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尾崎 左永子(おざき さえこ、1927年11月5日[1] - )は、日本の歌人、随筆家、放送作家。歌誌「星座」主筆、エッセイスト・クラブ常務理事[2]。本名は尾崎磋瑛子(読みは同じ)。夫は慶應義塾大学経済学部名誉教授の尾崎巌。神奈川県鎌倉市在住[3]。
東京府豊島区巣鴨に、宮内省に勤務する父・酒巻芳男(旧姓・飯島)、母・壽(旧姓・秋月)の四女として生まれる。母方の祖父は明治天皇の侍医であった。
東京女学館中等科を1学年飛び級し、東京女子大学国語科入学[3][4]。大学では松村緑、西尾実の指導を受けた。また関鑑子に声楽を学んだ。戦後は大学の演劇部に所属し、木下順二、山本安英、薄田研二らの指導を受けた。大学在学中に歌誌「歩道」に入会し、佐藤佐太郎に師事[3]。酒巻さゑ子の名で出詠した。卒業後は父の友人長田幹彦の秘書を務めた。
1950年に大学時代の演劇仲間と結婚し松田に改姓するが、6年で離婚。NHKの台本作家となる。西山真一、山田茂人に油絵を習う。1955年、「夕雲」で第1回角川短歌賞最終候補となる。1957年、30歳のとき、松田さえこの名で第一歌集『さるびあ街』を上梓[1][3]、第4回日本歌人クラブ推薦歌集(現在の日本歌人クラブ賞)を受賞する[3]。1958年から西沢実門下として脚本を書き、1960年からNHKドキュメント番組『主婦の時間』の構成を担当。1961年、尾崎巖と再婚。山名康郎と交流を持ち[1]、北海道の歌人としばしば交流する[1]。夫のハーバード大学留学で渡米し[3]、帰国後は1965年から1983年までしばらく短歌を離れ、放送作家をメインに活動していた。女性放送作家の走りとして、ラジオ関東、東北放送、信越放送、ニッポン放送などで台本を執筆。その傍ら、古典研究に没頭し[3]、松尾聰に師事した[2]。また『源氏物語』の薫香を知るために香道御家流三条西家に入門し、後に奥伝を許可され、尾崎暁紅の名を受けた。
1983年、佐太郎との約束に従い「歩道」に復帰、また「運河」創刊に創刊同人として参加し、歌壇に戻る[3]。1985年、『源氏の恋文』で第32回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した[3]。1986年より早稲田大学大学院文学研究科上代文学研究科研修生として、橋本達雄に師事。1989年、尾崎左永子の筆名で『さるびあ街』を再刊。『源氏物語』を中心に、古典文学や王朝和歌についてのエッセイを多数発表。香道を語ることの出来る希少な書き手として知られるようになる。また、「明星」を中心にした近代短歌についての研究もある。
1999年、「夕霧峠」で第33回迢空賞を受賞する[2]。2001年、歌とことばの雑誌「星座」(発行:かまくら春秋社)を創刊する[2][5]。2003年、文化庁長官表彰[4]。2010年には短歌雑誌「星座α」を創刊し、「佐藤佐太郎の心を継ぐ」のを掲げている。
2015年、『佐太郎秀歌私見』で第6回日本歌人クラブ大賞受賞。2016年、正月に宮中歌会始で召人を務めた。『薔薇断章』で第31回詩歌文学館賞短歌部門受賞[1][6]。
短歌雑誌編集者であった中井英夫とは長年の交友があり、『虚無への供物』に登場する女探偵・奈々村久生のモデルである[1][7]。
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