9月 - 1989年10月 | |
セダン XEサルーンF(前期型)リア | |
ハードトップ SSS アテーサリミテッド(後期型) | |
概要 | |
別名 |
日産・スタンザ(4代目) 日産・マキシマ(3代目) 日産・ピンターラ(2代目) |
販売期間 | 1987年9月 - 1991年9月 |
設計統括 | 町田收 |
デザイン | 井上眞人 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 4ドアセダン / 4ドアハードトップ / 5ドアハッチバックセダン |
エンジン位置 | フロント |
駆動方式 | 前輪駆動 / 四輪駆動(ATTESA) |
パワートレイン | |
エンジン |
SR20DET/ SR20DE 2L 直4 SR18Di/CA18DET-R/CA18DET/ CA18DE/CA18i型 1.8L 直4 CA16S型 直4 1.6L LD20II型 ディーゼル2L 直4 |
変速機 |
4速 / 3速AT 5速MT |
前 |
前:マクファーソンストラット 後:ストラット |
後 |
前:マクファーソンストラット 後:ストラット |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,550mm |
全長 | 4,520mm |
全幅 | 1,690mm |
全高 | 1,375mm |
車両重量 | 1,130kg |
その他 | |
ブレーキ |
前:ベンチレーテッドディスク 後:ディスク |
データモデル | セダン スーパーセレクト 5速MT(前期型) |
ブルーバード初の四輪駆動車が登場。ボディタイプは、4ドアセダンと4ドアハードトップ。丸みを持たせたデザインで、H/Tはセンターピラーレス構造を先代に引き続いて採用。V6エンジンの上級グレード「マキシマ」とバン/ワゴンはU11型を継続生産。グレード構成は、伝統の「SSS(SSS/ツインカムSSS/ツインカムSSS-X)」シリーズのほか、「アーバンサルーン(LE/SEサルーン/XEサルーン/スーパーセレクト)」シリーズを設定。価格帯は1600LE 5MT車119.8万円~1800ツインカムターボSSS ATTESA LIMITED 4AT車299.8万円と、同型エンジン搭載車でも、セダンとH/Tとでグレードと装備の組合せが異なるなどワイドバリエーションを誇った。エンジンは先代U11型と同じCA系を改良し、DOHC・135PSのCA18DE、SOHC・88PSのCA18i、SOHC・79PSの1.6LのCA16S、ディーゼル・67PSのLD20-IIが用意された。また、1800ツインカムターボSSS ATTESA LIMITEDに搭載されたDOHCターボのCA18DETは、インタークーラーの装着やプレミアムガソリン仕様化が行われたことで最高出力が175psにまで高められた。センターデフ式フルタイム4WDシステムの「ATTESA」は、2WDシリーズに対してそれぞれ「SSS ATTESA/SSS ATTESA LIMITED」、「アーバンATTESA(SE ATTESA/XE ATTESA)」シリーズとした。「アーバンATTESA」シリーズは「SSS ATTESA」に標準のリヤビスカスLSDがオプションであった。前期ではCA18i(88ps)、後期ではSR18Di(115ps)に設定。北米市場ではセダンが1990年から1992年までスタンザとして販売されていた(1993年からはU13型アルティマに代替)。このため海外輸出では、セダンの他ハードトップも加わり香港・シンガポールなどといった東南アジア地域に絞られた。なお、後期型におけるCMのナレーションは長塚京三が担当し、バック音楽には「アメイジング・グレイス」を採用、キャッチフレーズは「グッド・カー」だった(前期型のキャッチフレーズは「ブルーバードが、好きだ」「走る、曲がる、止まる、そのどんな瞬間にも最高の車であってほしい」)。販売終了前月までの新車登録台数の累計は49万56台[16]。次世代9代目は、ほぼ同クラスのプリメーラが大ヒットしたため割を食う形となり、8代目がシリーズ最後のヒットモデルとなった[16]。
スーパー・トー・コントロール・サスペンション(STC-Sus)と呼ばれるリヤサスペンションをATTESA車に初採用。サスペンションの型式としては2WD車と同じパラレルリンク式ストラットであるが、ブッシュのたわみを利用して2本の不等長のパラレルリンクとラジアスロッドとが後輪の受ける横力に応じてトーをコントロールすることでコーナーリング性能向上を目指す機構であった。HICASを積極的・能動的な四輪操舵とするならば、いわば受動的な四輪操舵機構であり、開発テーマの一つ「アコースティックな走り」実現に寄与していた。U13型では2WD車にも拡大採用されたものの、同時期のプリメーラでは採用しておらず、その後採用した車種はない。
