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埼玉県さいたま市大宮区および北区の町丁 ウィキペディアから
大成町(おおなりちょう)は、埼玉県さいたま市の町名。現行行政地名は大成町一丁目から大成町四丁目。このうち一丁目から三丁目までが大宮区に属し、四丁目が北区に属する。いずれも住居表示未実施地区[4]。郵便番号は330-0852(一丁目 - 三丁目)・331-0815(四丁目)。本項では、大成町の前身で現在も残存する[5]北区の大字大成(おおなり)と、その前身である大成村(おおなりむら)についても記す。
さいたま市中北部の大宮台地上に位置する。町域の西端を切敷川が流れる。北区宮原町・東大成町・櫛引町・日進町、大宮区錦町・桜木町・櫛引町と隣接する。鉄道博物館駅や鉄道博物館が大成町三丁目に置かれている。地内は市街化区域で主に住宅地(第一種住居地域)であるが、北部には生産緑地地区の農地も見られる[6]。
住宅地の地価は、2015年(平成27年)1月1日の公示地価によれば、大宮区大成町一丁目282番2外の地点で23万6000円/m2、北区大成町四丁目580番4の地点で13万7000円/m2となっている[7]。
もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡大宮領に属する大成村で、古くは高鼻荘・金子荘に属していた[8]。村高は正保年間の『武蔵国田園簿』では500石(田155石余、畑344石余)、『元禄郷帳』では578石余、『天保郷帳』では578石余であった[8]。助郷は中山道大宮宿に出役していたが、正徳・安永年間は日光御成街道大門宿にも出役していた[8]。村の規模は不明で、村域は上・中・下の3組に分けられていたが、行政上では上大成・下大成に二分されていた。化政期の戸数は180軒であった[8]。
地名の「大成」は、曹洞宗の仏教寺院「普門院」を開いた僧侶である金子大成(かねこ おおなり)からとられたものとされている。他にも当地が切敷川のそばの広くて緩い傾斜地が起源の「オオナル」からとられたものとも云われている[8]。
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[22]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
大成町一丁目 | 全域 | さいたま市立大成小学校 | さいたま市立大成中学校 |
大成町二丁目 | 全域 | ||
大成町三丁目 | 全域 | ||
大成町四丁目 | 1 - 629番地 | さいたま市立日進小学校 | さいたま市立日進中学校 |
その他 | さいたま市立つばさ小学校 |
鉄道
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