六郷町 (秋田県)
日本の秋田県仙北郡にあった町 ウィキペディアから
日本の秋田県仙北郡にあった町 ウィキペディアから
中心市街地(大字六郷)は六郷扇状地の扇端部にあたり、県内では名水の地として知られ、大字六郷、大字鑓田に湧水地が78か所ある。それぞれ、「〜〜清水」の名称がついており、町民の生活にとけこんでいる。町内の清水は名水百選に選定されており、最近は観光面でも注目されるようになってきた[注釈 1]。
上流部の黒森山一帯は水源の森百選に選ばれている。大字六郷東根の関田周辺が扇状地の扇頂部にあたり、山間部と平野部の境界にあたる[1]。扇央部の野中・明田地野はかつては水の得にくい地域であり、畑作や馬産がさかんであったが、昭和20年代後半の田沢疏水の開通後は水田化が進んだ。なお、戦前の明田地野は臨時の飛行場として用いられたことがあり、太平洋戦争開始後は軍用として整備する計画があった[注釈 2]。西方の本館地区は水田がひろがる古くからの米どころであり、室町時代から戦国時代にかけては六郷城のあったところである[1]。
町内には南北朝時代の板碑が多く分布し、浄土宗の東光山本覚寺に平安時代初期の「貞観の写経」・「白雲上人画像」、浄土真宗の法望山照楽寺に「伝平将門の陣幕」(いずれも県指定有形文化財)があり、各寺院に伝わる寺宝には古く、貴重なものが多い[1][2][3]。
中心市街六郷の東方に熊野神社、西方に秋田諏訪宮があり、それぞれ格式高い古社である[1]。前者は8月下旬の全県かけ唄大会、後者は2月中旬の六郷のカマクラ(竹うち)で知られる。初代藩主の父佐竹義重が東方からの防備のため周囲から仏教寺院を集めたため、中心市街には26の寺があり、「人口にくらべて寺の多い町」「寺の町」というイメージが強い[1]。
近世では、羽州街道の宿駅として栄え、久保田藩・津軽藩の本陣が置かれた[3][4]。
名水と秋田米を利用した日本酒醸造業がさかんで、「
江戸時代の佐竹氏久保田藩領にあっては富裕な町として知られ、久保田・横手・大館の三城下町以外では唯一時鐘が許された。また、小西呉服、湯川呉服、栗林呉服など周辺町村からは呉服店の多い町としても知られていた。
高梨村払田出身の後藤宙外は明治から昭和初期にかけての文学者として知られるが、作家として高名になったのちの大正年間に六郷町長を2期8年務めている。
六郷町は横手盆地の東に位置している。町の中心部は西寄りにあり、東部は扇状地や山岳地帯が広がる。
隣接していた自治体は、以下の通り。
明治初年の石高は以下の通り[6]。
村 | 旧高 | 旧領 | 旧県 | |
---|---|---|---|---|
鑓田村 | 386.398010石 | 秋田藩(久保田藩) | 秋田県 | |
野中村 | 158.733994石 | 秋田藩(久保田藩) | 秋田県 | |
六郷高野村 | 610.270020石 | 秋田藩(久保田藩) | 秋田県 | |
六郷川内池村 | 809.726013石 | 秋田藩(久保田藩) | 秋田県 | |
六郷本館村 | 719.130981石 | 秋田藩(久保田藩) | 秋田県 | |
六郷東根村 | 1416.108032石 | 秋田藩(久保田藩) | 秋田県 | |
合計 | 4100.367050石 | — | — |
高等学校
中学校
小学校
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