ラリー競技参加を主眼として、ラリーバージョンの「SSS-R」を設定。オーテックジャパンが開発し、日産自動車で製造、NISMOで販売された。「ATTESA」を搭載したフルタイム4WD セダン1800ツインカムターボSSS ATTESA LIMITEDを基本としており、エアインテークが設けられた専用エンジンフードが外観上の特徴。国内JAF競技用ベース車という性格からロールバーが標準装備であり、トランスミッションもクロスギヤレシオ化されている他、様々なラリー用オプションがNISMOから用意された。エンジンは、ベースとなったCA18DETにチューニングを施したCA18DET-Rを搭載。CA18DET-Rは、A/Rを標準車の0.64から0.89の高速高出力型としたギャレット製T25型タービンを採用、圧縮比を標準8.5から8.0に下げて最大過給圧を600mmHg(レギュラー使用時500mmHg)から690mmHgまで上昇させることで、標準175ps/23.0kg·mに対して185ps/24.5kg·mの出力を誇った。また、カムのオーバーラップ増やステンレスエキゾーストマニホールド、コスワース社製の専用鍛造アルミピストンの採用など、特筆すべき点が多い。ボディタイプは4ドアセダンのみ。定員2名(後に定員4名仕様追加)。価格は東京地区標準275万円。競技車両としての使用を前提としていたため、保証が標準車と一部異なる他、装備内容も最廉価グレード1600LEとほぼ同等まで省略されている。外観では、コーナーリングランプがないため1600LEと共通(ブラックアウト処理)となっている一方で、1600LEでさえも標準装備のフェンダーマーカー点灯機能が省略されていた他、エアコンがオプションでも設定されなかったこと、定員4名仕様車の後席座面等、標準車と異なった部品が用いられていた。受注生産車として月産10台程度販売された。後期SSS-Rの販売台数は前期に比べてもごくわずかで、エンジンは標準車と共通のSR20DET(205ps/28.0kg·m)である。
日産・ブルーバード(9代目) U13型系 | |
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ハードトップARX 前期型(フロント) | |
ハードトップARX 前期型(リア) | |
セダンSSS 前期型(豪州仕様) | |
概要 | |
別名 | 日産・アルティマ(初代) |
販売期間 | 1991年9月 - 1996年1月[27] |
設計統括 | 川村紘一郎 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ |
4ドアセダン 4ドアハードトップ |
駆動方式 | 前輪駆動 / 四輪駆動(ATTESA) |
パワートレイン | |
エンジン |
KA24DE型 2.4L 直4 SR20DET/SR20DE型 2L 直4 SR18DE型 1.8L 直4 GA16DS型 1.6L 直4 CD20型 ディーゼル2L 直4 |
変速機 | 4速AT / 5速MT |
前 |
前:マクファーソンストラット 後:パラレルリンクストラット |
後 |
前:マクファーソンストラット 後:パラレルリンクストラット |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,620mm |
全長 | 4,585mm |
全幅 | 1,695mm |
全高 |
1,405mm(セダン) 1,370mm(ARX) |
その他 | |
販売終了前月までの新車登録台数の累計 | 19万2939台[27] |
ボディタイプは4ドアハードトップと4ドアセダン。ハードトップは側面衝突における安全性を考慮してセンターピラーが付けられ、エレガントなデザインの「ARX」(アークス)となる。セダンはスポーティな「SSS」(スリーエス)、ビジネス向けエコノミーグレードの「EEX」(イーエックス)と後に追加された「ビジネス」が設定された。セダンのデザインは、日本の日産案と日産北米スタジオ(NDI)案が比較され、独特なフォルム(レパードJフェリーのような「尻下がり」型)を持つ北米案が採用された。セダンは全高を高めに取り、室内の広さも当時のクラス最大級を誇るなど居住性が飛躍的に改善されたが、日本国内では全高がやや低く後部座席のヘッドクリアランスに若干難はあるものの、無難なデザインを採用したARXが販売の大半を担う結果となった。なお、セダン・ARX合わせても初代P10型系プリメーラ(先代モデル末期の1990年登場)に販売台数で及ばなかった。駆動方式はFFとビスカスカップリングLSD式4WDのATTESAが設定された。ガソリン2.0Lエンジン(SR20DET / SR20DE搭載)車はリアデフにもビスカスカップリング式LSDを用いており、SSSリミテッドアテーサにはフロントにもビスカスカップリングを用いた新システムの「トリプルビスカス」が採用された。装備はハイマウントストップランプが全車標準装備(但し、リアワイパー装着車ではレスされる)となったほか、上級グレードの「ARX-Z」には運転席SRSエアバッグを採用(後に全車標準装備)。車内に取付けたマイクで集音した波形と逆位相の波形を専用スピーカーから送出して車内騒音を軽減させるANC:アクティブノイズコントロール、先行してS13型シルビアに採用されていたフロントウィンドウディスプレイ(フロントウィンドウに速度・ブレーキ警告・ドア警告を表示させる)などがあった。4ドアセダンは「アルティマ」(初期はスタンザ・アルティマ)の名称で北米でも販売され、国内モデルよりも車幅が広く、細部が異なっていた。中国の東風汽車有限公司でも中国国内にシルフィが投入されるまで生産された。また、ARXは香港に2.0Lモデルのみ輸出。
