川島令次郎
日本海軍の軍人 ウィキペディアから
日本海軍の軍人 ウィキペディアから
川島 令次郎(かわしま れいじろう、1864年10月14日(元治元年9月14日) - 1947年(昭和22年)11月22日)は、日本の海軍軍人。海軍中将正三位勲一等功三級。宮中顧問官。
旧加賀藩士川島拓の長男として生まれる。攻玉社を経て、1884年(明治17年)12月、海軍兵学校(11期生)を卒業し、1886年(明治19年)9月に海軍少尉任官。1892年(明治25年)8月、海軍大学校(甲号4期)を卒業。「高千穂」砲術長、軍令部第2局員、侍従武官、イギリス留学、イギリス公使館付、常備艦隊参謀、「富士」副長、「朝日」副長、「宮古」艦長などを歴任。
日露戦争では、「松島」艦長として出征し、日本海海戦では「磐手」艦長であった。その後、軍令部参謀(第1班長)、艦政本部第1部長を経て、1908年(明治41年)8月、海軍少将に進級。さらに、海大校長、第3艦隊司令官、水路部長などを歴任し、1913年(大正2年)1月、海軍中将となった。旅順要港部司令官、将官会議議員などを務め、1916年(大正5年)6月27日に予備役に編入され[1]、1929年(昭和4年)9月、退役した。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.