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下関地域鉄道部(しものせきちいきてつどうぶ)とは、山口県下関市竹崎にかつて存在した西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道部の一つである[1]。
本項では、下関車掌区の歴史についても記述する。
ローカル線の活性化と効率的な鉄道運営ができるように、JR西日本は1990年(平成2年)6月1日から主に支線区に対して鉄道部制度を導入していたが、1995年(平成7年)10月1日から鉄道部制度を幹線系の地域にも導入して地域鉄道部として地域の特性に応じた業務が行えるよう、山口県西部の路線を下関地域鉄道部が運営するように改められた。
広島支社が管轄しており、下関駅の旧下関鉄道病院に建物がある。
2019年(令和元年)6月1日、徳山地域鉄道部・山口地域鉄道部と統合し、山口支社(山口エリア統括部)に移行した[2][3]。
同時に車両管理部門である幡生駅構内にあった下関車両センター(幡生車両所)と、下関駅構内にあった下関車両管理室(下関運転所の車両管理部門)を統合して下部組織としたが、2009年の鉄道部再編の際に両所が分離され、山口鉄道部車両管理室と統合のうえ、支社直轄の下関総合車両所とされた。廃止時点では線区管理部門と乗務員管理部門のみが残されていた。
下関乗務員センターは下関地域鉄道部に所属する乗務員基地で、運転士が配属されている。下関地域鉄道部発足に伴い、下関車掌区と下関運転所の乗務員部門を分離統合して発足した。
2006年(平成18年)1月7日早朝に発生した下関駅放火事件による火災で、駅舎南側にある同センターの建物(鉄筋4階建)が全焼し、建物内にあった運転士・車掌の制服や乗務員用の携帯時刻表やそのデータが入ったパソコン、乗務員に携帯させる非常連絡用の業務用携帯電話機などが焼失した。
また寝台特急「はやぶさ・富士」の本州全区間(下関 - 東京間)の車掌業務を担当していた。過去に「あさかぜ」と「みずほ」の乗務を国鉄時代から預かっていた経緯から、JR西日本に民営化後2009年3月ダイヤ改正まで東京駅への車掌乗務が存在した。旧下関車掌区は国鉄の三大車掌区(東京、下関、門司)の1つに数えられていた。
2019年6月からは下関列車区となった。
地域鉄道部の発足に伴い新設されたが、2009年6月1日の組織改正により下関総合車両所に移管された。
下関車両センターは、下関市幡生宮ノ下町にあった車両工場である。地域鉄道部発足以前は幡生車両所(さらに以前は幡生工場)と称しており、日本国有鉄道(国鉄)広島鉄道管理局時代からJR西日本広島支社管内および一部の他支社の在来線車両(電気機関車・ディーゼル機関車・電車・気動車・客車)の全般検査・要部検査・交番検査・仕業検査などの検修および改造を行っていた。
下関車両管理室は、下関市大和町2丁目にあった車両基地である。当地域鉄道部発足以前は、下関運転所と称する車両基地および乗務員区所であったが、当地域鉄道部の発足に伴い、車両管理部門が乗務員管理部門と独立して下部組織として設置されたものである。
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