日産・ブルーバード(10代目) U14型系 | |
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2.0SSSリミテッド(前期型) | |
1.8SSS(NEO Di)(後期型) | |
1.8SSS(NEO Di)(後期型) | |
概要 | |
販売期間 | 1996年1月 - 2001年9月 |
設計統括 | 樋口恒雄 |
デザイン | 和田智 |
ボディ | |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 4ドアセダン |
エンジン位置 | フロント |
駆動方式 | 前輪駆動 / 四輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン |
SR20VE/SR20DE/SR20DE型 2L 直4 QG18DD/QG18DE/SR18DE型 1.8L 直4 CD20→CD20E型 ディーゼル2L 直4 |
変速機 | ハイパーCVT / 4速AT / 5速MT |
前 |
前:マルチリンク 後:マルチリンクビーム(2WD車) ストラット(4WD車) |
後 |
前:マルチリンク 後:マルチリンクビーム(2WD車) ストラット(4WD車) |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,600mm |
全長 | 4,565mm |
全幅 | 1,695mm |
全高 | 1,395mm(前輪駆動車) 1420mm(四輪駆動車) |
車両重量 | 1,170 - 1,370kg |
その他 | |
ブレーキ |
前:ベンチレーテッドディスク 後:リーディングトレーリング(ルグラン、1.8SSSの2WD車) ディスク(4WD車、2.0SSS) |
系譜 | |
後継 | 日産・ブルーバードシルフィ |
主に日本国内ユーザーの要望で、箱型のありふれた形状となった。ボディタイプはセダンのみで、長年ラインナップされていた4ドアハードトップは消滅した。テレビCMには、初期は常盤貴子をメインに4人の一般人の男性(そのうち一人は日産の社員。)、及びその4人のうちの1人であった大分県の当時30代後半の公務員の男性と黒木瞳、中期は常盤と蟹江敬三、池内博之が起用された。P11型系プリメーラとプラットフォーム[注釈 25]を共用したため、先代モデルに対し全長、およびホイールベースはそれぞれ20mm短縮され若干ダウンイジングされた。グレード構成はスポーティな「SSS」系と、フォーマル / ファミリー向けの「ルグラン(FF車のみ)[注釈 26]」「XE / FE」を設定。後に1.8L ガソリン車と2.0L ディーゼル車に「エプリース(Eprise)」を追加。教習車も先代に引き続き設定される。トランスミッションは当初5速フロアMTとOD付き4速ロックアップATを設定。後にトルクコンバーターを組み合わせたマニュアルモード付きのハイパーCVT-M6、ハイパーCVT、電子制御AT「E-ATx」を追加した。装備面では、運転席と助手席のデュアルSRSエアバッグを(教習車を除く)全車に標準装備。警察の捜査用覆面パトカーとして大量に導入された。
メーテルリンクの童話『青い鳥』にちなむ。古来より欧米では青い鳥は「幸せの青い鳥」として幸福の象徴とされてきた。当時の川又克二社長によって命名された。当初は「スノーバード(ユキホオジロ)」と命名されるはずだったが、これがアメリカの俗語で「麻薬常習者」を意味していたため、改名せざるを得なかったと言う逸話がある。もっともアメリカ市場では単に「ダットサン」の名で販売された。
2代目以降のスポーツグレードに与えられる「SSS」とは「Super Sports Sedan」の頭文字を取ったものである[注釈 30]。ただしSSS(サンエス)の商標を掲げる老舗の自転車部品製造販売、卸売業者が存在したため、正式に許諾を得て、これを使用した[44]。
日産自動車の対米輸出が増加しつつあった1960年代、日産が発注した自動車運搬船にもBluebirdの名が冠せられた。Bluebirdは1968年-1981年の間、主に北米航路を中心に日産が製造した普通自動車の輸送に当たった。
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